妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

ぜん #1110

ぜん

とは一般には、よいこと、よい行い、をいう。
日蓮聖人が遺文中において説かれる「善」の概念には、一般社会の倫理道徳的善と宗教的善とがあるが、その帰結するところは法華経に帰依し信順することが最高の善であり、徒ってそれに背くことが最大の悪となる。「善に付け悪につけ法華経をすつる、地獄なるべし」(『開目抄』定六〇一頁)というのはそのためである。
『兄弟抄』の「人を殺すは罪あさし、人を殺すは罪ふかし」(定九二〇頁)の文は、倫理道徳的悪について述べたもので、このような場合にを勧めを止めることはいうまでもない。
また「人とは五戒・十戒乃至二百五十戒等也」(『曽谷二郎入道殿御報』定一八七二頁)というのは教を信じ戒律を守ることをとするものである。
しかし聖人は、この仏教を信ずる「善」の中に実は悪が存在することを「悪は愚癡の人も悪としればしたがはぬ辺もあり。(略)善は但だ善と思ふほどに、小善に付て大悪の起る事をしらず」(『南条兵衛七郎殿御書』定三二二頁)と述べて、世間の道徳的悪については誰でも悪と認めることが出来るが、仏法に帰依すればすべて善であると思って、善に大小軽重の差があることを知らない、と世間的善と宗教との相異を指摘している。
そして「小を持て大を打ち奉り、権経を以て実経を失ふとがは、小還て大悪となる」(『下山御消息』定一三一三頁)、「弥陀念仏の小善をもって法華経の大善を失ふ。小善の念仏は大悪の五逆罪にすぎたり」(『千日尼御前御返事』定一五四三頁)と述べ、他仏他経を信ずることは一往は善ではあるが、しかし教主釈尊の本懐である経王法華の大を失うことになるから、それは世間的よりも一層重い大となると論じている。
要するに聖人にあっては、法華経・釈尊に帰依し、妙法蓮華経の五字を受持信仰することが唯一絶対の「善」であり、それに背く謗法が最大のなのである。
《『遺文辞典』教学篇「」の項、『日蓮辞典』「」の項》

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