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華厳宗

けごんしゅう #4617

華厳宗

けごんしゅう

華厳経』を所依としその所説に根拠して立つ宗。
十三宗・日本八宗・南都六宗の一で、円明具徳宗、賢首宗とも称される大乗の一派。
釈尊一代の教を五教十宗に分けて、如来成道第二七日における内証法門とされる『華厳経』を最勝となし、十玄門・六相円融の教義によって法界縁起・事事無礙の宗旨を立て、その修行を一行一切行、一証一切証と論ずる。
度では、龍樹が『華厳経』を龍宮より将来したと伝説されるが、彼は『十住毘婆沙論』を述作して十地品を註釈した。 世親は『十地経論』を述作し今に現存する。
華厳経』の伝訳については″華厳経″の項を見られたい。
初唐の長安にあって杜順(五五八-六四〇)が『五止観』『法界観門』を著して華厳の観行的立場を示して、その綱紀を立てた。
弟子の智儼(六〇二-六六八)は『捜玄記』をもって六十華厳を註釈し、『孔目章』でその理を略釈し、また『一乗十玄門』において十玄縁起・同別二教・六相円融を説示した。
法蔵(六四三-七一二)は『探玄記』において経を逐次的に註釈し、『五教章』を著して五教十宗を判釈し、有空一体に立脚して法界縁起の説をなし、法相宗に対して性相融会の立場をとった。
澄観(七三八-八三九)はその後を受けて『華厳経疏』などの著作をなし、事事無礙に即した理事無礙説を徹底せしめて四法界観の体系上に組識化し、性相決別の態をとった。 また起趣入を重んじ行門為本の立場をとって教禅融合の傾向を深め、一心を染浄の縁起の本体と不異であるとなすなど天台の性悪説に近接する。
宗密(七八〇-八四一)は『註華厳法界観門』、『原人論』などを著して、禅一致を特色とする学を樹立した。
以上が支那における伝統の五祖説である。
日本には平八年(七三六)に唐の道璿が華厳の章疏をもたらし、平一二年に新羅の審祥が経して第一祖となり、次いで良弁が東大寺を建立して第二祖となった。
その教判は仏教を五教十宗に分類し華厳と法華の二経を円教とするが、法華を同教一乗となし華厳を超越絶対的な別教一乗とする。 宗趣は四種法界十玄六相をもって明かし、観法としての事事無礙重重無尽の法界縁起観に帰結するのであるが、その目標は自証成仏にある。
日蓮聖人は『本尊問答鈔』に「華厳宗は又権大乗と云ひながら余宗にまされり。 譬へば摂政関白のごとし。 然而法華経を敵となして立てる宗なる故に、臣下の身を以て大王に順ぜんとするがごとし」(定一五八一頁)と述べ、『聖密房御書』に「華厳宗は天台已前には南北の諸師、華厳経は法華経に勝れたりとは申しけれども、華厳宗の名は候はず。 唐の代に(略)法蔵法師・澄観なんど申す人、華厳宗の名を立てたり。 此宗は教相に五教を立て、観門には十玄六相なんど申す法門なり。 をびただしきやうにみへたりしかども、澄観は天台をはするやうにて、なを天台の一念三千法門をかりとりて、我経の心如工画師の文の心とす。 これは華厳宗台に落ちたりというべきか。 又一念三千法門を盗みとりたりというべきか」(定八二一頁)と批判されている。
木宗忠『原始華厳哲学の研究』、高峯了州『華厳思想史』、亀川信『華厳学』、坂本幸男『華厳学の研究』、石井道『華厳学成立史』、鎌田茂雄『中華厳思想史の研究』、『遺文辞典』歴史篇「華厳宗」の項、『日蓮辞典』『岩波仏教辞典』「華厳宗」の項

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