妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

ごう #3617

ごう

梵語karmanの訳。 羯磨(かつま)などと音訳する。
本来の意味は行為、作用。 人のなす働きをいう。
行い・動作をいうところから、普通身の行い(身)、口の行い(口)、意の行い(意)の三業に分けている。 とはこの意志・動作・言語の働きの総称でもある。
教ではこの「業」が縁起思想と結合して重要な思想的展開を遂げ、の上で大きな位置を占めてきた。 ち業が実体視され、一種の力と見なされ、業が一つの行為であるならば必ずそれが因(業因)となり、善悪苦楽の果報を伴うことになる。 の行為(業)には果、悪の行為(悪業)には果があるのである。
この報は今世だけでなく過去世・未来世にわたると説かれ、教の輪廻思想の中心となるのである(業感縁起)。 特に前世の所によって現世に受ける報い、宿業説が盛んとなり、えが宿命論であるかの如き観を呈するに至る。 しかし報説の真意は未来に向っての人の勢力精進を促すことにあるのである。 ただ一般にはというと、悪業をさす傾向がある。
には個人のみのものである報を不共(ふぐうごう)、多くの人々と共有する報を共(ぐうごう)と分けてよぶことがある。 共とは個人の行為が社会的な関わりをもつことをいうのである。 日蓮聖人の『立正安国論』発想の基底や代受苦思想発揮の根底に共観・共認識が存しよう。
《『遺文辞典』教学篇「業」の項、『日蓮辞典』『広説仏教語大辞典』『新版教学辞典』『岩波辞典』「」の項》

← 事典トップ