謗法
謗法
ほうぼう
詳しくは誹謗正法(正法を誹謗する)という。
謗法ということは、仏教において一貫して誡められて来たことであるが、一般には仏法を謗るということは、どのように説こうとも仏教が説かれていることを非難し、弘教者に迫害を加えることだとされて来た。
それに対し日蓮聖人は法華一乗の義によって仏教を体系的に理解し、教主釈尊の随自意(ずいじい)(=真実)が明らかにされねばならないとし、それを間接的であれ、否定する行為を謗法として指摘した。
聖人のこのような仏教理解と実践が、聖人の宗教の中枢をなしているところから、謗法義が教法の勝劣の認識、諸宗破折の理由、罪の認識のありかた、仏教実践のありかた等のさまざまな角度からの日蓮教学究明の根本課題として位置づけられるのであり、そうした意味で特に日蓮聖人の謗法の論理が重要となってくるのである。
(一)用語=聖人自ら『授決集』の「謗法の罪報は法華・般若の諸大乗経に一切明らかに説けり」(定二三四九頁)の文を引用しているが、大乗諸経典に謗法という用語は見出される。
例えば法華経はいうまでもないが、『涅槃経』『大般若経』『法滅尽経』『般泥洹経』『法鼓経』『菩提資糧論』(龍樹)『仏性論』(世親)『宝性論』(堅慧)『法華文句』(天台)『法華文句記』(妙楽)『玄義釈籤』(同)『法華秀句』(伝教)『授決集』(智証)等の経論釈が謗法に関連して聖人によって引用されている。
また『念仏者追放宣状事』(定二二五九頁)に収められている「南都奏状」の最初の標題に「一、謗人謗法之事」とあることから、旧仏教の浄土教批判も謗法という観点から行われていた一面があることを知る。
これに対して聖人と同時代の『沙石集』は万教同帰の立場からではあるが、仏教を説くことを誹謗することをきびしく批判しており、法然・親鸞・道元らの鎌倉仏教の宗祖たちもそれぞれに謗法という用語を用いてはいるが、しかし特別な展開は認められない。
(二)諸宗破折の論理=日蓮聖人は『守護国家論』『立正安国論』の段階で謗法者の糾明を行い、「謗法の人を禁ぜよ」「須らく国中の謗法を断つべし」と主張されている。
これら両書の課題の一つは、悪世末法時に破仏法の因縁、破国の因縁を説く比丘が出現すると共に、それを信聴する国王や王子があるであろうことを『仁王経』『涅槃経』等によって確かめ、その悪比丘を究明し破折することにある。
具体的には、浄土教が法華経に帰結される教主釈尊の真意を遮断していることを批判し、法然の『選択本願念仏集』の主張を糾弾するのであるが、そうした結論に到達したのは日蓮聖人が国土の危機を憂い、その危機の根本原因は教主釈尊の末法救済の誓願が遮断されているためであるとし、その悪法を糾明することが不可欠であるとされたからである。
「もし先ず国土を安んじて現当を祈らんと欲せば、速やかに情慮を回らし、いそぎて対治を加えよ」(定二二五頁)「しかず、彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」(定二一七頁)との言表はこれを示している。
同じ意味を聖人は「謗法の人を禁じて正道の侶を重んぜば国中安穏にして天下泰平ならん」(定二二〇頁)「早く天下の静謐を思はば須らく国中の謗法を断つべし」(定二二三頁)と述べて、教主釈尊の真髄を遮断することこそが最大の誹謗正法である。
従来、誹謗正法とは外形的に激しく誹謗することであったが、それよりも、教主釈尊の真髄を遮断することのほうがはるかに罪が重いというのが日蓮聖人の誹謗正法の解釈である
日蓮聖人は諸宗のなかでも当時最も影響力の強かった浄土教を批判しておられるが、教理的には、浄土教がそれ以外の聖道門(しようどうもん)を「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」(捨閉閣抛)と指示しているけれども、末法の衆生を救済するのはどちらであるかという問題をなげかけている。
即ち末法の衆生は教主釈尊の真意を把握しきれず、つまり誹謗正法の機で充満している。
それに対して浄土教は阿弥陀仏の四十八願中、第十八大願に十方衆生救済を語り示しているにもかかわらず、「唯だ五逆と誹謗正法とを除く」と述べているのであるから、衆生救済は貫徹されていない。
それに対して法華経の結経たる『観普賢経』には五逆・謗法の救済を明示し、法華経の譬喩品には「もし人信ぜずして此経を毀謗せば、乃至、その人命終して阿鼻獄に入らん」と説き示されているのであって、釈尊の真髄の教法たる法華経を毀謗するならば、釈尊の誡文に背くことになると明らかにしている。
つまり前文によって阿弥陀仏の誓文に背くことを、後文によって釈尊の誡文に背くことを恐れねばならぬことを明らかにしている。
このように謗法の者を呵責するのは、かれが末代謗法の機への釈尊の救済を阻害するからである。
釈尊の誡文、阿弥陀仏の誓文を問題にするのは、まさに末代衆生を謗法の機と規定するからである。
このことを日蓮聖人は、また『涅槃経』に説かれる恒河七種衆生の解釈を通して論じている。
即ち第一・常没を誹謗正法の一闡提人とし、第二・暫出還没を常没の誹謗五逆とし、浄土教が浄土九品(くほん)のうち下品(げぽん)の機を『観無量寿経』の機であるとし、下品下生の五逆罪の人を十念往生させるとするのに対し、日蓮聖人は前述の点からそれは成立しないとする。
そして法華経においてこそ釈尊の凡夫への一大事因縁が確められ、末代凡夫が教主釈尊・証明多宝如来・讃歎分身諸仏の三仏の本願に帰入する必然が示されるのであって、法華経こそが五逆・謗法の機を救う経典であることを明らかにするのである。
前述したように特に論難した四宗のうち、浄土教を除く三宗について必ずしも詳細に謗法の意味を論述しているわけではないが、言わんとする結論は随所に明らかである。
(三)五逆と謗法=日蓮聖人は「五逆・謗法・一闡提」としばしば連記される。
しかしそのなかでも今の日本国の人びとはすべて大謗法という重病に堕していると述べられている。
(定一一〇三頁)。
しかし厳密にいえば、五逆は釈尊在世の仏教への反逆であり、謗法は釈尊入滅後、釈尊によって遺された仏法を破壊する悪業であると集約することができよう。
要するにその両者に共通するのが、仏教の本質を破壊するため地獄に堕ちる一闡提人ということになる。
言い換えれば、仏教を信ずることは釈尊の随自意に従うことでなければならない。
それに従わない不孝の行為という意味に五逆・謗法はくくられているのである。
(四)謗法堕獄=日蓮聖人は『顕謗法鈔』において八大地獄の因果を明らかにし、末代において無間地獄に堕する業因は謗法であると述べられている。
即ち謗法の罪は堕地獄の業因として意識されるところに重大さが強く認識されるのである。
このようなことは『開目抄』等にしばしば示されるが、「今日本国すでに大謗法の国となりて、他国にやぶらるべしと見えたり。此を知りながら申さずは、縦ひ現在は安穏なりとも後生には無間大城に堕つべし」(定一五六一頁)と述べられるのも同様の趣旨である。
聖人滅後、これは謗法堕獄の論として継承され、室町期の久遠成院日親(一四〇七-八八)の『伝燈抄』等に語られる仏教実践と法難意識は、この謗法堕獄の恐れの意識と表裏一体をなしていることがうかがえる。
また、とかくすると日蓮聖人の謗法義が対他的なものに限定して理解されているが、この謗法の恐れは聖人御自身にとっての大きな課題であられた。
そのことは『開目抄』に『般泥洹経』(はつないおんぎょう)を引用して、聖人が法難に遭うのは、一面では法華経弘教のための色読であるが、他面、聖人御自身の過去謗法の滅罪のためであり、『般泥洹経』に示される姿は日蓮聖人御自身の姿に合致することを述べられている。
聖人がこのようにいわれるのは、聖人御自身を謙下して教主釈尊の随自意を示し、法華経が末代の亀鏡であることを明らかにしようとするものであろうが、後に『報恩抄』に「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ」(定一二四八頁)と高らかに示されるのは、このような思惟と実践との結論として語られるからである。
いわば日蓮聖人は末法という今の時代は小罪を一々問題にする時ではなくて、仏教にとっての根本的な大罪を克服せねばならぬ時であることを問題とされているのである。
(五)謗法供養=『立正安国論』に示される通り、『涅槃経』等の示すところには、かつては謗法を対治するのに武力を行使し、その生命を断つことも正法護持の一方法として許されることの極言もなされたが、能仁((のうにん)=釈尊)出現以後は断命を許さず、謗法の者に供養することをやめることが許されている。
即ち『立正安国論』には「涅槃経の如くんば、たとい五逆の供を許すとも謗法の施を許さず」(定二二三頁)とある。
この文章は、例え五逆罪の者に施すとも謗法の者に供養してはならないという意味であるが、同時に例え五逆罪の人が供養するのを受けることは許しても、謗法の人の供養を受けることを許さないという意味をも包含しているものと解釈される。
後に不受不施の問題が起きると、この解釈が問題となるが前の解釈は不施(止施)であり、後の解釈は不受にあたる。
不受不施派派祖の仏性院日奥(一五六五-一六三〇)は両解釈について「不施の禁の中に自から不受の制あり」(宗義制法論〈『万代亀鏡録』五五三頁〉)と述べている。
(六)一四誹謗=法華経譬喩品には、大悲があればこそ法を説いてはならない謗法の者がある――なぜなら謗法の故に地獄に堕するからと、「若し人信ぜずして此教を毀謗せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん。(略)此の人の罪報を汝今復た聴け、其の人命終して阿鼻獄に入らん」と説示されている。
妙楽大師は『法華文句記』巻六でこれを十四にくくり、日蓮聖人は『松野殿御返事』に「此の十四誹謗は在家出家に亘るべし。恐るべし、恐るべし」(定一二六六頁)と誡められている。
それを挙げると、(1)憍慢、(2)懈怠、(3)計我、(4)浅識、(5)著欲、(6)不解、(7)不信、(8)顰蹙、(9)疑惑、(10)誹謗、(11)軽善、(12)憎善、(13)嫉善、(14)恨善である。
(1)-(10)は教法に対する誹謗であり、(11)-(14)は持者に対する誹謗である。→じゅうしほうぼう(十四謗法)
(七)三約離謗=『秋元御書』(筒御器鈔ともよぶ)に、「我等誹謗正法の国に生れて大苦に値はん事よ。設とひ謗身は脱(のが)ると云ふとも、謗家謗国の失(とが)如何せん。謗家の失を脱れんと思はば、父母兄弟等に此事を語り申せ。(略)謗国の失を脱れんと思はば、国主を諫暁し奉りて、死罪歟流罪歟に行なはるべき也」(定一七三七-八頁)とある。
この文章によって、謗法の罪から免がれるためには、謗身(約身)・謗家(約家)・謗国(約国)の三点について弘教を行えという課題が導かれ、実践の軌範とされた。
これを三約離謗とよぶ。
《茂田井教亨『観心本尊抄研究序説』、宮崎英修『不受不施派の源流と展開』、執行海秀『日蓮宗教学史』、渡辺宝陽『日蓮宗信行論の研究』、『遺文辞典』教学篇「謗法」の項、『日蓮聖人大事典』「日蓮聖人と謗法」の項、『日蓮辞典』『岩波仏教辞典』「謗法」の項》
(渡辺宝陽)