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本迹

ほんじゃく #3492

本迹

ほんじゃく

法華経は迹門一四品と本門一四品との関係をどのように論づけるかによってその受けとり方が変ってくる。
本迹とは本門迹門の意味であり、ち両門をどのような関連において解釈するかということである。
なお一往、前一四品(序品第一―安楽行品第一四)後一四品(従地涌出品第一五―普賢菩薩勧発品第二八)を迹門・本門とするが、両門の意味を追究すると本地と垂迹との関連に及び、法華経の前半と後半という経文を離れた論議に及ぶので注意を要する。
簡単に言えば法華経の教主釈尊が久遠の本仏であることを顕すのが本門であり、迹門においては釈尊はあくまでも仏陀伽耶(ぶだがや)の菩提樹のもとで覚りを開かれた歴史上の仏陀、即ち垂迹のが説かれた内容ということになる。
如来寿量品第一六に「如来の秘密神通の力によって、一切世間の天人及び阿修羅は、皆、今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提(この上なき最高のおさとり)を得たりと謂(おも)へり。然るに善男子よ(良家の子息たちよ)! 我れは実に成仏してよりこのかた、無量無辺百千万億那由他なり」と語られている。
ち法華経が最もその真実を顕すのは、教主釈尊が五百億塵点以前の永劫の昔に妙覚果満の仏陀としてさとりを完成されてより以来、本弟子を養成し、万民を教化し続けられたことを開顕された本門一四品に至ってからである。
日蓮聖人は釈尊の仏格の深さが明らかにされると共にその教法の深さが顕されることを示され、本門が明らかにされる以前の始成正覚の三身は有始有終であって、限界があるのに対し(詳しく言えば応身は有始有終、報身は有始無終、法身は無始無終)、久遠実成の三身は法身・報身・応身の三身が共に無始無終であって、過去にあっても永遠の教化を続けて来られたと共に、未来においても永遠の教化を保証されている(「一代五時図」定二三四二頁)。
このことを明らかにすることは、本門法華経の救済を明らかにするために必要不可欠のことであり、日蓮聖人の宗教の最も基本をなすものである。
『開目抄』に「迹門方便品一念三千・二乗作仏を説いて爾前(法華経以前の経典の)二種の失(とが)一つを脱(のがれ)たり。しかりといえども、いまだ発迹顕本(ほつしやくけんぽん)(迹門をひらいて本門の意を顕すこと)せざれば、まことの一念三千もあらはれず、二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波上に浮べるににたり。本門にいたりて、始成正覚をやぶれば四教(法華経以前の教説の内容―蔵教・通教・別教・円教)の果をやぶる。四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ。爾前・迹門の十界の因果を打やぶ(つ)て、本門十界の因果をとき顕はす。此れ即ち本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備(そなわり)て、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」(定五五二頁)と述べられていることは、このような意味を明らかにして仏教が法華経によって集約されること、更にそれは本門の法華経、南無妙法蓮華経五字七字受持に帰結するものであることを詮明するためである。
つまり釈尊始成正覚を前提にした教説は根なし草が波の上に浮んでいるのと同じことであり、釈尊の久遠実成たることが明らかにされて、初めてその法が永遠に救済の教法となるのである。
本門迹門の関係が論じられるのはこのような由によってである。
しかも本門法華経を信奉するためにはどうなければならないかを究明しようとすると、この本迹が一つの基本的な軌範とならざるを得ず、後にこれをめぐって本迹論争が展開され、宗団の分立にも関わるようになる。
→ほんじゃくろん(本迹論

天台大師の本迹一体論〕天台大師はしばしば「本迹殊なりと雖も不思議一なり」(天台の玄義第七)と述べて、本迹は一体であることを述べている。
台教学においては五時八教教判を立てて釈尊一代のを体系的に解している。
そして法華経の前半を迹門、後半を本門と規定している(→にきょうろくだん・二経六段)のであるから、当然、本門迹門との違いは論じられているはずである。
法華文句』巻第九下「釈寿量品」に久遠実成の仏の法身・報身応身の種種の功徳を挙げている。
そこで規定される本迹に四種ある。
第一に本地三身を明かす。
本とは本菩提樹下に仏身を成就されたことであり、迹とはインド応現の釈尊、またその中間の応現の釈尊が菩提樹下に身を成就したことを言う。
第二に諸部の異を弁ず。
諸経においては本とは寂滅道場で成ぜられた法身報身であり、迹とは本より起すところの勝応身・劣応身である。
それに対して法華経では本とは本昔の道場で得た三身で、迹とはインド出現の釈尊の寂滅道場で覚られ、またその中間に出現された三身のすべてを包含するとする。
第三に本迹の由。
本がなければ迹を垂示することもなく、迹の垂示なくして本を顕すことがないとする。
第四に本迹の体同じきを弁ず。
本迹は異なった表現であるが、その体は同じで不思議一であるという。
このように本仏の久遠を顕すことの意義をここに述べながらも、法華経の仏陀が久遠を明らかにした仏陀であることを明らかにするのみで、本門迹門の相違にはふれられていない。
このことは『法華文句』巻第三下「釈方便品」のもとでも同じである。
如来は本地において権と実とを証得されたのであり、一代五時において、まず化他を帯して自行を説く(華厳経)。
次いで一の化他、即ち蔵教を説き(阿含経)、次に蔵・通・別の三教を説き(方等部)、次に通別の二教を説き(般若経)、そして廃三顕一を立てる(法華経)が、これは皆、化他権実である。
方便品仏陀が迹に従って説くから化他の権実になるが、本の権は実となるのに対し迹の実は権となるのであって、本迹は体一であると解釈する。
このような本迹一体論は『法華玄義』巻第七上の〔六重本迹〕においても全く同様な趣旨で述べられている。
第一に本迹とは、本とは理本であって、諸法実相(理)こそが究極の道であるといい、迹とは諸法実相以外のすべてであるという。
第二に本迹とは、第一の理・を理に含め、それらを明らかにすることを迹とする。
第三に本迹
第二のをすべて本となし、をうけて修行する人を迹とする。
第四に体用本迹
第三の行によって体を証するから、体を本とし、体によって起す用(ゆう)(はたらき)を迹とする。
第五に実権本迹(じつごんほんじやく)。
第四の実得の体用を本とし、権施の体用を迹とする。
第六に今已本迹
法華経以前の諸に説く理・理教・教行・体用・実権はすべて皆迹であり、今の法華経に説く久遠の事理・理教・教行・体用・実権こそが本であるというのである。
このように結論的には久遠を明らかにした法華経が本であると収約しながらも「もし本地の本無ければ、中間・最後の迹を垂得すること能はず。もし已説の迹無ければ、今説の本を顕得すること能はず。本迹殊なりと雖も不思議一なり」と述べて、本と迹とは相資けて本を顕し、迹のはたらきを意義づけているとしているのである。
台の本迹説は妙法蓮華経を漢訳した鳩摩羅什の門下僧肇、また僧叡の系譜をひきつつ、独自の解釈をしたものとされる。

〔日蓮聖人本迹観〕天台の法華経理解は迹門=体、本門=用であるのに対し、日蓮聖人の法華経理解は迹門=用、本門=体であるとされる。
つまり台は迹門本門とを一つの真実の両面の表現と見ているのに対し、日蓮聖人は迹門は久遠実成が顕されていない段階の法門であるから、むしろ法華経以前の所説と共通している面が強く、本門は久遠実成が顕された点、迹門の所説とは雲泥の相違が生じたとするのである。
一般には法華経迹門に説かれる二乗作仏は法華経独自の法門であって、爾前の諸経の所説とは懸隔の相違があるといわれるのに、爾前諸経と迹門の違いよりも迹門と本門との違いが断然重大であるといわれるのである。
『富木入道殿御返』には「本迹の相違は水火、地の違目」であるとして次のように述べられている。
「法華経はまた二経がある。いわゆる迹門(一四品)と本門(一四品)とである。そして本門と迹門との法門の違いは水と火、天と地との違いのように大変違う。たとえぱ爾前の諸経と法華経との違いよりも一層相違がある。というのは爾前諸経と法華経迹門とは、(前者の二乗不作仏に対して後者は二乗作仏を顕すというように)相違があるとはいえ、相似している点もあるであろう。釈尊の所説に八教があるが、爾前で説かれる円教と迹門の円教とは相似している。それに爾前の経を説く仏と迹門の仏とは、それぞれ劣応身・勝応身・報身・法身という点においては異なっているけれども、すべて仏陀伽耶の菩提樹のもとでおさとりを開かれた(始成正覚)という点では共通性をもっている。ところが今、本門と迹門とを比較してみると、教主釈尊は本門に至って久遠実成を説き顕し、それを顕さなかった迹門の伽耶始成の法門とは大きな転換を示している。そのことはちょうど百歳の翁と一歳の幼子との違いのようなものであろう。久遠以来の本化(ほんげ)の弟子と伽耶始成の迹化の弟子との違いはいうまでもないが、更にこの国土において教主釈尊がどれほど教化を続けられてきたことを顕しているか否か、については改めていうまでもなかろう。それなのに、本門法門と迹門の法門とを混ぜ合せてしまうことは水と火との違いを弁えないようなものである」(定一五一九頁)。
このように日蓮聖人本門迹門との違いを強調するのはなぜであろうか。
それは末法の救済こそが教主釈尊の法華経宣説の真実の目標であり、その法門が明らかにされることによって本化地涌(ほんげじゆ)の菩薩たちの首導である上行菩薩化が意義づけられなければならないからである。
教主釈尊のこの御意志は、釈尊御入滅後二千年間、印度・中国・日本の三国と一閻浮提に解明されたことはなかった。ただ中国の天台大師、日本の伝教大師の二人だけがほぼ解明の道を開かれたけれども、本門と迹門との重要な法門である円戒が解明されなかった。畢竟、天台大師・伝教大師は内心には鑑察してはいても、(1)時が来なかったため、(2)説くべき機が存在しなかったため、(3)本門の法門を教主釈尊より付嘱されなかったため、説き明かさなかった。であるから今こそ本化地涌の上行菩薩が出現して弘通されなければならないのである」(定一五一九頁)。

五重相対と四種三段〕このような本門と迹門との相違を『開目抄』の五重相対、『観心本尊抄』の四種三段で明確に述べている。
『開目抄』においては内道・外道大乗小乗、実教・権教(ごんぎよう)、本門・迹門、教相・観心の五重によって本門法華経の・観を詮顕している。
本門と迹門との相対とは前述の久遠実成が顕されたか否かということである。
如来寿量品で「然るに善男子よ、我れ実に成仏してより已来(このかた)無量無辺百千万億那由陀劫なり」と釈尊自ら久遠実成を明らかにされたため、『華厳経』の始成正覚、『阿含経』の初成、『維摩経』の始め仏樹に坐す等の表現は仮のものであったこととなり、釈尊の過去常が顕され、諸仏は皆、釈尊の分身であることが明確になる。
爾前迹門が説かれたときは、諸仏と釈尊とはともに肩を並べた各修各行のであった。
ところが「今は、爾前・迹門で十方の国を浄土と名けて、此土(この娑婆世界)を穢土(けがれた国土)と説かれていたのを、この法華経において逆転して、此土こそ本土であることを明らかにし、十方の浄土は釈尊の垂迹の穢土となった。仏陀久遠実成の仏陀であるから、迹化の大菩薩、他方より来れる大菩薩もすべて教主釈尊の御弟子である。(このような真実を明らかにした)如来寿量品一切経のなかに存在しなければ、それは恰かも天に日月がなく、に大王がなく、山河に珠なく、人に神(たましい)がないようなことである」(定五七六-七頁)と。
『開目抄』に対して『観心本尊抄』は一代三段・一経三段二経六段・本法三段の四種三段が説かれる(定七一三-四頁)。
そこで二経六段中、本門三段で寿量品の一品二半を正宗分とし、本法三段ではこの一品二半を広く久遠以来の仏教のなかで再び正宗分として位置づけるのである。

一念三千の法門と本門の教〕このような本門と迹門との相違は、実に「一念三千」の法門が本門に至って完成するという点に究まるのである。
前述したように、釈尊格の深さを次第に顕すことは、同時にそこに顕されるの深さを顕すことと照応している。
久遠本仏の釈尊が顕されることによって、法華経に詮顕される一念三千の珠が説き明かされるのである。
『開目抄』の「一念三千の法門は但(ただ)法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり」(定五三九頁)とは正にこのことを言い表している。
言うまでもなく、天台大師は法華経方便品第二の「諸法実相」「十如」を根拠として一念三千の観法の原論を創唱した。
しかし日蓮聖人によれば、迹門をひらいて本門の深義を顕す――つまり久遠本仏の実在の世界を開顕しなければ、真実の一念三千の意義が確立することにはならないのである。
本門一念三千の救済が確立されることによって、迹門で説かれる二乗作仏も確立することとなるのである。
『開目抄』にそのことを次のように述べる。
迹門方便品一念三千・二乗作仏を説いているから、爾前諸経に説かれなかった二種の失(とが)のうち一つを脱れることができた。しかしながら未だ発迹顕本(ほっしやくけんぽん)しなければ、まことの一念三千も顕れることなく、二乗作仏も決定しない。水に浮かんだ月を見るようなものであり、根なし草が波の上に浮んでいるのに似ている。ところが本門に至って(釈尊の久遠実成が説かれ)始成正覚の仏陀だということがうち破られると、四教(蔵教・通教・別教・円教)の果が破られ、ということは四教の因が破られた。即ち爾前諸経や法華経迹門に説かれた十界の因果がうち破られて、本門の十界の因果が説き顕されたのである(これが本門法華経の救済ということである)。これが即ち本因本果の法門であり、九界(菩薩以下、凡夫、悪道の世界)も無始の仏界に具わり、仏界も無始の九界に具備して、真実の十界互具(じっかいごぐ)に・百界千如・一念三千の世界が現出せしめられるのである」(定五五二頁)。
ここに至って本門法華経は釈尊御在世に説かれた法華経という意味を超えて、久遠本仏化の全体のなかでの位置づけをされる。
つまり無限の過去から無限の未来に至るまでの全教の中心こそ寿量品の一品二半(いっぽんにはん)なのである。
観心本尊抄』で示される本法三段がそれを適示し、その全容を明らかにした法華経は、釈尊がすでに説いた法門(已説=(いせつ))、今説いた法門(今説=(こんせつ))、未来にまさに説くであろう法門(当説=(とうせつ))の三説を超えた法門であることが明らかにされるのである。
以上要するに、身の全容が久遠実成の開顕によて明らかにされたことは、とりもなおさず教主釈尊の衆生への愛護の全容が開示されたことを意味する。
それは因より果に到ろうとする向上門(こうじょうもん)を止揚されて、久遠本仏仏果のうちに因を含容するという向下門(こうげもん)の教法の全容が明らかにされたということである。
換言すれば我らが本仏の中にある(超越的救済)と同時に、本仏が我らのうちにおわします(内在の信仰)というように、超越的であると同時に内在的である本仏縁起(ほんぶつえんぎ)の法界(久遠本仏の一念三千の法界)においてのみその真実相が究竟する世界が現出するということを説き明かしたのが本門説である。

天台宗教義批判〕日蓮教学の中心たる題目受持(だいもくじゅじ)、即ち南無妙法蓮華経の五字七字を唱え持つことによって教主釈尊の救済にあずかるという教義は、叙上の一念三千論に基づくものである。
そこで当然、日蓮学の法華経理解は本門中心に立脚するものである。
ここから迹門中心立脚の天台宗義に対する批判が起ってくる。
天台宗迹面本裏(しゃくめんほんり)、迹門を面(おもて)とし、本門を裏とすると批判する。
それに対して日蓮宗本面迹裏である。
そもそも本門・迹門の対判は、このような天台宗教義批判を確認する旗であるという面の強調に基づいている。
これを台当勝劣(たいとうしょうれつ)とよぶ。
台家と当家(日蓮宗)との立拠を明らかにする対判という意味である。

本迹論の興起〕望月歓厚によれば、日蓮宗伝統的に厳粛に伝統を伝えようと主張する気風と、比較的寛容に定着を図ろうとする流れとが対立しながら展開して来たといわれる。
こうした対立が室町代に形成されて行くなかで、宗祖日蓮聖人の精神に還れと主張するものは本迹勝劣(ほんじゃくしょうれつ)、つまり本門勝・迹門劣の法華経解を尖鋭化しようとした傾向が強い。
他方、大多数の僧侶は現実に定着した法華経受持本迹一致(ほんじゃくいっち)、つまり一往は本門勝ではあるが、結論的には本門勝の教義を尊重した上で、迹門の本門からの意義づけを行い、それを本迹一致として主張した。
そこで日蓮聖人滅後の本迹判の主張を大別すると図のようになる。

勝劣
 ┌久近本迹勝劣┐
 │       ├─ 本迹相対
 └已今本迹勝劣┘
 ┌下種為正因勝果劣┐
 │        ├ 三益因果相対
 └得脱為正果勝因劣┘
 ┌題文相対勝劣
 └体内本迹勝劣
一致
 一体論┬仏意一体論
    ├体章一体
    ├実相一体論
    ├未分一体論
    ├題目超越論
    └一経一体論
 一致論┬本迹論  ────┐
    ├文上本迹始本不離論┼┐
    └底上始本相論 ──┘│
    ┌──────────┘
    ├已顕本迹勝劣
    └未顕本迹勝劣
これらの本迹論については、→ほんじゃくろん(本迹論

日蓮宗の本迹観〕日蓮宗は旧一致派とよばれるように、元来、本迹一致を標榜する伝統に立っている。
けだし、それは本門に立脚することを主張しようとするあまり、極端な本迹勝劣義を主張した傾向に対して、本門に立脚していることを確認しつつも、法華経は二十八品が具備してこそ法華経の真髄を発揮することができるという志向において共通するものを持っていたためであろう。
しかし古くは一致論以前に一体論に立ち、台当勝劣すら明らかでなかった所論もなかったわけではない。
しかし代と共に学が整備され、本門に立脚する一致論の論化がすすめられている。
そして更に宗派がどのような主張によって形成されたかという既成観念を乗り超えて、日蓮聖人の根本精神に還ることを基幹とし、柔軟な態で法華経の意義の追求を志しているのが、現在の動態であるといえよう。
望月歓厚『日蓮教学の研究』、浅井円道「法体勝劣論の考察」『大崎学報』一一一号・一一五号、渡辺宝陽「本迹論の展開」『中世法華仏教の展開』、石川海典『日蓮聖人御遺文講義』二巻、山川智応『開目抄講話』、茂田井教亨『開目抄講讃』、望月歓厚『日蓮聖人御遺文講義』三巻、山川智応本尊抄講話』、『遺文辞典』教学篇「本迹」の項、『日蓮辞典』「本迹」の項
(渡辺宝陽)

図版

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