未来記
未来記
みらいき
未来世のできごとを展望して予測し予言した言葉や文章のことである。
予言的記述ゆえ予記・予讖ともいい、単に記・記文ともいう。
未来を予想して記文を書きのこした最初は教主釈尊であり、また釈尊の意志を継承した先人たちの文章であったから、日蓮聖人はこれらの記文を重視した。
具体的には法華経その他の経文はすべて仏の未来記であったし、法華経中心の仏意を顕揚した天台智顗・妙楽湛然・伝教最澄や聖徳太子などの予記を重んじた。
日本仏教の端緒をなした聖徳太子(五七四-六二二)については、たとえば『平家物語』に「聖徳太子の未来記にも今日の事こそ床しけれ」(巻第八)とあり、聖人も「聖徳太子の記に云く、我滅度の後、二百余年を経て山城の国に平安城を立つべし」(定四二三頁)、「上宮太子の記に云く、我滅後二百余年に仏法日本に弘まるべし」(定六八一頁)などといい、最澄の日本天台宗開創を「太子の記文たがはざる故なり」(同上)とのべている。
智顗の未来記として「天台大師の記に云く、我滅後二百余年の已後、東国に生れて我正法を弘めん」(定四二三頁)と最澄の弘通を天台の予言に求められた。
こうした経文や先人の文章が未来記であったが、これらは仏や先人からみての未来の予讖であったから、聖人にとっては聖人自身の現在を意味するものであった。
従って仏滅後末法の正法滅尽をあかす諸種の経文はもとより、未世救済の大白法たる法華経は最も根本的な未来記であった。
法華経の未来記は聖人の宗教活動を支えるものであったから「日蓮なくば此一偈の未来記は妄語となりぬ」(定五五九頁)という。
「一偈の未来記」とは仏滅後法華経広布にたずさわる者に向けられるさまざまな値難であって、受難の甘受と忍難の弘法を要請した勧持品二十行の偈文をさす。
聖人はその一つ一つを身に体得し、仏語を実語としていった。
法華経の一語一句の身証体得が法華経の行者・日蓮を完成させたのであって、つまりは仏の未来記を未来記として実証したのであった。
仏語は仏の現在から聖人の現在をさし示した御言葉であり、仏の未来記を現実化・具象化することは、そのまま仏を現在に生かすことであった。
永遠の生命を生きる仏を現在前させることが仏使日蓮・法華経の行者日蓮の役割りでもあった。
仏の未来記を妄語としてはならぬとする聖人の熱情あふれる使命感が、未来記に注目させたのである。
右の勧持品の予記をいっそう不抜の信念に高めさせたのは、仏の教法を断絶させることなく流布することを命じた薬王品の広宣流布の記文であった。
中国の天台智顗や湛然、日本の最澄の末法広布の文章を未来記としたのも、こうした先人たちが仏意を引き継ぎ聖人の実践を正当化する人々であったからである。
印度の釈尊、中国の天台、日本の伝教と系譜してこれに聖人を加え「三国四師」と位置づけたのも、仏の未来記をにない、仏の意志を継承するものであったからである。
法華経の行者の位置を理論的にも実践的にも証拠だてたのは、佐渡流罪という破格の弾圧をなめたのちであった。
「日蓮は経文を読めり」と揚言したあとは、予言された人の立場を予言する人に置き換える進展を示す。
聖人の主張と行動は、聖人自身がなした未来記といえる。
聖人は一生の指標であった『立正安国論』をさして「仏の未来記にもをとらず」(定九五九頁)といった。
『安国論』で予言した自界叛逆難と他国侵逼難の適中がそのようにいわしめたのであるが「勘へ申す所、皆以って符合す。既に金口の未来記に同じ」ともいう。
仏の未来記に自己の宗教的信念を賭した聖人であったから、自説の符合は仏の未来記と等同であるとの誇称は必然の言辞であったろう。
こうして聖人は仏や先人の文を未来記として躍動する言葉とした。
そのことの重視と活用は、仏教を生成躍動するもの、現実的生命をもつものとする聖人の仏教受容の姿勢を見事に浮彫りにしたものであるが、『顕仏未来記』の一篇はこれを集約したかたちで論述している。
題号が「仏の未来記を顕わす」とあるように、聖人自身の業績は「仏記を扶け如来の実語を顕わさんが為」(定七四一頁)であり、仏記の実現と顕彰は仏の未来記がいつわりなき無虚妄の「真文」であり未来を見通す「明鏡」なのである。
そして「如来の未来記」を全幅に実践したのが聖人自身であるとし「問うて曰く、仏記既に此の如し、汝が未来記如何。答えて曰く、仏記に順じてこれを勘うるに(略)」と自己の教説の基盤の確かさと正当性とそれの広布の必然を説く。
仏の未来記を身に読んだ聖人は、仏の教説を実証しすすんで仏の教えを永遠の未来記として歴史的に位置づけたのであり、そのことの役割りを担い、かつ果したのが日蓮聖人であった。
《『遺文辞典』教学篇「未来記」の項、『日蓮辞典』「未来記」「仏記」の項》