四箇格言
四箇格言
しかかくげん
日蓮聖人の諸宗折伏を標語化した「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」をいう。
しかし日蓮聖人自身はこれを四箇格言と命名したこともなく、またかかる成句を使用したことも僅少である。
遺文中、四箇を揃えて述べた文言を拾うと、文永五年(一二六八)作の十一通御書の一つ『与建長寺道隆書』に「念仏は無間地獄の業、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗は国賊の妄説」(定四三〇頁)、弘安三年(一二八〇)作の『諫暁八幡抄』に「我弟子等がをもわく、我が師は法華経を弘通し給とてひろまらざる上、大難の来れるは、真言は国をほろぼす、念仏は無間地獄、禅は天魔の所為、律僧は国賊との給ゆへなり」(定一八四五頁)等とある位であり、義は多いが、成句は少ない。
四箇が聖人において出揃ったのは佐渡配流以降である。
佐渡配流以前は念仏批判が主であり、真言亡国論は文永一一年佐渡流罪を赦免になり、鎌倉に帰還して幕府棟梁の平左衛門尉頼綱に対面したとき、初めて「殊に真言宗が此国土の大なるわざわひにては候なり。
大蒙古を調伏せん事真言師には仰付らるべからず。
若大事を真言師調伏するならば、いよいよいそいで此国ほろぶべし」(定一〇五三頁、『撰時抄』)とて真言宗に対して亡国の名を与えたということを江戸中期の一妙日導が『祖書綱要』の「第八佐前未破両家真言章」の中で指摘した。
『昭和定本遺文』によると東密批判は既に佐渡配流前からあるにはあるが、文永八年の『行敏御返事』所載の行敏難状は聖人の律宗・念仏宗・禅宗の三宗批判に対する批難を挙げて、真言宗批判を欠くから、この時点では聖人の真言宗折伏はまだ世間には流布していなかったことになり、かつ真言宗に亡国の名を与えたのは、右の時が最初である。
顧みれば先引の『与建長寺道隆書』に「真言は亡国の悪法」とあるのは破格である。
四箇格言の基盤は爾前無得道論にある。
この論は『立正安国論』作成のための準備時代、つまり正嘉元年(一二五七)以降の四年間に撰した遺文に集中的に現れる。
爾前無得道とは、天台大師の五時八教判により、法華以前の華厳・方等・般若の諸大乗経は円教に蔵・通・別の三教を兼帯しており、折角の所具の円教も兼帯の三教に引かれて通教・別教に堕し、得道不能の教えとなる。
故に純円の法華によらねば得道できないという教義である。
念仏・禅・真言は方等部、律は阿含部であるから、すべて爾前経に所属し、従って無得道の教である。
この爾前無得道論を基盤とし、それを各宗の特徴に合わせて換言すれば四箇格言となる。
即ち法然浄土教は往生浄土を人生の唯一の目的とするから、これを批判する場合の標語としては往生浄土の真反対の堕無間地獄を配当するのが最も痛烈である。
禅宗(特に祖師禅)は教外別伝不立文字を標榜して涅槃妙心の以心伝心面授口決を重んじ、経典を軽視するところは仏心ではなくて、天魔の所作であるとする。
真言宗は死後の問題よりも、現世の安穏を祈祷修法によって獲得しようとする。
故に安国とは逆の亡国を招く悪法であると規定した。
律宗は奈良・平安時代を通して国宝の養成を任務とした。
故に国宝とは逆の国賊であると立てたのである。
(一)に念仏批判は既に立教開宗前の二一歳作の『戒体即身成仏義』の法華開会の戒体の項に「法華経は理深解微、我が機に非ず」とする法然に対する批判(定一一-二頁)が見える。
開宗以後では法然の『選択本願念仏集』を批判した専門書に三八歳作の『守護国家論』があり、念仏批判に関する大体の内容が出揃っているが、恵心僧都源信の『往生要集』を中心とする天台念仏に対しては「日本国の源信僧都は(略)多くの書を造れども皆法華を弘めんが為なり」(定一〇四頁)とてまだ寛容である。
これは『往生要集』の後に『一乗要決』の著があることを指す。
また源信の念仏は「往生の業の中に於て菩提心・観念の念仏を以て最上と為す」(同頁)ところに、菩提心を三福の一に数え雑行の一として捨てる法然の称名正業との違いがあり、法華の前方便としての価値があるとする。
これをも否定されたのは『撰時抄』(定一〇三一・一〇四一・一〇四七頁)以後である。
法然念仏批判の主たる論点は、
(1)教判=聖道門は末代凡夫にとって理深解微であり難行道であるとして捨閉閣抛し、浄土門を機教相応の易行道として法然は選取したが、この方法は例えば種子の良否を選別(教法の浅深)せず、種子を蒔くべき時機(時)のみを考えるのと同じであって、弘教救済としては徒労に終るとし、聖人はやがて五義(ごぎ)判を創案する。
もし教法の浅深にかければ、浄土三部経は方等部に属し、法華に及ばない。
(2)宗教の人類に対する役割=法然は往生浄土を人生の唯一の目的とし、称名をそのための唯一の手段とするが、宗教の役割は死後よりも現実の人間の生き方の指導にある。
故に法然念仏を邪法として指摘する『守護国家論』『立正安国論』の題名は往生浄土の反対を示している。
(3)信仰の対象たる仏=阿弥陀仏は西方浄土の教主であって、娑婆の教主ではない。
現実の娑婆の我等凡夫にとって、主師親は教主釈尊のみであり、弥陀を信仰するのは、恰も親父をすてて叔父を信頼するに等しい。
(4)現証=浄土に生れるはずの念仏者の臨終を見るに、臨終正念ではなく、かえって悪相を呈しているから、念仏の利益は疑わしい。
(5)当世念仏=法然は専修念仏を勧めたが、その後他宗および日蓮門下からこれを種々に非難された結果、当世では天台念仏と同様、諸行往生を許すに至った。
しかしこれは師違背の罪に当たると。
かくて聖人は『善無畏三蔵鈔』に「建長五年より今年文永七年に至るまで十七年が間是を責たるに、日本国の念仏大体留り了ぬ。
眼前に是れ見えたり」(定四六五頁)とて、法然念仏批判の宗義完了を告げ、佐渡配流後は批判の主力を真言密教に向ける。
(二)に禅宗批判は、『善無畏三蔵鈔』に「建長五年の比より(略)禅宗と念仏宗とを難ずる故に」(定四七三頁)等とあるから、立教開宗時に念仏と共に禅宗をも批判されたものと思われる。
従って建長七年作の『蓮盛鈔』『諸宗問答鈔』に禅宗批判が見える。
また『立正安国論』には禅宗批判が見えないが、『法門可申鈔』に「故最明寺入道に向て、禅宗は天魔のそい(所為)なるべし。
のちに勘文もてこれをつげしらしむ」(定四五五頁)とあるから、『安国論』献上以前に北条時頼に対面して禅天魔の旨を告げたことがわかる。
また『念仏者追放宣状』所収の「山門申状」に「近来二の妖怪有り、所謂達磨の邪法と念仏の哀音と也」(定二二七一頁)とあるから、念仏宗と共に禅宗も亦鎌倉新興の仏教として、旧仏教の立場から批判されたわけである。
禅宗の張本として糺弾される人師は栄西や道元らにあらず、大日仏陀なる人物であった(定二四五・四二三・四五三・六〇七・六一五頁)。
その禅は曹洞・臨済等の宗にあらず。
聖人の分類では禅に三種あり。
一に如来禅、釈尊入滅に当り心印を迦葉に付属し、以下二十八祖相伝して達磨に至るをいう。
二に教禅、達磨は『楞伽経』、三祖僧璨は『無行経』、五祖弘忍は『金剛経』、六祖恵能は『壇経』にそれぞれ拠るをいう。
三に祖師禅、達磨が嵩山少林寺にて面壁九年、教外別伝したる所を二祖慧可に相続し、次第して東土六祖に至るをいう。
ただし『一代五時継図』(定二四一四頁)では、教禅を祖師禅に編入し、如来禅と祖師禅との二種を立てる。
聖人の批判はこの両禅にわたる。
批判の要点は、
(1)教外別伝不立文字、これもと『大梵天王問仏決疑経』(偽経)の文であり、ここから修多羅の教は月を指す指というが、教を離れて理なし。
言語を離れては仏教は伝え難い。
(2)是心即仏・即心是仏というが、これは不二を立てて而二を知らざる謂己均仏の大慢に外ならない。
(3)依経、『楞伽経』等は方等部の経であって、法華に及ばない。
天魔の語は『涅槃経』七(南本)邪正品の「若し仏の所説に随順する者あれば当に知るべし、是等は真の我が弟子なり、若し仏の所説に随はざる者あれば是れ魔の眷属なり」の文より採語(『蓮盛鈔』『行敏訴状御会通』)。
(4)禅勝止観、『立正観鈔』(定八五一頁)によると、当時の天台宗の中には「止観は法華経に勝り、禅宗は止観に勝れたり」と思って法華経を顧りみない輩が居たことに触れ、簡単に破しておられる。
なお日本国に禅宗が興盛した原因については、『撰時抄』(定一〇四一頁)に五大院安然が『教時諍論』に九宗判を立て、第一真言宗、第二禅宗、第三天台法華宗と判じた結果であると。
(三)に真言宗批判。
一妙日導が『祖書綱要』で「佐前未破両家真言章」を立てて以来、真言宗批判は佐後であるという大判が一般通念化しているが、真言宗に東寺密教と天台密教とある(『顕謗法鈔』)中、東寺密教とその元祖たる弘法大師空海、および中国真言宗の善無畏・金剛智・不空に対する批判は佐前にも多い。
既に文応元年の『立正安国論』の冒頭に「有は秘密真言の教に因りて五瓶の水を灑ぎ」とあるのを始めとして、同年の『唱法華題目鈔』(定一九七頁)には大日経を不了義経とし、同年の『一代五時図』(定二二八二頁)には真言三部経を方等部に属せしめ、伊東配流中の『教機時国鈔』は空海を堕無間の者(定二四三頁)とし、『顕謗法鈔』には十住心教判(定二六四頁)、畏・智・空批判(定二七〇頁)がある。
文永二年の『薬王品得意鈔』には真言三部経を含めて一切経中法華第一の義(定三三七頁)、同三年(七年説もある)の『法華題目鈔』には大日経等の一切の功徳を収めて妙法五字に帰し(定三九六頁)、同年の『善無畏鈔』には善無畏批判、『大日経義釈』批判(定四〇八-四一一頁)、同六年の『法門可申鈔』には一念三千の盗法(定四四九頁)、台東両密批判(定四五一頁)、同年頃の『一代五時図』には真言三部経の方等部、その人師として畏・智・空・慧果・弘法・慈覚・智証を列名し(定二三〇〇頁)、これを不依人の人師とし(定二三〇三頁)、『浄土九品之事』には空海の五蔵教判批判(定二三一一頁)、同七年の『小乗小仏要文』には大日経を小乗、大日如来を小仏(定二三一九-二〇頁)と貶し、同八年の『寺泊御書』には「諸宗の中、真言宗殊に僻案を至す」とて印真言なき経を下すは外道の如し、謗法の失あり(定五一三-四)とて、諸宗の中で真言宗を批判の中心に据える意向が見え始める(なおその他の遺文にも真言批判は見えるが、今は真蹟ないし信頼するに足る古写本現存のもののみによった)。
一方、台密の元祖たる円仁・円珍批判は、伊東配流中の『顕謗法鈔』に円仁の「法華経は理秘密、大日経は事理倶密」(定二六四頁)の言を似破とし、文永五年の『一代五時図』には先引の如く、円仁・円珍を真言宗の人師に算入して不依人の人とするが、文永六年の『法門可申鈔』では円仁は最澄と共に「真言宗の名をけづり、天台宗を骨とし、真言をば肉となせる」(定四五二頁)正師とされる故、佐前はまだ円仁・円珍を公然と批難するところまでは踏切られていないといえる(『法華真言勝劣事』『真言七重勝劣』は除外する)。
佐渡在島中では円仁名指しの批判は、『開目抄』の「慈覚大師等の真言勝たりとをほせられぬれば、なんどをもえるはいうにかいなき事なり」(定五八五頁)と、『祈祷鈔』の「又慈覚大師御入唐以後、本師伝教大師に背かせ給て」(定六八六頁)以下日輪を射た夢の批判があり、都合二書のみである(『最蓮房御書』『真言見聞』は除外する)。
身延入山後は『撰時抄』『報恩抄』『下山御消息』『慈覚大師事』等に詳細な円仁・円珍・安然批判も展開される。
次に主たる真言批判の論点は、
(1)教判、空海の『十住心論』の法華三重劣に対しては真言七重劣を立てる。
『秘蔵宝鑰』の法華戯論・無明之辺域に対してはその出処たる『釈摩訶衍論』非龍樹作を以て破斥、『弁顕密二教論』の『六波羅蜜経』による五蔵説に対しては文中の「震旦人師等諍盗醍醐」の句を取挙げ、『六波羅蜜経』は天台以後の訳出である故、天台がその醍醐を盗むことは不可能であり、天台の醍醐論は『涅槃経』によると指摘。
円仁・円珍の教判には理同事勝と命名して、理同とは天台の一念三千を『大日経疏』が盗用した故に理同となったのであり、理の上に加上すべき法は存在しないのに事勝と立てたことは道理に反すると応酬、特に円珍に対しては『報恩抄』で『大日経指帰』の大日経最勝説と『授決集』の中の大日経は法華の接引門とする説との矛盾を指摘する。
(2)教主、空海が『二教論』で大日法身勝・釈迦応身劣としたことに対しては、これは未顕真実の『楞伽経』による説の故に「いみじくもなし」(定四八〇頁)と。
また法身の無始無終は諸経の常談であって誇るにたらないという批判が『法華真言勝劣事』(定三〇八頁)『開目抄』(定五五三頁)にある。
(3)行迹、空海に対してはその誑惑性が常に批判の対象として取挙げられ、円仁に対しては射日輪の夢想、死後に墓なき事に対する批判が印象的である。
(4)亡国の現証、承久の乱と蒙古襲来。
(四)に律宗批判。
最澄の大乗戒に対してではなく、奈良朝以来の鑑真創立の四分律宗に対して国賊の貶称を与える。
国賊は国師の反対後であり、律僧が国師を自称していることについては『下山御消息』に「一戒もたもたぬ名計りなる二百五十戒の法師原有て、公家・武家を誑惑して国師とのゝしる」(定一三一七頁)とある。
律宗の祖は中国の道宣、日本の鑑真であるが、彼等に対しては批判の鋒をむけず、当世の律宗の代表たる極楽寺の良観房忍性に対して専ら厳しい批判を浴びせる。
忍性は南都の小乗戒を復興した叡尊の高弟で、身には二百五十戒を持ち、外には病院を起し伽藍を建て橋を架け路を拓く等の救済事業を行って、上下萬民から生身の如来と尊まれているが(『聖愚問答鈔』)、実は僣聖増上慢(『与極楽寺良観書』)にして、常に日蓮聖人を上に讒訴し(『行敏訴状御会通』『報恩抄』)、文永八年夏の干魃に雨を祈って失敗(『下山御消息』『頼基陳状』)したことは、忍性が真の聖人でない現証であると。
また四分律は小乗律であり、阿含部に属する浅近の法にして、末法には無用であることは『末法燈明記』の「持戒は市の虎」の言に明らかである。
何よりも既に伝教大師に破され終った宗教であるから、事新たに破するに及ばずと。
《日向『金剛集』(『宗全』)、浅井円道「宗祖対法然房」『大崎学報』一二八号、同「日蓮の弘法大師観」『日本仏教学会年報』四〇号、同「日蓮聖人の日本天台史観について」『日蓮聖人研究』、『遺文辞典』教学篇「念仏無間」「禅天魔」「真言亡国」「律宗国賊」の項、『日蓮聖人大事典』「日蓮聖人と摂受折伏・四箇格言」の項、『日蓮辞典』「四箇格言」「念仏者追放宣状事」の項、『国史大辞典』六巻「四箇格言」の項》
(浅井円道)