縁起
縁起
えんぎ
他との関係が縁となって生起することをいう。
『中阿含経』第四七に「此れによって彼あり、これ無くんば彼無し、これ生ずれば彼生じ、これ滅すれば彼滅す」ととかれているが、これは縁起法をもっとも端的に示したものといえる。
即ち、すべての事柄は、何一つとして独自に存在するものではなく、必ず他との関係において存在するという説である。
仏教における基本的な思考であって、これを抜きにして仏教を語ることは出来ない。
仏教の人生観・世界観はこの考えを基準とし、基礎として形成される。
後世になって業感縁起・頼耶縁起・真如縁起・法界縁起の四種が立てられた。
天台教学においては三諦縁起をいい、三諦によってものの存在を説明するが、そこに根づいている考えは、一即一切の縁起法であったといえる。
なぜなら、天台が最勝の教理論として主張した三諦円融論は、それら三諦が何故円融するかを理論的に説明するためには、一即一切義を除外しては出来ないからである。
一即一切とは、『華厳経』にとかれる教理論であるが、天台智顗(五三八-五九七)はこれを『法華経』解釈に十分活用している。
そして、そこに「一念三千」義を展開せしめた。
華厳宗の法蔵(六四三-七一二)は智顗より後の人師であるが、恐らくは、智顗の一即一切義の解釈にヒントを得て、一即一切の事々無碍の相状を十種の立場から説明して、十玄縁起を主張し、法界縁起思想の究極の理論を完成せしめている。
一即一切の縁起思想とは、Aを能統一とした場合、他の一切(すべて)は所統一になる。
またBを能統一とした場合、B以外のすべては、Bに対し所統一になるということであって、このような能所関係は無限に展開する。
そして、我々すべてはこのような関係において存在しているということである。
天台大師が述べたところの「一念三千」の思想は、法蔵が一即一切の事々無碍を主張するヒントになったであろうことを述べたが、この場合、三千とは一切ということであり、一念に一切を含むということは、一念を能統一とした場合、他のすべては所統一となって、一念に内在することになるということである。
日蓮聖人はこの理論を把握せられ、これを実践の場に移して、事の一念三千を立てられた。
縁起とは即ち、一即一切の関係における如く、相資相依をいう。
即ち、互いに資けあい、依りあっている姿をいう。
なお、縁起は世俗的に寺院・仏像などの由来を意味することもある。
更には本来の意味と異なって、俗に縁起が良いとか悪いとかいうときにも使用される。
《『遺文辞典』教学篇「縁起」の項》