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子規

しき #1648

子規

しき

(一八六七-一九〇二)
慶応三年九月一七日四伊予松山に生れる。
俳人・歌人。
本名正岡常規。
別号を獺祭書屋(だっさいしょおく)主人・偸花児等と称した。
六歳にして父を失い、明治一六年(一八八三)上京して一高、東大に学ぶ。
文に長じ俳誌『ホトトギス』を主宰した。
感化力にも秀れ、多くの俳人・歌人を彼の門下から生んだ。
俳句が日本文学として他の小説・和歌・漢詩・戯曲等に比して独特の一位置をしめるものであることを主張した。
芭蕉蕪村らの先人の的価値を明確にし、写生文を創始し『歌よみに与ふる書』を著して、明治の文壇に新風を送った。
江戸代末期から月並や陳腐に堕した俳句を正道に導き「俳句革新運動」を展開した功績は大きいものがある。
句集『寒山落木』を見ると、「日の人や法師居並ぶ御命講」「佐渡へ行く舟呼びもどせ御命講」といったお会式を詠った句を始めとして、「行く秋を法華経写す手もとどめず」「秋風に桜咲くなり法華経寺」といった日蓮聖人や法華経に関する句がみられる。 特に有名なのは、「鎌倉や日蓮去って初鰹」「日蓮の骨の辛さや唐辛子」といった句である。 文永一一年(一二七四)五月一二日日蓮聖人が鎌倉を発って、草深い甲州身延山へ入られたの句であるが、初鰹のとれる頃であったので、このようにずばりといい表して的確な句となっている。 また聖人正法をどこまでも弘めようとする意志の強さ、法華信仰の骨髄にまで徹しておられたことを「骨の辛さや」と表している。
尚、別に「日蓮の首の硬さや唐辛子」という句も見られる。
更に「日蓮宗四箇格言」と標して、「念仏は海鼠真言は鰒にこそ」という句もある。 諸宗折伏破邪顕正宗旨を詠ったものである。 ぴりっとした辛味と気骨のある聖人の生きざまを描き、諸宗を海鼠や鰒にたとえたあたり、ユーモアも感じられるが、しかしよく特徴を捉えているともいえる。
「日蓮」と題して、「鯨つく漁夫ともならで坊主かな」の一句もある。 安房小湊の漁夫の家から出られた聖人を讃して「大衆の中から出た大衆導師」に感銘を深くしていたことがわかる。
明治三五年九月一九日没、三六歳。
辞世「糸瓜咲いて痰のつまりしかな」。
《上田本昌「俳諧文学と法華信仰」『棲神』三九号、『国史大辞典』一三巻「正岡子規(まさおかしき)」の項》

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