大日能忍
大日能忍
だいにちのうにん
(生没年未詳)
臨済宗の僧。
平安時代末から鎌倉時代初期にかけて活躍、自ら日本達磨宗と称して教外別伝の南宋禅を弘めた。
能忍は平氏の出で、悪七兵衛景清の叔父であったが、若くして出家し経論を究め、禅に帰して摂津に三宝寺を建てたが、嗣法の師のないことを軽んぜられ、文治五年(一一八九)弟子二人を宋に遣わし育王山の拙庵徳光から印可を受けた。
こうして能忍は臨済宗大慧派の法を嗣ぎその名声は日ごとに高まり、栄西に先立って日本に臨済禅を鼓吹したのである。
後に景清に誤まって刺殺されて没する。
世に深法禅師と称せられ、弟子に仏地房覚晏(かくあん)がいる。
日蓮聖人は遺文にしばしばこの大日能忍とその一派にふれている。
『安国論御勘由来』に「然るに後鳥羽の院の御宇建仁年中に法然・大日とて二人の増上慢の者有り」(定四二三頁)といって能忍を日本の禅宗の祖として破折の対象とし、その他『開目抄』(定六〇七頁)、『佐渡御書』(定六一五頁)等にも教外別伝の法華経誹謗の張本人として批判をしている。
なお『教機時国鈔』に「大日仏陀」(定二四五頁)とあるのは能忍のことである。
即ち仏陀は能忍の意味であるからである。
《『本朝高僧伝』一九巻、『遺文辞典』歴史篇「大日」の項(一)、『日本仏教人名辞典』「大日能忍」の項、『国史大辞典』一一巻「能忍」の項》