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佐渡

さど #599

佐渡

さど

新潟県佐渡市、日本海上ではわが国最大の島で、本土の新潟市西蒲区から、佐渡海峡をへだてて、最短で約三二キロにある。
面積は約八五五平方キロ、人口は約五万六千(二〇一七現在)といわれている。
新潟港から両津港へ佐渡汽船の定期航路があり、また直江津から小木へ向けての航路もある。 更に佐渡空港もあって、航空による便も新潟からある(二〇一七現在は運休中)。
島の地形は大佐渡と小佐渡に分かれ、仲平野の洪積台地辺からは、先住民の遺跡も発見されており、弥生代には農耕生活が始まっていたものとみなされている。
古代は大八洲(おゝやしま)の一つに数えられ、大化の改新後に「佐渡国」として独立し、神亀元年(七二四)には「遠流の島」として定められ、順徳上皇を始め、日蓮聖人や冷泉院藤原為兼、観世流清元等の著名な人々が流された。
また近世有名になったのは、江戸代になって佐渡の「金山」が開発され、江戸幕府の金蔵として栄えたためである。 相川の「佐渡金山」は、寛永年(一六二四-四三頃)に全盛期を迎え、金銀の産出量は相当に多く、鉱山としても栄えたが、その後次第に衰退していった。
さて、日蓮聖人がこの佐渡へ流されたのは、文永八年(一二七一)のことであった。 一〇月一〇日に依智を発って、二二日に越後の寺泊に到着され、滞在すること七日間、一旦船出したが、嵐にあって角田崎に吹き寄せられ、再び船を出して、二八日に佐渡の松ケ崎へ到着された。 かくして一一月一日に、「六郎左衛門がのうしろみのより塚原と申す山野の中に、洛陽の蓮台野のやうに死人を捨る所に一間四面なる堂のもなし。 上は板あはず、四壁はあばらに、雪ふりつもりて消ゆるなし。 かかる所に、敷皮打ちしき蓑うちきて、夜をあかし日をくらす」(『種種御振舞御書』定九七一頁)という状態であった。
佐渡は念仏信仰の者が多く、阿仏房を始めとして唯阿・生諭・印性・慈道らの各房が、日蓮聖人の流されて来たことを知って対決を試みようとした。 特に阿仏房は単身聖人と会って問答に及び、遂に教化されて、妻の千日尼と共に改宗し、聖人の弟子となった。 塚原の三昧堂はその遺跡であり、現在、根本寺が建っている。 また阿仏房の遺跡は妙宣寺といわれ、国府入道夫妻も入信し、在島中の外護者となった。
『開目抄』と『本尊鈔』を著作された聖人は、一谷において大曼荼羅を図顕された。 妙照寺はその霊跡である。 この大曼荼羅には「仏滅後二千二百余年、一閻浮提の内未だ曽て之有らず、日蓮始めて之を図す」と記されており「佐渡始顕の本尊」と称されているのである。
次に、文学の面でみると、佐渡の日蓮聖人を題材にした戯曲が、田中智学らによって描かれ、東京の歌舞伎座において上演されている。 この聖史劇「佐渡」は、日蓮聖人降誕第七〇〇年の春に稿を脱して、新劇が二五日の本興行を行い、連日大盛況であったと伝えられている。 最初は東京の歌舞伎座で上演されたが、次第に全各地の大小都市でも上演されるに至った。 田中智学が、新文芸協会と坪内逍遙のすすめに応じて稿を進め、日蓮聖人を世に知らしめようとする意図から出来上った。 智学が、聖人の一代の中から特に「佐渡」を選んだのは、「竜口の頚の座で、凡夫の日蓮から本化上行の日蓮に移り代った」とし、佐渡三年の間に三大秘法の宗教を顕示し、一切衆生救済の責任を自覚されたのがこの佐渡流罪中であるとし、「故に佐渡は日蓮聖人一代の中心である」と感じたからであった。 七幕一二場から成り立つこの劇は、御遺文に根拠を求めつつ、脚色された場面も豊富であることを、大正一〇年(一九二一)二月二一日付で著者自身が誌している。
また、武者小路実篤の戯曲に『佐渡の日蓮』がある。 これは昭和三年(一九二八)九月『改造』に発表されたものである。 佐渡在島中の日蓮聖人について、法華信仰に生きる姿と人味溢れる一面とを描いている。 村上浪六は『辻説法の日蓮と配所の日蓮』を著し、「配所の日蓮」の中で、佐渡の配所における聖人の姿を描いている。 更に尾崎紅葉は『煙霞療養』を著したが、その中で、佐渡へ旅行した時のことを記し、随筆風に佐渡の各村各寺を巡った情景を綴っている。 正岡子規の句に、「佐渡へ行く舟呼びもどせ御命講」というのがある。 これも御命講に因んで、佐渡の日蓮聖人を偲んでの作といえよう。
このほか、浪曲や演劇を始めとして、映画等にも「佐渡の日蓮」は数多く取上げられ、歌曲・民謡にも「佐渡の日蓮さま」がわれている。 例えば「佐渡のおけさと、日蓮さまは、誰れも知らない者はない(略)」とあるように、佐渡と日蓮聖人とは切離すことのできないものとして、一般に知れわたっているのである。 俳句・短歌・漢詩等の詩歌にも、もちろん数多くの作品があり、佐渡聖人を詠ったものがあるが、枚挙にいとまがない程である。 阿仏房千日尼と日蓮聖人の史実も、いろいろな面から語られており、物語として発展し、これのみに限ってみても、いくつかの史伝・聖史劇として作品が伝えられている。
《上田本昌『阿仏房について』「印度学仏教学研究」五一号、田中智学『師子王戯曲篇』一輯、田中圭一『日蓮と佐渡』、高橋俊隆『日蓮聖人の歩みと教え』佐渡期、『遺文辞典』歴史篇「佐渡」の項、『日蓮辞典』「佐渡」の項

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