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唱題【教学】

しょうだい #1088

唱題【教学】

しょうだい

南無妙法蓮華経」と法華経の題目を唱えること。
日蓮聖人信心為本の専唱題目を標榜し、末法においては唱題によってのみ仏果を受得することができると示された。 唱題は日蓮聖人の教えの根幹であり、日蓮教団においてはすべての人々の宗教生活の中心となるものである。

(一)唱題思想の源流=日蓮聖人以前の唱題として高木豊『平安時代法華仏教史研究』には次の例が紹介されている。
(1)元慶五年(八八一)八月二一日、菅原道真が亡き両親のために修した法華会の願文(『吉祥院法花会願文』)に「南無観世音菩薩 南無妙法蓮華経……」と記されている。
(2)永延三年(九八九)覚超の草した『修講式』に「南無大恩教主釈迦大師七反打 南無一乗妙法蓮華経七反打……」と記されている。
(3)源信の著『空観』の末尾に「南無阿弥陀仏 南無妙法蓮華経……」と唱えて往生を願うことを示している。
(4)覚運の著『念仏宝号』に「南無開三顕一開近顕遠一切衆生皆成仏道平等大会一乗妙法蓮華経……」と記されている。
(5)寛弘四年(一〇〇七)八月、藤原道長が法華三部経を書写し吉野金峯山に埋めた経筒の蓋縁に梵字で「南無妙法蓮華経」と籠刻されている。
(6)寛弘九年造立の京都広隆寺の千手観音像の背部と腹部に「南無妙法蓮華経……」と墨書されている。
(7)康平三年(一〇六〇)菅原定義起草の「為藤原頼通於白河院賀大僧正明尊九十算願文」に「南無釈迦牟尼教主 南無法華経王……」と記されている。
(8)康平七年一一月一〇日、熊本県益城郡豊野村浄水寺址碑に「南無法蓮花経1と刻まれている。
(9)『拾遺往生伝』によると永長元年(一〇九六)に死去した橘守輔は毎夕西に向って合掌し弥陀の宝号を称え法花の題目を唱えたという。
(10)仁三年(一一一〇)『百座法談聞書抄』には法華経の題目を唱えることの功徳が説かれている。
(9)(10)は唐僧祥の『法華伝記』や景の『日本霊異記』等を出典とするものであろうと考えられている。
(11)嘉応二年(一一七〇)に散位従五位下大江忠氏らが京都府京丹後市久美浜町の円頓寺に埋めた経筒に「南無大恩教主釈迦如来 南無平等大会一乗法蓮花経……」と刻まれている。
(12)永元年(一一一八)閏九月二二日皇太后藤原寛子が修した十種供養のもようを『中右記』には「南無極楽難値遇妙法蓮華経 南無恭敬供養一乗妙典 南無平等大恵妙法蓮華経 南無生々世々値遇妙法」と記している。
(13)藤原代のものと思われる経筒(『平安遺文』所収、石田茂作所蔵)には法華経各巻に「南無」を付したものがみられる。
(14)治承頃(一一七七-八〇)の成立とされる『宝物集』には説話を引いて「妙法蓮華経の五字を唱と云を議せり」と記されている。
(15)寿永二年(一一八三)、運慶願経の奥書に「念仏十万遍 法華経宝号十万遍」と記されている。
(16)円珍作と伝える『阿字秘釈』の末尾に「南無妙法蓮華経」と記されている。奥書には「大中十二年(八五八)六月十四日」とあり、真撰であれば最古の例といえる。
(17)『勝尾寺縁起』には勝尾寺第四代座主証如について「……令称南無妙法蓮華経……」と記している。 貞観年代(八五九-八七六)の例と考えられるが『縁起』の成立が未詳であるため(16)と共に参考程に止める(四三〇-四七頁、取意)。
これらの用例を見ると、法華経供養や法華経講会において念仏と同様に唱題が修せられたようである。 写経や読経・読誦に比べて、唱題は万人が容易に修すことのできる宗教的行為であるところから時代と共に大衆へ浸透していったこともうなずける。 既に院政期までに「南無妙法蓮華経」「南無一乗妙法蓮華経」「南無平等大恵一乗妙法蓮華経」等と形式においては不揃いながら多大な功徳をもたらす営善行為として唱題が修せられていた事実は、日蓮聖人の唱題思想の背景を知るうえで注目すべきものがある。
唱題について説いた書物として『修禅寺相伝私記』が挙げられる。 本書は最澄記と伝えられるが成立時期については院政期から鎌倉中末にいたる諸説がある。 その内容は中古天台の口伝法門を筆録したもので観心主義的な色彩が強い。 従って日蓮聖人の唱題思想に中古天台の影響を認めるか否かの問題と関わるゆえに、本書の成立期は重要な意味をもっている。 唱題については「臨終のには南無妙法蓮華経と唱ふ。 妙法の三力の功によりて速かに菩提を成じ、生死の身を受けざらしめん」等と説き、臨終の唱題によって「令不受生死身」の功徳があると説いている。 当営まれていたであろう臨終唱題の理論化と考えられ、その背景には臨終念仏が予想される。
前述の通り本書の成立については問題があるが、日蓮聖人の唱題思想を知る上で看過しえない内容を有しているといえよう。 日蓮聖人は従来の個人的な営為行為としての唱題を普遍的宗教行為として論化し確立していった。 ち雑乱した諸信仰を法華経の信仰に純粋化し、成仏往生を願う個人的な諸修行を法華唱題に集約し、教主釈尊による救済の論を体系化していったのである。

(二)日蓮聖人の法華経受容=日蓮聖人釈尊の真実を法華経に見出された。 それは釈尊の教えを全面的に肯定する聖人教受容の態からもたらされた必然的結果であった。 『涅槃経』に説示された「依法不依人」の文は釈尊の真実に到達するための基本的求道態であったといえる。 聖人釈尊金言に随順するゆえに純粋法華の世界を志向されたのである。
法華経は三世にわたって衆生益する随自意のえである。 釈尊の現在に立って説かれた法華経が永遠の未来を化益するのであるから、法華経顕説の釈尊の現在とは永遠の未来を含むものである。 滅後末法の法華経とは釈尊の現在を「今」として受領する法華経をいうのである。 これを聖人は『法華取要抄』に「逆次に之を読めば滅後の衆生を以て本と為す」(定八一三頁)と述べられている。 「逆次に読む」とは「流通分の心」をもって法華経を読むことである。 釈尊の現在を滅後末法の現在として受領することにほかならない。
未来記として一向に末法を志向する法華経を末法今時の現在に受領することを、聖人は『種種御振舞御書』に「在世は今にあり、今は在世なり」(定九七一頁)と述べられている。 このような末法為正の法華経観は法華経本門えから導出されるものである。 釈尊の本懐を法華経本門に信認することによって法華経は我らの法華経となるのである。 『開目抄』には「迹門方便品一念三千二乗作仏を説て爾前二種の失一つを脱たり。 しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらはれず、二乗作仏も定まらず。 水中の月を見るがごとし。 根なし草の波上に浮べるににたり。 本門にいたりて、始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる。 四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。 爾前迹門の十界の因果を打やぶて、本門十界因果をとき顕はす。 此れ本因本果法門なり。 九界も無始の界に具し、界も無始の九界に備て、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」(定五五二頁)と述べられている。 本門発迹顕本とは仏の絶対性・永遠の慈悲を開顕することである。 ここに「真の十界互具・百界千如・一念三千」が成就し我等の救済が実現する。 聖人は数々の受難体験を経由することによって法華経の行者としての自覚を深め、釈尊の救済を法華経本門に信認し、的体系化を確立されたのである。

(三)唱題の原=『観心本尊抄』には「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。 我等此五字を受持すれば自然に彼因果の功徳を譲り与へたまふ」(定七一一頁)と述べられている。 日蓮聖人の唱題の原はこの三十三字(原漢文)に如実に表明されている。 この「五字の受持」こそ正像未聞の法門たる「事行南無妙法蓮華経」(定七一九頁)にほかならない。 法華経涌出品に涌出した地涌の大菩薩は神力品において三仏に滅後の弘経を誓い、大法を結要付属されたのである。 在世の結要付属が今末法において五字受持として召喚され「仏前の御誓」(『聖人御難事』定一六七二頁)の「約束」(『観心本尊抄』定七一九頁)履行として受持釈尊の歴史のなかに必然的に要請されるのである。 五字の受持は釈尊によって与えられた行為であり、釈尊の入滅という現在否定を媒介として地涌の大菩薩は滅後の化益を付属されたのである。
受持譲与段の教示の通り、五字の受持とは釈尊の因行果徳を受領することである。 釈尊因行果徳とは釈尊の仏種であり、一念三千である。 『開目抄』に「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり」(定五三九頁)と述べられているように、本門の一念三千は釈尊内証法門である。 釈尊所具の一念三千に九界具界・界具九界が成就し「師弟倶に久遠」の世界が顕現するのである。
聖人一念三千を法華経のみが有する珠(玉)(『開目抄』定六〇四頁・『観心本尊抄』定七二〇頁・『兄弟鈔』定九三一頁)であるとし、これを『観心本尊抄』に「一念三千仏種」(定七一一頁)と表記されている。 一念三千は救済の原であると共に救済実現の価値体でもある。 釈尊因行果徳とは釈尊の一念三千であり、この一念三千が宝珠・仏種を媒介として妙法五字となるのである。 これを『観心本尊抄』には「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起し五字の内に此珠を裹み末代幼稚の頸に懸けさしめたまふ」(定七二〇頁)と述べられている。
寿量品の良医譬には色香美味・擣簁和合の大良薬を不信顛倒の子に「今留めて此に在(お)く」と説き、一代聖教の肝心たる妙法五字を滅後の衆生に留め置かれたことを喩顕されている。 妙法五字とは釈尊の因果であり、釈尊の因果を我らに受得するのが五字の受持(七字)である。 五字は釈尊の世界であり、我らは常に七字として釈尊にまみえる。 しかし釈尊は五字として単独に存在するのではなく五字の自然譲与を悲願とされる。 ち七字において五字は五字たり得るのである。 我らは釈尊の悲願のなかで七字を媒介として五字の仏果を受得するのである。 この五字七字の関係を聖人は「南無妙法蓮華経の五字」(『観心本尊抄』定七一九頁)と記されたのである。

(四)唱題と法華経の信心=末代の衆生は一向謗法の者である。 釈尊の教えの本意を法華経(妙法五字)と知ることは末代衆生謗法と知ることである。 法華経所有の信に随順することに法華経の信仰がある以上、を知ることはを知ることでなければならない。 法華経の明鏡に自己を照らすことによって初めての自己を知ることができるのである。 「信而不信」という「仏法の不思議」は、自己本位の信仰のもたらす必然であり、それは遂には内にあって仏法を亡ぼす仏法の怨敵にほかならない。 聖人は『法華題目抄』に「夫れ仏道に入る根本は信をもて本とす」(定三九二頁)と信心為本の宗教を標榜し、『四信五品鈔』には「以信代慧」(定一二九六頁)と説いて、末代の衆生は信の一字によってのみ仏果を得るとされている。

(五)唱題と法華経の実践=法華経が滅後末法を志向するのは単なる時間論ではなく、の歴史の必然的要請である。 従って五字受持の師の出現とその弘通活動は当然現実の社会に具体的に関わるものである。
法華経は滅後の弘通に大難の興起を予言している。 法師品第十には「如来の現在にすら猶怨嫉多し、況んや滅度の後をや」、宝塔品第十一には「六難九易」、勧持品第十三には「二十行の偈」等を説き、不惜身命の法華経弘通を勧奨している。 聖人は建長五年(一二五三)四月、法華経信仰の告白によって東条景信に故郷を追われたが、更に文応元年(一二六〇)七月の『立正安国論』の上呈を契に数々の法難に値遇されたのである。 ち『立正安国論』上呈の翌月、松葉谷の草庵を夜襲され、翌弘長元年(一二六一)五月、捕えられて伊豆の伊東に流罪の身となり、弘長三年二月に赦免されながら、翌文永元年(一二六四)一一月東条の郷松原において東条景信の襲撃を受け、文永八年(一二七一)八月、捕えられて竜口において首の座に引き出され、更に佐渡へと流されたのである。 このような一連の受難を通して聖人は法華経に説かれた行者としての自覚を深めていった。 受難は法華経の記文と自己の符合を意味し、聖人こそ末代法華経の行者であることを証すものである。 『開目抄』の末に記された「日蓮が流は今生の小苦なればなげかしからず。 後生には大楽をうくべければ大に悦ばし」(定六〇九頁)の文は、法華経釈尊にいだかれた法華経の行者日蓮の法悦を如実に表白するものである。
叙上の如き不惜身命の法華経実践こそ聖人における唱題の意味であり一念三千の本質であったといえよう。 『富木入道殿御返』には五字受持の原理論ともいうべき「本門の一念三千」を述べるにあたり「大難又色まさる」(定一五二二頁)と述べ、ここに「」の概念を認められている。 この「」の概念はいわゆる「三度の高名」を「法華経の一念三千と申す大事の法門はこれなり」(定一〇五四頁)と述べられた『撰抄』の文に共通している。 このような「一念三千」「大難」「三度の高名」の関連は一念三千が単なる論ではなく具体的な法華経実践であることを意味している。 一念三千の実践とは五字受持としての唱題にほかならない。 聖人の唱題とはいうまでもなく静的口の行ではなく、現実社会に対して具体的に関わるものである。
題目流布に大難が必然的に伴うということは、受難こそ唱題であるともいいうるのである。 『種種御振舞御書』の「今日蓮は末法に生れて妙法蓮華経の五字を弘めてかかるせめにあへり」(定九七一頁)、「日蓮は南無妙法蓮華経と唱ふる故に、二十余年所を追はれ、二まで御勘気を蒙り」(定九八六頁)の文はこのことを如実に表明している。 このように法華経の色読と唱題は法華経の実践として異なるものではない。 前述のごとく「大難」「大科」という行者の受難は法華経の歴史に既に予見されており釈尊は難を通して行者に自己省察の啓示を与えられるのである。 このような行者の法華経色読妙法五字が成就するのである。
本尊問答鈔』には「三業相応して最第一と読める法華経の行者は四百余年が一人もなし」(定一五八○頁)と述べられている。 「三業相応して最第一と読」むとは三業の唱題である。 三業の唱題とは身口意にわたって題目を唱えることをいう。 身唱題目とは身をもって題目を受持する身業受持(法華経の色読)、口唱題目とは口に専ら題目を唱える口業受持、意唱題目とは心に法華経の信を決定する意業受持であり、この一如円満の当処をもって唱題という。 このように考えると唱題を単に易行と断定することはできない。
聖人は『撰時抄』に「欽明より当帝にいたるまで七百余年、いまだきかず、いまだ見ず、南無妙法蓮華経と唱へよと他人をすすめ、我と唱へたる智人なし」(定一〇四八頁)、『報恩抄』には「一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間、一人も唱えず、日蓮一人南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱ふるなり」(定一二四八頁)と述べられている。 (一)の「唱題思想の源流」で指摘したように、聖人以前に唱題の事例は数多く見られるが、聖人の唱題はそれらとは根本的に質を異にするものであるといわねばならない。 『観心本尊抄副状』に「仏滅後二千二百二十余年いまだこの書の心あらず」(定七二一頁)と述べられたごとく、聖人の唱題(観心の法門)は聖人始唱、閻浮未曽有ということができる。

(六)正行助行=日蓮聖人は『四信五品鈔』に『法華文句』巻九の「初心は縁に紛動せられて正を修するを妨げんことを畏る。 直ちに専らこの経を持つはち上供養なり。 を廃して理を存るは所益弘多なり」の文を釈して「この釈に縁と云ふは五也。 初心の者が兼て五を行ずれば正の信を妨ぐる也。 譬へば小船に財を積て海を渡るに財と倶に没するが如し。 直専持此経と云は一経に亘るに非ず、専ら題目を持ちて余文を雑へず、尚一経の読誦だも許さず、何に況んや五をや。 廃存理と云ふは戒等のを捨てて題目のを専らにす云云。 所益弘多とは初心の者が諸行と題目とを並べ行ずれば所益全く失ふと云云」(定一二九七頁)と述べられている。 専持題目示の典型的な遺文である。
『法華題目鈔』(定三九四頁)『法華取要抄』(定八一六頁)『曽谷入道殿許御書』(定九〇二頁)等に「広・略・要」を説いて題目五字の功徳を示されているように、題目は釈尊が末代に留められた大良薬(要法)である。 従って滅後末法の法華経修行とは専ら題目を持つことにある。 題目はの種(『曽谷入道殿許御書』定八九七頁、『妙法尼御前御返事』定一五三七頁、『九郎太郎殿御返事』定一六〇三頁、『秋元御書』定一七三一頁)であるゆえに題目受持こそ成仏の直道である。 これを唱題正行というのである。
聖人の信頼される遺文には正行・助行の明確な示はない。 聖人は『四信五品鈔』に「以信代慧」を説き、末代の初心の行者は名字即の位であり、南無妙法蓮華経の題目受持によって仏果を受得するとされている。 聖人滅後、日蓮教団では唱題正行に対して、五種行の読・誦・解説・書写を助行として位置づけた。 助行は正行を助ける行ではなく、法華経信仰を助長せしめるものである。 得道の正因はあくまで唱題にほかならない。

(七)唱題と成仏=『観心本尊抄』受持譲与段の説示の如く、我らは五字の受持を媒介として釈尊の因行果徳を自然に受得する。 釈尊因果の受得とは釈尊の全体を受取ることである。 これを聖人は「我等己心釈尊」と表記されている。 超越の釈尊己心具足するのは題目受持という行為を通して、釈尊と自己の相対を超えた因果の世界が実現することである。 釈尊因果が我らの因果であることを「五字受持」に教示されたのが受持譲与段であり、ここに唱題の原があるのである。 題目受持は末代幼稚に与えられた仏果受得の直道であり、具体的には仏種を受得することといえよう。 題目受持仏種の受得であるのは、受持がそのまま釈尊因果の自然譲与であるからである。 受持の信は下種としてそのまま仏果脱益である。 題目受持下種即脱益であるところに末代における法華経の救済が実現するのである。

(八)唱題と誓願聖人は『報恩抄』に「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。 日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。 無間地獄の道をふさぎぬ。 此功徳は伝台にも超へ、龍樹迦葉にもすぐれたり。 極楽百年の修行は穢土一日の功に及ばず。 正像二千年の弘通は末法の一に劣るか。 是はひとへに日蓮が智のかしこきにはあらず。 のしからしむる耳」(定一二四九頁)と述べられている。
聖人御生涯の化導は一切衆生の得脱を悲願とするものであった。 一切衆生の得脱がひとえに題目五字七字にかかっている以上、釈尊の「毎自作是念」の悲願たる南無妙法蓮華経は、そのまま聖人の悲願でもあったといえよう。 「日蓮が慈悲曠大ならば」とは題目流布の誓願に生きた聖人の信念表白である。 題目を唱えることは「無間地獄の道をふさ」ぐことである。 ち唱題とは個人的救いではなく広く人の生きざまに関わることである。 文応元年(一二六〇)の『立正安国論』の上呈はこのような聖人の宗教の基本的なあり方の標榜であったといえる。 『開目抄』に示された三大誓願(「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ」(定六〇一頁)は聖人の唱題の基本的なあり方を表明されたもので、それがそのまま唱題の本質であると考えられるのである。
《高木豊『平安代法華教史研究』、立正大学日蓮教学研究所編『日蓮宗読本』、茂田井教亨『観心本尊抄研究説』、『日蓮辞典』「唱題」の項
(庵谷行亨)

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