始成正覚
始成正覚
しじょうしょうがく
「始めて正覚を成(じよう)ず」とよみ、インドに応現の釈尊が初めて菩提樹の下で悟りを開かれたことをいう。
この釈尊の寿命は限りあるものであるが、法華経の如来寿量品には「然るに善男子よ、我実に成仏してより已来(このかた)、無量無辺百千万億那由佗劫なり」と、釈尊みずから始成正覚であることを開して、久遠の寿命を顕されたのである。
日蓮聖人はこの寿量品に開顕された久遠実成の釈尊を本尊と崇めて、信仰の根本に置かれている。
それゆえ法華経已前に説かれた爾前経と迹門の教主を寿命に限りある応身仏と見なされて、方便権経の教主として位置づけられている。
つまり法華経本門で開顕された久遠実成の本師釈迦牟尼仏を本仏と崇め、余教の一切の教主を始成正覚の仏、迹仏とされたのである。
『開目抄』には、久遠実成が開顕される以前は「諸仏釈尊に肩を並べて各修各行の仏」(定五七六頁)であって、そこには仏の勝劣はみられないが、寿量品の「然善男子」と発迹顕本されることによって、一切の諸仏はこの久遠本仏の分身となり「華厳の台上、方等、般若、大日経等の諸仏は皆釈尊の眷属」(定五七六頁)となることが説かれ、明らかに寿量品の仏の超勝性が示されている。
《『遺文辞典』教学篇「始成正覚」の項、『日蓮辞典』『天台学辞典』「始成正覚」の項》