下山
下山
しもやま
山梨県身延町、西谷の御草庵から北東約一〇キロ程の地。
下山兵庫五郎光基が領した。
因幡房日永は初め念仏の行者として光基の阿弥陀堂を守っていたが、日蓮聖人の教化に浴したため光基の非難にあった。
そこで日蓮聖人は日永に代り『下山御消息』を草して弁明し、光基もやがて日蓮聖人に帰依して下山の地に本国寺を開いたと伝える。
下山氏は、加賀美遠光の長男で秋山(山梨県甲西町)に居住した秋山光朝の子光重が建仁年間(一二〇一-〇四)にこの地に来住して下山を姓とし、光重から光基、因幡房と続いたとみられる。
下山氏は因幡房でその家跡を断ち、やがて穴山氏の支配に移っていくが、その詳細は明らかでない。
穴山氏の館跡は本国寺の境内となっている。
下山は駿州往還、河内路の要衝として発展し、近世後半には優秀な下山大工を輩出している。