仏陀
仏陀
ぶつだ
梵語のBuddhaを音写したもので仏のことをいう。
仏駄・浮陀・浮屠・浮図・浮頭・没駄・歩他・馞陀などと表し、一般には「ほとけ」といわれている。
宇宙法界の真理を悟った者、という意味から覚者・知者とも称される。
(Buddhaという言葉は、「目覚める」のサンスクリットの語根budh[ブドゥ]に、過去受動分詞を作る縁語 -taで、Buddha「目覚めた者」の意味)
また正しく一切の法を知り、すべての法相を実際あるがままに知見されたので正覚・正遍知ともいわれ、さらに世間の道理にもよく通じているので世間解、この上なき大丈夫の者であるから無上士・調御丈夫、一切の煩悩を断破し欲望から離れた存在であるから世雄、などとも称されている。
また人天の師匠であり、世に尊い存在であるところから天人師・世尊とも称され、迷いの世界をよく超えていくので善逝、真如にしたがって来たものであるので如来ともいわれている。
よく一切衆生の供養を受けるにあたいする高徳の存在であるから、応供といわれ、行業が悉く円満具足して失(とが)がないことから、明行足ともいわれている。
諸法の実相をきわめ尽し、甚深微妙の法を得た無上等正覚の者をいうのである。
古くからインドに応現したゴータマ・ブッダ(Gautama Buddha)のことを仏陀と称している。
この仏陀は釈迦牟尼仏・釈尊とも称され、能忍・能仁と訳されている。
釈迦というのは種族の名であり、牟尼は覚者・聖者の意味であるから、釈迦族の聖者・覚者という意味である。
この仏教の教祖たる釈迦牟尼仏陀は、迦毘羅城(現在のネパール国タライ地方、テイラウラコット付近)の浄飯王の王子として周の昭王二四年(B・C一〇二九)四月八日に生れ、幼名を悉達多と称した。
母の摩耶夫人は産後七日目に世を去ったので、夫人の妹たる摩訶波闍波堤(憍曇弥)によって養育された。
長じて従妹の耶輸陀羅と結婚し、一子羅睺羅をもうけたが、一九歳で生老病死・人生の無常を感じて出家を決意し、ついに王子の地位を捨て沙門となり、苦修練行に入った。
しかし苦行では悟りを得ることはできないことを知り、伽耶城の近くにある菩提樹(畢鉢羅樹)の下で端座し静観を積んで、三〇歳の一二月八日、暁に正覚をえられ、仏陀となったのである。
爾来、多くの衆生のために諸の教えを説き、救済の活動に入っていった。
即ち大覚世尊は成道のあと、三七日間菩提樹の下で三昧に入り、解脱の境界を自受された。
この時の心境を菩薩たちに説き示したのが『華厳経』である。
次に鹿野園へおもむき四種の『阿含経』が説かれ、更に方等部の各教典が説かれて行き、中インドの各地を回って教化が続けられ、霊鷲山において『法華経』が説かれ、究極の法門が説き示されていったのである。
最後に『涅槃経』を説かれた仏陀は、倶尸那城外の沙羅双樹の下で、八〇歳の生涯を終えられた。
仏滅年については、紀元前三八六年説(宇井伯寿)と、紀元前三八三年説(中村元)等の説があるが、鎌倉時代では周の穆王五二年(B・C九四九)二月一五日入滅というのが通説となっていた。
日蓮聖人によれば仏陀が四十余年間にわたって説かれた諸経は、すべて法華経に導き入れるための方便権教であり「いまだ真実を顕していない教え」であるとする『無量義経』説法品の文を重視し、法華経こそ仏陀が真実を開顕した経典であるとみなしているのである。
寿量品の中で仏陀は一切世間の天人及び阿修羅が、みな今の仏陀は釈氏の宮を出て、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと思っているが、実は成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫であると、久遠実成の本地を開顕したのである。
法華経に来て仏陀は初めてこの久遠の過去に、実は悟りを開き無量劫の永きにわたって、無辺の衆生を教化し救済し続けて来たことを明らかにされたのである。
久遠実成を説き示した法華経寿量品の意義は特に大きいものがあり、仏陀を論ずるに当っては、不可欠の経典であるといわなくてはならないのである。
日蓮聖人はこのことを『開目抄』の中で、法華経以前の経典では「二乗作仏を隠すのみならず、久遠実成を説きかくさせ給へり」とし、諸経では二乗の作仏も、仏の久遠実成も説かれていないので「二つの失あり」としている。
またこの二つの大法は「一代の綱骨・一切経の心髄なり」とし迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説て爾前二種の失一つを脱たり、しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらはれず、二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波上に浮へるににたり」(定五五二頁)と述べているごとく、二乗作仏も一念三千の法門も、実はこの久遠実成が顕示されたことによって、まことの法門として定まることになったのであるとしている。
いかに久遠実成の仏陀が大きな意義をもっているかを知ることができよう。
この仏のことを「久遠本仏」と称しているのであるが、本仏に対すれば華厳の時の十方台上の盧舎那仏、阿含の時の三十四心断結成道の仏、方等・般若の時の千仏、大日・金剛頂等の千二百余尊、並びに迹門宝塔品の四土色身、涅槃経の丈六の仏等は悉くこの寿量品の本仏の分身であり、散体であって「寿量の仏の天月しばらく影を大小の器にして浮べ給ふ」たものとみなしているのである。
仏陀の本地は久遠本仏であって、この本仏が一番の源になる仏であることがわかるのである。
しかもこの仏陀の本地たる久遠本仏は「一切衆生の大導師・大眼目・大橋梁・大船師・大福田等」であって、外典外道の四聖三仙に比較すれば、彼らは「其の名は聖なりといえども実には三惑未断の凡夫」であって、彼らを船として生死の大海をわたることは困難であるとしている。
「此仏陀は三十成道より八十御入滅にいたるまで、五十年が間一代の聖教を説き給へり。(略)されば一代五十余年の説教は外典外道に対すれば大乗なり」(定五三八頁)とあって、儒教・バラモン教の聖者とも比較し、教説とも比べて共に仏陀の教説の方が秀れていることを論じている。
『開目抄』の中では、更に仏教の中でも「ただ法華経ばかり教主釈尊の正言なり」ということを詳説している。
この教主釈尊というのは、法華経本門の教主たる釈尊のことであり、仏陀と一般に称されている仏の、本地が開顕された本仏釈尊のことにほかならないのである。
また日蓮聖人は『観心本尊抄』の中で、仏陀について迹門・爾前の教主釈尊と、本門の教主釈尊とについて論じている。
即ち迹門・爾前にあっては、因行を尋ね求めれば三千塵点劫の間、修行を積み重ねて来たのであり、果位を論ずれば始成正覚の仏であって、四十余年間の説法であったとしている。
これに対し本門では五百億塵点劫已前の仏であって因位もまたこの如くであり、久遠以来、十方世界に分身して広く演説し塵数の衆生を教化して来たことを明らかにしている。
この仏のことを「本門の釈尊」といい、『報恩抄』では「本門の教主釈尊」といって「本門の本尊」とすべきことを明らかにしている。
従って日蓮宗では久遠実成の本仏である本門の教主釈尊をもって、本尊と定めている。
また『四条金吾釈迦仏供養事』によると、仏には五眼(肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼)が備っていることを『普賢経』の文によって述べ、更に仏身には三種身があって、人天の福田であり、応供の中の最たるものであるとしている。
その三身というのは「一には法身如来、二には報身如来、三には応身如来なり」とあり、この三身は一切の諸仏は必ず相い具しているのであって「譬へば月の体は法身、月の光は報身、月の影は応身にたとう。一の月に三のことわりあり。一仏に三身の徳まします」(定一一八三頁)と仏陀の三身説をあげている。
「この五眼三身の法門は法華経より外には全く候はず。故に天台大師の云く、仏三世に於て等しく三身あり、諸教の中に於て、これを秘して伝へず云云。此釈の中に於諸教中とかかれて候は、華厳・方等・般若のみならず、法華経より外の一切経なり。秘之不伝とかかれて候は、法華経の寿量品より外の一切経には教主釈尊秘て説き給はずとなり」(同)とあるように「三身円満の古仏」は、法華経の寿量品以外には説かれておらず、五眼三身の寿量品の仏をもって、最高究極の仏身となすのである。
三身の法・報・応が別々に存在するのではなく、一仏の中に三身が具足されているので、三身円満具足の本仏というのであり、この本仏は寿量品以外の経典には、全く説かれていないものであるとするのである。
従って『法華真言勝劣事』には「諸経には始成正覚の旨を談じて、三身相即の無始の古仏を顕さず」(定三〇六頁)と述べている。
また『開目抄』では、この三身円満具足の古仏は主・師・親の三徳を備えた仏であって、一切衆生にとって主であり、師匠であり、親の徳を備えているのであって、この寿量品の本仏を知らずにいることは、自分の主君や師匠や親を忘れてしまったのと同様であり、禽獣と同じで不知恩の者であるとしているのである。
日蓮聖人が信仰の対象とされた仏陀世尊は、このように久遠実成の本仏釈尊をもって当てられ、法華経をもって最勝の教えとし、本仏をもって無上最尊としたのである。
なお一般に仏陀の徳行・慈悲の広大無辺なことを証するために、身に三十二相・八十種好を備え、無量の神力を具し、三世十方をあまねく照覧して、智慧は法界に遍く、人天を始め総てのものの大導師であり、救済主であると称されている。
このため各経論では仏陀のことを、さまざまな尊称を用いて表している。
例えば一切遍知不思議身、大慈悲者、三藐三仏陀、天中天、無上身等がそれである。
要するに仏陀として人類の歴史上に出現したのは釈迦牟尼仏一仏であるが、諸経典によって諸仏が説かれ、それぞれに尊称されて来ているが、前述の通りに「寿量品の仏」によって、三世十方の諸仏はすべて統一され「久遠実成の本仏」と称されているのである。
《『遺文辞典』歴史篇「仏陀・仏駄」の項、『広説仏教語大辞典』「佛陀」の項、『岩波仏教辞典』「仏陀」の項》
(上田本昌)