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聖人

しょうにん #4503

聖人

しょうにん

(1)聖者、聖(ひじり)ともいい、無漏智を生じて四諦を観ずることのできる能力、及びそれ以上の能力をもつた人。 聖智を得た見道以上の人。 日蓮聖人は『浄蓮房御書』に「華厳経は二乗のため、法華経・涅槃経等は五乗にわたれども、たいし(大旨)は聖人のためなり」(定一〇七二頁)とあるのは、聖智を得た人のことをいう。 『顕謗法鈔』(定二五二頁)『報恩抄』(定一二三七頁)にもこの用例が見える。

(2)菩薩または権化の人。 日蓮聖人は釈尊のことを聖人といわれる。 『開目抄』には「其故は世尊は実語の人なり。 故に聖人・大人と号す」(定五四三頁)と記されている。
日蓮聖人は儒教でいう「聖人(せいじん)」、あるいは徳のある人を表す「聖人(せんじん)」と「聖人(しようにん)」とを明確に区別されていた。 『撰抄』には「外典に云く、未萠をしるを聖人(せいじん)という。 内典に云く、三世を知るを聖人(しようにん)という」(定一〇五三頁)と、事前に物事を知るを「せいじん」、過去・現在・未来の三世を知るを「しょうにん」と定められた。 儒は「いまだ過去未来を一分もしらず。 (略)但現在計りしれる」ものであつて、それ故に「過去未来をしらざれば、父母・主君・師匠の後生をもたすけず、不知恩の者」(定五三六頁)だという。 外道は「過去二生・三生・乃至七生・八万劫を照見し、又兼て未来八万劫をしる」(定五三七頁)が、「過未をしれども父母を扶る道」(定五九〇頁)はないのであつて、仏道こそ三世を明らかにし、父母の後世を扶けるのであるから内典孝経であると述べられている。 このように儒・外・内の同異を『開目抄』で判ぜられ、更に『聖人三世』ではこれを一層明らかにさせた。 ち「聖人と申すは委細に三世を知るを聖人と云ふ、儒の三皇・五帝竝びに三聖は但現在を知て過未を知らず。 外道は過去八万・未来八万を知る。 一分の聖人也」といい、蔵・通・別の前三教の聖人を出し、法華経迹本二門を説かれた教主釈尊こそ真の聖人なることが説かれる。 ち「法華経の迹門は過去三千塵点劫を演説す。 一代超過是也。 本門は五百塵点劫・過去遠遠劫をも之を演説し、又未来無数劫のをも宣伝す。 之に依て之を案ずるに、委く過去を知るは聖人の本也。 教主釈尊は既に近くは却後三月の涅槃を之を知る。 遠くは後五百歳広宣流布疑ひ無き者歟」(定八四二頁)と述べられたのである。
このように教主釈尊は真の聖人であるから、滅後末法を鑑みて本化地涌の菩薩に付嘱し、この付嘱に応えて末代に地涌の菩薩が応現することもまた真実のものとなると日蓮聖人は受けとめられたのである。 そして受難・色読を経られた日蓮聖人は自らもまた、聖人という自覚に立たれる。 『聖人三世事』には仏滅後末法今時に、法華経の行者として未萠の大難を知る日蓮こそ「閻浮提第一の聖人」(定八四三頁)である道理と現証を顕され、また『四条金吾殿御返事』には「今こそ仏の記しをき給ひし後五百歳、末法の初、況滅度後の時に当りて候へば、仏語むなしからずば、一閻浮提の内に定めて聖人出現して候らん」と、聖人出現の必然性を示され、『上野殿御返事』(定一三〇八頁)『諫暁抄』(定一八五〇頁)にも同意が叙述されている。

(3)智徳を兼ね備え、仏法流布に尽力せる僧・高僧・聖者の敬称。
日蓮聖人伝教大師法華経の行者として、また自己の師範として仰がれ、これを「聖人」と敬称される。 『撰抄』に「されば伝教大師は其功を論ずれば龍樹・天親にもこえ、天台・妙楽にも勝れてをはします聖人なり」(定一〇一五頁)「今日本の七寺二百余人は伝教大師を聖人とがうしたてまつる」(定一〇二八頁)という用例があり、『四信五品鈔』にも「爰に延暦年中に一(ひとり)の聖人有り此の国に出現せり、所謂伝教大師是也」(定一二九九頁)と記されている。 また一般的な高僧の意味で用いられている例として『新池殿御消息』(定一六四三頁)を挙げることができる。

(4)日蓮門下の人々が宗祖(日蓮)を呼ぶ場合は「日蓮聖人」あるいは「聖人」が一般的のようである。 その用例は『頼基陳状』(定一三四六、一三五〇、一三五二-三頁他)、『瀧泉寺申状』(定一六七八頁)等に見られる。 日蓮聖人滅後になると大聖人法主聖人・法主聖人の呼称が見られる。

(5)また日蓮聖人自身も檀越の秀れた信者に対して、聖人号を授けられている。 例えば、大田乗明に「乗明聖人」(定一三〇〇頁)と呼称され、弘安二年(一二七九)七月二七日の書簡には「乗明上人」(定一六五二頁)とも記されている。 あるいは女人の身で佐渡の日蓮聖人を訪ねた乙御前の母に「日妙聖人」(定六四七頁)の称号を与えられている。 つまり僧俗の区別なく聖人号を与えられているのである。
《『遺文辞典』歴史篇「聖人(しょうにん)」の項、『日蓮辞典』「聖人」の項》

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