華厳経
華厳経
けごんぎょう
詳しくは『大方広仏華厳経』という。
中国訳に三本ある。
即ち仏駄跋陀羅(Buddhabhadra 三五九-四二九)が東晋義煕一四年-元煕二年(四一八-四二〇)に訳した六〇巻本(六十華厳、旧訳華厳経、旧経、晋経)、実叉難陀(Śikṣānanda 六五二-七一〇)が唐証聖元年-聖暦二年(六九五-六九九)に訳した八〇巻本(八十華厳、新訳華厳経、新経、唐経、)般若(Prajñā 八-九世紀)が唐貞元一一年-一四年(七九五-七九八)に訳した四〇巻本(四十巻本、貞元経)がそれである。
華厳経と名づけられているものは、中国訳ではこの三本であるが、このうち四〇巻本は前二者の最後の章である。
「入法界品」の別訳であるから、完本は六〇巻本と八〇巻本である。
またチベット訳に八〇巻本に近似する完本があり、Saṅs rgyas phal po che shes bya ba śin tu rgyas pa chen poḥi mdoといわれ、サンスクリットではBuddhâvataṃsaka-nāma-mahā-vaipulya-sūtra(仏華厳と名づける大方広なる経)と称されるが、サンスクリット原典の完本は発見されていない。
本経は六〇巻本では三四品、八〇巻本では三九品、チベット訳では四五品であるが最初からこのような大部のものが成立したのではなく、独立して別行した単本経の主要なものを中心として、その前後に各品が結合され集大成されたものであろうと見られている。
それは四世紀の頃、中央アジアにおいてではなかったかと推定されてもいる。
各品の中で最古の別行単本経は、一世紀の頃の成立と推定される十地品(即ち『十地経』である。
サンスクリット原典の現存しているものは十地品と入法界品であるが、この二つは龍樹が註釈し引用するところでもあるので、龍樹以前、即ち第一期に出来た華厳系統の経と考えられている。
経の題目についていうと、方広(vaipulya) とは大乗(mahāyāna) を意味し、大(mahā)は経の大部であることを形容するから、大部なる大乗経をいうと解せられる。
またこの経の特有の名称は仏華厳(buddhâvataṃsaka)であるが、それは仏陀を菩薩行によって厳飾された華に喩えて、そのような姿との関連において仏を説くことに経の趣意のあることを示してもいよう。
さて本経は仏陀釈尊が成道した最初の説法であり、悟りの内容をそのままに表明した経典であるといわれている。
八十華厳によると、七処九会三九品により構成されているが、その七処九会とは説法の場所と会座の数であるから、『法華経』の二処三会に比較すると多数である。
第一菩提道場会・第二普光法堂会は地上、第三忉利天会・第四夜摩天宮会・第五兜率天宮会・第六他化自在天宮会は天上というふうに、説法が進行するにつれて会座の場所が地より天へと上昇するが、第七普光法堂重会・第八三重普光法堂会・第九逝多園林会では再び地上となる。
第一会では、仏陀が菩提道場において正覚を成じ、本経の教主である毘盧舎那(Vairocana)仏として、その妙徳を現し、多くの菩薩がそれを讃歎する。
華厳教学では第一会は信の目標である仏とその絶妙なる国土と殊勝の因行とを述べるから、所信の因果、挙果勧楽生信分とされる。
第二会で仏陀は普光法堂の師子座に坐し応化の自在なる身業を示しているが、文殊菩薩は苦集滅道の四謗を説き、また一〇人の菩薩が縁起を始め一〇種の甚深の理法を説示して、十信の根拠としての解を生ぜしめる。
第三会では法慧菩薩が諸仏の加被力を受け無量方便三昧に入出して発心住ないし灌頂住の十住の法門を説示し、第四会では功徳林菩薩が歓喜行ないし真実行の十行を、第五会では金剛幢菩薩が十廻向を、そして第六会十地品では金剛蔵 (Vajragarbha) 菩薩が歓喜地ないし法雲地の十地を説示する。
その中、Daśabhūmīśvaranāma mahāyāna-sūtra(十地の自在者と名づける大乗経)と称するサンスクリット原典の現存する十地品に説示される十地は、華厳菩薩道の根本体系であるばかりでなく、十波羅蜜を含み多くの行目を摂して大乗菩薩道を代表するものである。
ここで利他の行が強調されているのは重要である。
またこの位に入って初めて、入証成果の義が示されるとされる。
第七会ではこれまでの説法が要約して説かれるが、ことに普賢の因行と遮那仏の満果を説く点が注目される。
第二会以下の三一品は差別の因(=六位の因行)果(=十身の仏果)と平等の因果を明かし、修証について勝解を生ぜしめることを主旨とする。
第八会では普賢菩薩が二千の行法を説いて成行の因果を明かす。
第九会は入法界品でサンスクリット原典のGaṇḍa vyūhā-sūtra(華厳経)にあたるが、ここでは前来に説かれた菩薩道の行程を求道者善財童子が修行し実証するので、証入の因果とも依人入証成徳分ともいわれる。
本経は華厳宗の根本経典である。
華厳宗では、五教の教判において華厳経を円教となし、同じ円教でも三乗に共通する内在的な一乗即ち法華経の同教一乗に対して、諸経を超越した絶対的な一乗であるから別教一乗であると見て、その同別無礙を論ずる。
天台宗では五時の教判においては円教にして兼ねて別教を説いたものとされ、化儀では頓教とされる。
日蓮聖人は天台の教理により、華厳経は二乗不成仏と歴劫修行を説いて別教を兼ねるから権教であり、その円理は法華の唯一仏乗の絶待妙に対して相待妙の分であるとされる(『三八教』など)。
そして法華以前の一切の諸経を包摂するから、権教の王である(『開目抄』など)が始成正覚の経であるから、久遠実成を面目とする実教の法華経によって開会されるべきものでもあるとされる(『一代聖教大意』)。
《『正蔵』九巻・一〇巻、『国一』華厳部一-四、河野法雲『華厳経講義』、川田熊太郎監修『華厳思想』、伊藤瑞叡「現存華厳経大本の差異」『(鈴木学術財団)研究年報』三号、龍山章真『梵文和訳十地経』、『遺文辞典』歴史篇「大方広仏華厳経」の項、『大蔵経全解説大事典』「〇二七八・大方広仏華厳経(六十華厳)」「〇二七九・大方広仏華厳経(八十華厳)」「〇二九三・大方広仏華厳経(四十華厳)」の項、『岩波仏教辞典』「華厳経」の項、『天台学辞典』「華嚴時」「華嚴経」の項、『大乗経典解説事典』「華厳部」、『仏書解説大辞典』「大方広仏華厳経」の項》