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教相

きょうそう #2326

教相

きょうそう

(一)教相判釈のこと=これを略して教相または教判・判という。
遺文には「教相に五教」(定八二一頁)、「教法の邪正勝劣」(定六八三頁)、「教門の五時」(定七四八頁)等の用例はあるが、教判・判という語法はない。
一切の経典を釈尊一代に説かれたものとして、それらの説かれた形式・順や意味内容などによって諸経典を分類し、体系づけ価値を決めて、浅深勝劣を判断することで、宗派成立の不可欠の要件とされる。
インドでは諸経論が歴史的順を追って、成立したから、小乗大乗、頓教と漸教、唯識の三時教などの教判が萌芽したにすぎなかったが、中国には諸経論が成立順序とは関係なしに渡来したので、経論を成立順序に従い、あるいは浅深に従って整理する作業が仏教受容上不可欠の作業となり、やがて南三北七の五時教、天台宗の五時八教、三論宗の三輪教、法相宗の三時教、華厳宗の五教、真言宗の顕密二教・十住心などが発生した。
日蓮聖人天台大師の『法華玄義』の五重玄義中第五の教相で説かれる「三種教相」「五時八教」によって法華最第一を確定したが、やがて佐渡配流の前後から法華経中の本迹両門を相対して、天台宗の迹門中心に対して自己の立場を本門に置いたとき、五時八教では用を足せなくなり、新たに「五重相対」、「四種三段」の教判を立てるに至った。
また伊豆配流中『機時鈔』で示した「五義」にも教判の意味がある。 教相を知ることは日蓮門下にとって必要不可欠の要件である。 その由は、一に『法華玄義』一〇上の初丁から教相を明かす、その最初に「大章第五に教相を釈せば、若し余経を弘むるには教相を明さざれども義に於て傷ることなし、若し法華を弘むるには教相を明さずんば文義欠くること有り」とある。
なぜかというと、法華経は大綱を説いて網目を明かさぬ。 網目は諸経に明かすところである。 大綱とは如来設教の意趣(つまり根融不融相・化道始終不始終相・師弟遠近不遠近相)である。
故に法華を解するためには教相を知っておくことが必要不可欠の前提条件なのである。
このことについて聖人は、既に建長七年(一二五五)に係けられる『諸宗問答鈔』(定二三頁)に右の玄義の文を引き「若し教相に闇くして法華の法門をいえば、雖讃法華経還死法華心とて、法華の心を殺すと云にて候」と誡めておられる。 つまり法華経自身が教相を知ることの必要を主張しているわけである。
二に法然教法の浅深を計って深法を選取して衆生に与えるという従来の方法を、末代の劣機にとっては「理深解微」(『選択集』)であるとして斥け、機教相応という観点から、劣機相応の易行の法として浄土門を勧めたが、これを聖人は『守護国家論』では「悪人愚人を扶くること亦教の浅深に依る」(定一〇九頁)のに易行による救済を示したことは「此人は未だ教相を知らず」と否定する。
また『題目弥陀名号勝劣』(定二九六頁)では、浄土宗は従来の諸宗には似ず、殊勝にもに適った春夏に種を蒔くが、残念ながら蒔いたのは種ではなくて沙であったから、収穫が来ても実らないといわれる。 沙とは仏種でない法、無得道の爾前経を指すことはいうまでもない。 もって教相を知ることの不可欠を知るべきである。
聖人はこれにより「五義」では機・時の前にを置かれたのである。

(二)観心に対する教相=経典の意味を理論的に究明する部門で、即ち科文を立て、一々文々の意味を解明し、諸経との関連を尋ねて、経典の主旨を把握する方面の研究で、これによって詮顕された真理を体得するための修行が観心である。
三大部では、法華経の題目の深義を解明した『法華玄義』と、法華経の科文を立て、一々文々の意味を究明した『法華文句』とは教相を明かし、四種三昧・十境十乗の修行法を解説した『摩訶止観』は観心を明かした書物である。
更に『法華文句』でも一々文々に原則として因縁・約教・本迹・観心の四種の解釈を施す中の因縁・約教・本迹の三釈は教相観心釈は観心である。
また『摩訶止観』一〇章の中でも第六方便章までは妙解を説く教相門であり、第七正修章は妙行を説く観心門である。
これらの解釈に則って聖人は『観心本尊抄』に「天台の難信難解に二有り、一には教門の難信難解、二には観門の難信難解なり。 其の門の難信難解とは、一仏の所説に於て、爾前の諸経には二乗闡提は未来永不成仏、教主釈尊は始成正覚なり。 法華経迹本二門に来至して彼の二説を壊る。 一二言水火也。 誰人か之を信ぜん。 此は門の難信難解也。 観門の難信難解とは百界千如一念三千にして、非情の上の色心二法たる十如是是れ也」(定七〇三頁)と、教門に二乗作仏・久遠実成、観門に百界千如・一念三千を当てられる。
二乗作仏は迹門の、久遠実成は本門の経説の概括的名目であるから教相に属し、一念三千は二乗作仏・久遠実成の経説からしぼり出された法華経の真理であり『摩訶止観』巻五の第七正修章で初めて明かされたところであるから観に属するのである。
また教相的研究方法と観心的研究方法とを分けるときは、中古天台にて経論疏に基づいた訓詁的・伝統的解釈を無視して、勝手に架空の書名を捏造して胸臆の私説を立てるが如き態度を観心と称するに対して、教相はその反対に経論疏に忠実に立脚し、正統的歴史的解釈に土台を置いて自説を展開する学風をいう。
播磨の道邃(-一一五七)の『三大部要決』、宝地房証真(一一八九-一二〇七)の『三大部私記』等はその産物である。
聖人も一々文々を真仏として礼拝尊重する教相主義者であるが、更に身読(観心)による経文の真実性の立証を重んずる徹底的教相主義であられたといえる。

(三)相に対する教相真言宗では身に印契を結び、口に真言を誦し、意に曼荼羅を観ずる三密の修法の面を事相といい、教判や教理の面を教相という。
空海の『弁顕密二教論』『十住心論』や安然の『教時義』等は教相を説いた書物であり、安然の『菩提心義抄』は主として事相、一行の『大日経疏』や円仁の『金剛頂経疏』『蘇悉地経疏』等は教相相との両面を説く。
遺文に台密の教判を指して「理同事勝」という場合の理は教相に当り、相である。
『開目抄』に「日本の弘法も教相の時は華厳宗に心をよせて法華経をば第八にをきしかども、事相の時(略)両界の中央に上のごとく(法華経を)をかれたり」(定五八〇頁)、『報恩抄』に「弘法大師の御義は(略)事相計りは其門家なれども其教相の法門は(略)慈覚・智証の義にてあるなり」(定一二一七頁)といわれるのは、この分別である。
《『遺文辞典』教学篇「教相」の項、『天台学辞典』「教相門」の項》 (浅井円道)

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