妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

栄西

ようさい #3583

栄西

ようさい

(一一四一-一二一五) 「えいさい」とも。
字を明庵、葉上房または千光祖師と称し、俗姓は賀陽氏、備中(岡山県)吉備津宮の祠官の出自である。
十一歳で吉備津郡の安養寺の静心に師、一四歳で剃髪して叡山に登り受した。
以後は密教を主として学びながら顕密を究めた。
仁安三年(一一六八)四月、台の章疏を求めるために入宋した。
だが栄西密教の修得のみに満足せず、天台では四種相承といって、円・密・禅・戒の四宗を兼ね伝えることから、天台宗の更生を目的として、禅の伝法を求め文治三年(一一八七)三月に再入宋している。
かくして童山に虚庵懐敞について禅の参学に努め臨済宗黄龍派の伝法を受け、建久二年(一一九一)七月に帰している。
後まもなく筑前に妙徳寺、東林寺、報恩寺を創立し、更に聖福寺を開いた。
京都には建仁寺、鎌倉に寿福寺を開き、帰国後の栄西は態度を一変して専ら禅宗の宣揚に努力した。
とくに鎌倉の武士の簡素雄勁な気風に契合し幕府の信任を得て大いに栄えた。
著書に『出家大綱』『興禅護国論』『日本仏法中興願文』『真禅融心義』『喫茶養生記』等がある。
《辻之助『日本仏教史』中世篇、川崎庸之・笠原一男編『宗教史』、多賀宗隼『栄西』、『日本仏教人名辞典』「明庵栄西(みょうあんえいさい)」の項、『岩波仏教辞典』「栄西(えいさい)」の項、『国史大辞典』一三巻「明庵栄西」の項

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