諸法実相
諸法実相
しょほうじっそう
一切諸法の真実の在り方という意。
即ちすべての存在のありのままのすがたをいう。
諸法とは世間出世間の一切諸法で、差別の現象、随縁の事をいい、実相とはその真実の体相で、平等の実在、不変の真理をいい、仏の世界から観た森羅万象の真実のすがたである。
この諸法実相論は法華経迹門の中心テーマであって、方便品に「仏の成就したまへる所は、第一希有難解の法なり。
唯仏と仏とのみ乃し能く諸法の実相を究尽したまへり。
所謂諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり」と説かれ、仏の悟りの世界は二乗の人々の信解することの出来ないところであり、その実相の世界は十如を具足するというのである。
そしてこの実相の世界は仏知見によってのみその真実相が照らし出されるのであって、一切の絶対的平等の世界であり、三乗(声聞・縁覚・菩薩)の差別はなく、すべて一仏乗という世界に開会され、一切が皆成仏すると説かれる。
ここに二乗作仏論が展開されるのである。
天台大師智顗は三諦円融の実相観に立って止観修行による悟りの世界を志向し、一念三千の観法を説いた。
日蓮聖人は『諸法実相鈔』に「問て云く、法華経第一方便品に云く、諸法実相乃至本末究竟等云云。
此経文の意如何。
答て云く、下地獄より上仏界までの十界の依正の当体、悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文也」(定七二三頁)と釈し、仏の悟りの境界を全一的に受けとめ、一念三千即妙法五字と信解することによって、南無妙法蓮華経を唱題受持するところに凡夫成仏はあるとされた。
諸法実相の説は諸経に通じて説かれ、一法印と名づけられて大乗仏教の信印とされる(『法華玄義』巻八)。
『大智度論』では諸法実相を般若波羅蜜であるとするが、諸法実相の解釈については諸宗で一様でない。
天台宗では三重の解釈を施し、初重は因縁によって生じたすべての現象を諸法といい、それは仮に現れたもので実体がないから、諸法の本質は空理であることを諸法実相とする。
第二重では空有のすべてを諸法といい、それらの空有を超えた絶対肯定として中道第一義諦の理を別に立て、諸法の本質は中道の理であることを諸法実相とする。
これらの二重は大乗偏教の所説であるとし、未だ諸法のありのままを即実相と融即するに至っていない。
第三重は現象的世界の一切万有の事物を諸法といい、この諸法が三諦円融して即空・即仮・即中となる理体を実相という。
これは事理一体法々融妙なることを顕すから諸法の当体すべてこれ即ち実相とするものである。
従ってその実相の内容は一念三千の思想をもって顕すことができる。
即ち諸法を区分すれば十界となる。
「諸法の如是相」云云と経にあるから十界の十如是である。
それが実相であるということは、円融であるということであり、互具し合っているということになるから千如是となり、これが依正にわたるとすれば、三世間を相乗して三千の法数が成立するのである。
『法華玄義』巻八に「諸法は既にこれ実相の異名、而も実相の当体なり、又実相もこれ諸法の異名、而も諸法の当体なり」とある。
法華経において爾前諸経で否認された二乗と女人を開会し、一切皆成仏を示すのは、一乗の諸法実相説を宗教的に活用したものといえる。
また罪障消滅のために諸法を観ずることがある。
即ち『観普賢経』に「若し懺悔せんと欲せば、端坐して実相を念ぜよ、衆罪は霜露の如く、慧日能く消除す」とあるのがそれで、実相の理を観ずることによって修悪の全体即性悪なりと達し、衆悪のそのままに菩提の道に契うことが出来るのである。
日蓮宗では天台宗の所説より更に一歩を進めて、直ちに本門の題目について諸法実相の意を解するのである。
即ち「実相と云ふは妙法蓮華経の異名也。
諸法は妙法蓮華経と云ふ事也。
(略)万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体也と云ふ事を諸法実相とは申す也。
天台云く、実相の深理本有の妙法蓮華経なりと云云。
此釈の意は実相の名言は迹門に主づけ、本有の妙法蓮華経と云ふは本門の上の法門也」(定七二五頁)と説くのがそれである。
禅宗では諸法実相を仏祖の現成にして本来の面目を顕すものとし、これについて参学究尽するのである。
道元は『正法眼蔵』に「仏祖の現成は究尽の実相なり、実相は諸法なり(略)いはゆる如来道の本末究竟等は、一等の参学なり、参学は一等なるがゆへに」といい、直ちに不可詮量底に住して諸法実相即松操竹節の面目を把えるべしとするのである。
真宗では諸法実相とは即ち真如の理であり、具体的にそれがあらわれた南無阿弥陀仏の名号法を実相法とするのである。
更に真言宗では阿字不生を諸法実相となし、華厳宗では一真法界を諸法実相とし、法相宗では円成実性を諸法実相とし、三論宗では八不中道を諸法実相とし、小乗教では苦空無常無我を諸法実相とするなど、諸宗に諸説がある。
日蓮聖人は諸宗諸師の諸法実相の解釈は、教法の権実を弁えず名同義異を知らない者と批判されている(定一九三頁)。
《『遺文辞典』教学篇「諸法実相」の項、『日蓮辞典』『岩波仏教辞典』「諸法実相」の項》