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禅宗

ぜんしゅう #4331

禅宗

ぜんしゅう

坐禅を通じて悟りに至ろうとする宗の意。
また心宗(仏陀の心印を伝える宗の意)、達磨宗(菩提達磨の伝えた宗の意)ともいう。
一三宗の一つ。
本仏一三宗の一つ。
では古くは坐禅を専らにする人々の系統を禅宗と呼び、その中には達磨宗だけでなく、天台宗三論宗の系統も含まれていたが、唐代中期以降、達磨宗が隆盛になるに及んで達磨宗のみを禅宗と呼んで今日に至っている。
日本でも、道元が達磨以来の正伝の仏法に対して禅宗の名を用いることの不可なることを力説したが(『正法眼蔵仏道)、一般には臨済・曹洞・黄檗の三宗派を指していう。
その宗とするところは、仏法の真髄は教理の追究ではなく、専ら坐禅弁道によって実参実究し、仏道を頓証するにあり、従って特に経典もなく、また教外別伝なるがゆえに教判の説もない。
禅宗の起源については、伝説によれば釈迦牟尼仏が霊山会上において梵天の献じた金波羅華を拈じて八万の大衆に示すと、大衆は唖然としてその真意を理解することが出来ず、ただ摩訶迦葉のみが欣然として破顔微笑した。そこで仏は「我に正法眼蔵涅槃妙心あり、摩訶迦葉に付嘱す」といって、正法を伝授した。これを以心伝心といい禅宗の起源としている。
しかしこれは偽経である『大梵天王問仏決疑経』に記載されているもので、中国で六祖慧能以来の禅が以心伝心・教外別伝を重んじたため、この迦葉の付法相承説が重視されるようになったのである。
迦葉はこの法を阿難に伝えて、阿難から商那和修へと代々相伝されて第二八祖の菩提達磨に至ったとする(これを西二八祖という)。
この菩提達磨によって初めて中に伝えられた禅は、二祖慧可・三祖僧璨・四祖道信・五祖弘忍と伝えられ、次第に隆盛に赴き、弘忍の下から頓悟を説く六祖慧能と漸悟を主張する神秀とが出て南宗と北宗に分れた。
北宗禅はすぐに衰えて慧能の系統のみが残り、その門下から南岳慧譲・青原行思・南陽慧忠・永嘉玄覚・荷沢神慧らが出て、中禅の主流となった。
中でも青原と南岳の法系が盛んで、青原の系統から洞山良价・曹山本寂が出て曹洞宗を開き、雲門文偃は雲門宗を、法眼文益は法眼宗を開いた。
また南岳門下の馬祖道一の弟子百丈懐海の下から潙山霊祐・仰山慧寂が出て潙仰宗を、百丈の弟子黄檗希運の下から臨済義玄が出て臨済宗を開いた。
この五宗の中では臨済宗が盛んとなり、黄龍慧南と楊岐方会が出て黄龍派と楊岐派の二派に分れ、宋代の最盛期を迎えるに至る。
日本における禅の流伝は、元興寺の道昭を初伝とし、次いで道璿が北宗禅を、最澄が牛頭禅を、義が南宗禅を伝え、また覚阿も入宋受法したといわれるが、以上の五伝は法系が栄えなかった。
大日能忍は自ら修した禅法の得悟を入宋する弟子に託して、育王山の拙菴徳光の印可証明を受け、日本達磨宗として盛んに禅法を鼓吹した。
しかし本格的な禅の伝来、一宗として成立するのは鎌倉時代の栄西道元以後のことである。
栄西は入宋して虚菴懐敞から臨済宗黄龍派を受法して帰国し、道元も入宋して天童如浄から曹洞宗を受法した。
また江戸代に明の隠元隆琦が来日して黄檗宗を伝えた。
これは臨済楊岐の系統であるが、既に念仏を混じた禅であり、鎌倉代に伝えられたものとはかなり異っている。
鎌倉時代以来、日本に伝来した禅には四六伝あり、その中で嗣法の弟子が出来て流派をなしたものが二四流あったとされる(これを禅宗二四流という)。
これは不立文字・教外別伝の立場をとる禅宗においては、誰によって見し、誰の法を嗣いだかが重要視されてきたことによる。
その名称を列記すれば次の通りである。

   (派名)  (派祖)  (開法寺名)
(1)千光派   明庵栄西   建仁寺
(2)道元派   希玄道元   永平寺
(3)聖一派   円爾弁円   東福寺
(4)法燈派   無本覚心   興
(5)大覚派   蘭渓道隆   建長寺
(6)兀庵派   兀庵普寧   建長寺
(7)大休派   大休正念   浄智寺
(8)法海派   無象静照   心寺
(9)無学派   無学祖元   円覚寺
(10)一山派   一山一寧   南禅寺
(11)大応派   南浦紹明   建長寺
(12)西澗派   西澗子曇   建長寺
(13)鏡堂派   鏡堂覚円   建長寺
(14)慧派   霊山道隠   建長寺
(15)東明派   東明慧日   建長寺
(16)清拙派   清拙正澄   南禅寺
(17)明極派   明極楚俊   南禅寺
(18)愚中派   愚中周及   通寺
(19)竺仙派   竺仙梵僊   建長寺
(20)別伝派   別伝妙胤   建仁寺
(21)古先派   古先元   建長寺
(22)大拙派   大拙祖能   建長寺
(23)中巌派   中巌円月   建仁寺
(24)東陵派   東陵永璵   南禅寺
右の中、道元・東明・東陵の三流が曹洞禅で、他の二一流は臨済禅であり、中でも黄龍派に属するものは栄西の系統だけで、他はすべて楊岐派の臨済禅である。
これら二四流の中で現在まで伝えられているのは、曹洞禅では道元派、臨済禅では法系上は南浦紹明(大応国師)の法系に属する大徳寺開山宗峰妙超、妙心寺開山関山慧玄の系統だけであり、その他は殆ど法統が絶えてしまい、今日の臨済宗はすべて江戸中期に出た白隠慧鶴の法系に属している。
日蓮聖人禅宗に対し法華最勝の立場から次のように批判する。
第一に禅宗の依経とする『楞伽経』等は出世の本懐を述べたものではなく、一一会の小経であると指摘する。
第二に禅宗の特色である教外別伝・不立文字・仏祖不伝・即身即仏等について、文字は色心不二の質であり、もし不立文字ならば禅僧の色心をも立てることは出来ない、仏祖不伝と説くならば何故月氏二八祖東土六祖の相伝があるのか、祖師無用というならば何故達磨を本尊とするのか、修多羅無用というならば何故に朝夕陀羅尼を誦し『首楞厳経』『円覚経』等を読むのか、等と批判し、更に禅宗でいう即身即仏は天台法華宗の即身成仏の義を盗用したものであると批判している。
そしてこれらの批判を禅宗は天魔所伝の法門魔波旬の説、の所為などの言に凝縮して表現した。
また禅宗の興隆が正嘉大地震、文永大彗星等の災害の原因であると指摘し、念仏宗と共に対治すべきことを主張している。
《『遺文辞典』教学篇「禅宗」の項、『日蓮聖人大事典』「日蓮聖人と禅宗」の項、『日蓮辞典』『岩波仏教辞典』『国史大辞典』八巻「禅宗」の項》
(小松邦彰)

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