法華文句
法華文句
ほっけもんぐ
一〇巻または二〇巻本。
法華三大部の一に数えられ、妙法蓮華経の本文を解釈したもので、隨智顗(五三八-五九七)説、灌頂(五六一-六三二)記述によるものである。
『正蔵』三四巻所収。
『妙法蓮華経文句』、『法華経文句』あるいは『文句』ともいう。
『法華玄義』が一経の総題を解釈したのに対し、本書は文々句々を註釈している。
本来、『玄義』と『文句』とは一具のものであって、合して「法華疏」または「天台法華疏」と呼ばれる場合もある。
本書の成立過程に関しては、佐藤哲英の研究(『天台大師の研究』、百華苑版)に詳細であるが、智顗が陳の禎明元年(五八七)、五〇歳のとき金陵の光宅寺で講説したものを門弟灌頂が筆録した。ここにいわゆる聴記本が作られた。
その後、修治本が聴記本を整理修治する形において作られるが、およそ大業元年(六〇五)以後にその完成があるといわれ、現存する本書は、このときの修治本であるという。
修治本が作られて初めて著作としての形態を整えたともいわれている。
この後、灌頂が六九歳の貞観三年(六二九)に、丹丘において本書が添削される。
これは本書巻頭に灌頂自身が記述したことによって知られ、更に本書は天宝七年(七四八)には左溪の玄朗によって、本書の文意の通じ難いところが修治され、いわゆる天宝再治本なるものが作られ、ようやく完全な姿になったといわれている。
本書の構成は、まず初に一経二八品を分科して序・正・流通をなしている。
即ち序品を序分、方便品以下、分別功徳品の十九行偈に至る一五品半を正説分、以下勧発品に至る一一品半を流通分としている。
更に二八品あるうちの前一四品を迹門、後の一四品を本門とし、それぞれにまた序・正・流通を設けている。
即ち迹門前一四品のうち序品を序分、方便品以下、授学無学入記品に至る八品を正説分、法師品以下、安楽行品に至る五品を流通分としている。
そして更に後の本門一四品のうち従地涌出品の前半を序分、後半及び如来寿量品ならびに分別功徳品の前半を正説分、その後半以下、勧発品に至る一一品半を流通分としている。
湛然の『法華文句記』巻第一によると、法華経二八品のうち方便・安楽・寿量・普門の四品は一経の枢鍵なりとされ、天台宗における四要品といわれているが、日蓮宗においては序品及び方便品の前部・提婆達多品・寿量品・如来神力品・嘱累品・普門品・陀羅尼品・妙荘厳王品・普賢勧発品の十品を要品とする。
本書は既述の如く、法華経二八品を分科することによって組織的にこれを解明せんとした意図がうかがわれるが、その文々の解釈においては因縁・約教・本迹・観心の四釈を用いる場合がすこぶる多い。
これもまたその解釈において、組織的な解釈をせんとした現れであるが、極めて興味のあるところである。
この四釈は智顗独特の解釈方法といえるが、智顗はその晩年になると総釈・別釈・観心釈の三釈になっている。
本書の現行本には『法華玄義』『摩訶止観』と『維摩経文疏』が参照されているが、それは本書を灌頂が修治する際に加えたものと思われる。
更に本書には吉蔵の『法華玄論』『法華義疏』も参照されているので、この点からいえば本書が灌頂の手で現行本の如き著作体系が作りあげられたのは、智顗の没後、相当の年数を過てより後のことと考えられるという。
このことからいえば本書に叙述されるすべての事柄が、智顗自身によって主張されたものかどうかの吟味が必要になってくるが、本書中には他師の学説を破斥する個所が処々に散在する。
例えば序品を解釈するに当っては、経の分科について道憑等七師の説を破し、また方便品にあっては十如実相に関して、光宅等四師の説を破斥し、法師品を解釈するに当っては示真実相の文について、道生等一一師の説を破しているが如くである。
本書の註書として最も重視すべきは、天台第六祖湛然が著した『法華文句記』一〇巻であるが、この他に宋守倫の『法華経科註』一〇巻。
元徐行善の同八巻。
明一如の同七巻は本書に従って著されたものとされている。
日蓮聖人は法華経を釈するに当って多く本書を依用する。
むしろ聖人の法華経解釈は本書から出発するといっても過言ではない。
とくに法華経の分科においては二経六段の本迹二門分科を尊重し、本門思想に末法の救済を信認することによって独自な教学を樹立された。
智顗はむしろ一経三段分科に立って迹門十如実相に法華経の教理論を展開したため、これを像法時の迹面本裏の法華経として位置づけ、これに対し聖人は自己の立場を本門の教えが流布すべき時(末法の初)であると認識し、題目五字七字の流布に身命を捧げられたのである。
《『遺文辞典』歴史篇「法華文句」の項、『日蓮辞典』『岩波仏教辞典』「法華文句」の項》
(日比宣正)