外道
外道
げどう
インドにおける仏教以外の教をさす。
仏教では仏教以外の宗教や思想を外道・外教・外法・外学などと呼び、自ら仏教のことを、内道・内教・内法・内学などと呼んだ。
仏教徒は当然のことながら、仏教以外を正しい教とは認めなかったので、外道というと異端・邪教の徒をさすようになった。
外道の原語はパラ・プラヴァーディンpara-pravādin「他の教えを奉ずるもの」という意味で、その他、アニヤ・ティールティカanya-tīrthikaアニヤ・ティールティヤanya-tīrthyaいずれも「他の道を行くもの」という意味である。
外道として一般に知られているものに、六師外道、六派哲学派(数論(すろん)・瑜伽(ゆが)・勝論(かつろん)・正理(しようり)・声論(こえろん)・吠檀多(べいだんた))がある。
釈尊に前後して多くの思想家が現れた。
彼らは従来の伝統的バラモン教に対する批判者として登場した。
そのうち特に有名な思想家は、アジタ・パクダ・プーラナ・ゴーサーラ・サンジャヤ・マハーヴィーラの六人のいわゆる六師外道である。
アジタは毛髪でつくった衣をまとった苦行者で、人間が死ぬと、その身体は地・水・火・風の四元素に帰入し、屍が焼かれると骨だけが残るだけで死後には何も残らない。
従って現世も来世も存せず、善業あるいは悪業をなしたからとて、その果報を受けることもない。
このような唯物論・快楽論の思想を、インド一般に順世派(ローカーヤタ)あるいはチャールヴァーカと呼んでいる。
パクダの唯物論は、更に徹底したものであった。
彼は人間の身体は地・水・火・風の四元素と苦・楽・生命という七要素から構成されていると考え、仮に剣で人を切っても剣が七つの要素の間を通過するだけのことで、世の中には殺すものも殺されるものも存在しないと説いた。
ゴーサーラは、アージーヴィカ教(邪命外道と呼ぶ)という宗教の指導者であった。
彼は人間始めあらゆる生物の意志や努力は無意味であると考えた。
即ち患者も賢者も無限に流転し、輪廻して苦の終りに至る。
その期間においては修行によって解脱することはあり得ないという決定論を説いた。
サンジャヤは形而上学的な問題に対して、ことさらあいまいな答弁をして確定的な返答を与えなかったという。
彼のような所論は「鰻のようにぬらぬらして捕え難い議論」と呼ばれ、また確定的な知識を与えないという点で不可知論とも称せられる。
また仏教とならぶ大宗教となったジャイナ教の開祖マハーヴィーラは、事物に関しては絶対的なあるいは一方的な判断を下してはならないと主張した。
即ち相対的なものの見方(不定主義)を説き、ヴェーダ聖典や祭式の規定を絶対視し、カースト制の遵守を主張するバラモン教学を批判した。
以上が六師外道であるが、この他、次のような分類がある。
(一)外道四宗=
(1)一切法は同一なりと説く数論外道。
(2)一切法は別異なりと説く勝論外道。
(3)一切法は同一にして亦別異なりと説く尼犍子外道。
(4)一切法は同一にして亦別異なりと説く苦提子外道。
(二)六種苦行外道=
(1)自我外道、飲食を節して饑餓を忍ぶもの。
(2)投渕外道、身を渕に投じて死ぬもの。
(3)赴火外道、常に五熱をもって身を炙るもの。
(4)自座外道、常に裸形にして寒暑に拘らず露地に坐すもの。
(5)寂黙外道、屍林塚間をもって位処として常に寂黙語らざるもの。
(6)牛狗外道、牛の犬の真似をして生天を願うもの。
(涅槃経巻一六)。
(三)外道十六宗=
(1)因中有果宗(雨衆外道の説)、
(2)従縁顕了宗(声論・数論一派の説)、
(3)去来実有宗(勝論・時論外道の説)、
(4)計我実有集(数論・勝論・離繋等の一切の外道及び小乗犢子部の説)、
(5)諸法皆常宗(数論外道等の説)、
(6)諸因宿作宗(離繋外道すなわちジャイナ教の説)、
(7)自在等因宗(大自在天外道の説)、
(8)害為正法宗(肉食のために殺生をも生法とする説)、
(9)辺無辺等宗(世界の有限・無限等を主張する説)、
(10)不死矯乱宗(サンジャヤの詭弁論)、
(11)諸法無因宗(無因外道説)、
(12)七事断滅宗(断見外道説)、
(13)因果皆空宗(空見外道説)、
(14)妄計最勝宗(バラモンは最勝なりとする説)、
(15)妄計清浄宗(現法涅槃外道等の説)、
(16)妄計吉祥宗(暦算外道説)(儀林章巻一本、瑜伽論巻六・七の説)
(四)二十種外道=
(1)小乗外道、人の死を燈火の滅する如しと計するもの。
(2)方論師、方角をもって諸法の生因と計するもの。
(3)風論師、風をもって万物の生因と計するもの。
(4)韋陀論師、韋陀経所説の梵天をもって万物の生因と計するもの。
(5)伊賖那論師、伊賖那夫をもって万物の生因と計するもの。
(6)裸形外道、裸形をもって正行となすもの。
(7)毘世師、即ち勝論師なり。
(8)苦行論師、苦行をもって涅槃の正因となすもの。
(9)女人眷属論師、摩醯首羅天まず女人を作りて一切万物を生ずと計するもの。
(10)行苦行論師、罪福功徳すべて尽くるを涅槃と計するもの。
(11)浄眼論師、智をもって涅槃となすもの。
(12)摩陀羅論師、那羅延天をもって万物の父と計するもの。
(13)尼犍子外道、初め一男一女を生じ、此二和合して一切万物を生ずと計するもの。
(14)僧佉論、即ち数論師なり、(15)摩醯首羅論師、摩醯首羅天をもって万物の生因と計するもの。
(16)無因論師、万物は無因にして然りと計するもの。
(17)時論師、万物は時より生ずと計するもの。
(18)服水論師、万物は水をもって本とすと計するもの。
(19)口力論師、虚空の力をもって万物を生ずと計するもの。
(20)本生安荼論師、安荼より万物を生ずと計するもの。
(外道小乗涅槃論、三蔵法数四六)。
(五)三十種外道=
(1)時外道、
(2)五大外道、
(3)相応外道、
(4)建立浄外道、
(5)不建立無浄外道、
(6)自在天外道、
(7)流出外道、
(8)尊貴外道、
(9)自然外道、
(10)内我外道、
(11)人量外道、
(12)遍厳外道、
(13)寿者外道、
(14)補特伽羅外道、
(15)識外道、
(16)阿頼耶外道、
(17)智者外道、
(18)見者外道、
(19)能執外道、
(20)所執外道、
(21)内知外道、
(22)外知外道、
(23)社怛梵外道、
(24)摩奴闍外道、
(25)摩納婆外道、
(26)常定生外道、
(27)声顕者外道、
(28)声生者外道、
(29)非声外道。
以上二九種の外道に総我を加えて三十種の外道を数える(大日経疏一二・十住心広名目)。
(六)九十五種外道と九十六種外道=
六師外道に各一五人の弟子があるから九〇人となり、これに六師を加えて九六種を数える。
その数え方には異説が多い。
(七)六十二見=
『梵網経』の説によれば次の如くである。
過去に関する説(本劫本見)一八種。
(自我と世界の常住論四種。
自我と世界の一分常住論四種。
世界の辺・無辺論四種。
詭弁論〈異問異答論〉四種。
自我と世界の無因論二種)。
未来に関する説(末劫末見)四四種。
(死後有想論十六種。
死後無想論八種。
死後非有想非無想論八種。
断滅論七種。
現在生涅槃論五種)。
他に、『大品般若経』の説、『涅槃経』の説、『瑜伽論』の説、『法華文句記』の説など数種の数え方がある。
以上、外道について種々な経論に挙げるところを引用したが、外道の説については、時代によりあるいは地域によって変化があったことを認識すべきである。
また世間に行われた種々の外道の外に、仏教内部にあって仏教に附託して邪義を主張した、附仏法外道について関説しているのは注意すべきである。
例えば『大日経疏』第一九に「外道に二種あり、一には世間種々の外道、二には謂く仏法内に諸の外道あるなり。
仏法の中に入ると雖も、而も未だ如来の秘密を知ること能わず、猶ほ是れ邪見の心行、理外の道なるが故に亦外道と名づくるなり。
此の方は乃ち二種の外道の知る能わざる所なり。
此の仏法中の外道は、即ち仏法二乗中の人なり」といい、また『華厳経疏』第二八に「外道に二あり、一には外外道は即ち仏法の外なり。
二に内外道は此れは復た三種あり、一に附仏法の外道は犢子、方広より起る云々」といっている。
さて、最後に日蓮聖人遺文中に外道の語を見るに、しばしば九十五種の外道に言及している。
例えば『三三蔵祈雨事』には「外道と申すは仏前八百年よりはじまりて、はじめは二天三仙にてありしが、やうやくわかれて九十五種なり」とあり、「月氏の外道」(開目抄)という語も散見する。
また『一代聖教大意』に、重要な指摘がある。
即ち「外道に三人あり。
一には仏法外の外道(九十五種の外道)二には学仏法成の外道(小乗)三には附仏法之外道(妙法を知らざる大乗の外道)」とあり、聖人の外道に対する知見をうかがうことができる。
その他、『法華経』、『涅槃経』に説かれる外道について言及している。
殊に法華経・勧持品の二十行の偈には、法華経授持者が「是れ邪見の人、外道の論議を説く」と誹謗攻撃を受けているが、これは彼らが新しい説、異端の説を唱えたことを意味していると同時に、当時、法華経徒の周囲に、ようやく外道の論潮が盛んに行われたことを知ることができる。
更に『涅槃経』成立の時代背景には、外道の論難が仏教へ向けられたことを感知することができる。
《『遺文辞典』歴史篇「外道」の項、『広説仏教語大辞典』『新版仏教学辞典』『岩波仏教辞典』「外道」の項》
(望月良晃)