業因
業因
ごういん
業は身口意三業の諸種の動作をいう。
その動作の善悪に応じて、未来の苦楽の果を生ずる。
故に業因という。
業には苦楽の果を生ずる力用があって、これを業力という。
『有部毘奈耶』(四六)には「不思議の業力は遠しと雖も相索し果報成熟の時避けんことを求むるも既に脱し難し」とある。
『成実論業因品』に「業は是れ身に受くる因縁。萬物は業因より生ず」、『維摩経方便品』に「是の身は影の如し業縁より生ず」、『法華経序品』に「阿鼻獄より上有頂に至るまで諸の世界の中の六道の衆生生死の所趣善悪の業縁受報の好醜此に於て悉く見る」とあり、因より果へと縁する力用を示している。
また宿業とは宿世(過去世)に作した善悪の業因をいう。
現在の所作は現業といい、日蓮聖人は『開目鈔』に「天台云く(略)今生の修福は報将来に在り等云云。
心地観経に云く(略)未来の果を知らんと欲せばその現在の因を見よ」(定六〇〇頁)と示されている。
また『可延定業御書』には「業に二あり。一には定業、二には不定業。定業すら能能懺悔すれば必ず消滅す。何かに況や不定業をや」(定八六一頁)とある。
定業は必ず未来に苦楽の果を感ずるもの、不定業は必ずしも果を感ずると定まらないものをいい、ここの定業は宿世の業因により受けた今世の定命を意味する。
更に聖人は「定業限りありしかども仏、法華経をかさねて演説して(略)身の病忽ちに平癒し、心の重罪も一時に露と消えにき(略)女人の法華経を行じて定業を転ずることは秋の稲米・冬の菊花、誰かをどろくべき。
されば日蓮悲母をいのりて候ひしかば、現身に病をいやすのみならず四箇年の寿命をのべたり」(定八六二頁)、『伯耆公御房消息』に「なんでうの七郎次郎時光は身はちいさきものなれども、日蓮に御こころざしふかきもの也。
たとい定業なりとも今度ばかりえんまわうたすけさせ給へと御せいぐわん候」(定一九〇九頁)と定業をも変じ転ずることのできる法華経の功力を述べられている。
修法においては、宿世の善悪の業因を解明し、今生で法華信受の善き業因を作り、将来の善果を期するのである。
《『遺文辞典』教学篇「業因」の項》