仁王経
仁王経
にんのうぎょう
『歴代三宝紀』、『内典録』等の経録によれば『仁王経』には三訳があるといわれる。すなわち、竺法護(-二三〇-三〇八頃)訳『仁王般若経』一巻、鳩摩羅什(三四四-四一三)訳『仁王護国般若波羅蜜経』二巻、真諦(四九九-五六九)訳『仁王般若経』一巻である。
その後、不空(七〇五-七七四)によって『仁王護国般若経』二巻が翻訳されたので、全体で四訳あったことになるが、現存するものは鳩摩羅什訳と不空訳のみである。
『歴代三宝紀』の記録が信頼できないことは、他の経典の場合と同様で『出三蔵記集』は、竺法護、鳩摩羅什の訳者名を出さず、失訳雑録の中に一経の名を載せるのみである。しかしながら、他の経典の場合と同様、『歴代三宝紀』の記録はあまり信頼できない。一方、『出三蔵記集』では、竺法護・鳩摩羅什の訳者名を出さず、失訳雑録の中に一経の名を載せるのみである
梁の武帝作の『註解大品序』で「(この経を)世既に偽経となす」といい、法経等の『衆経目録』でも疑惑録の中に編入している。
従って現存する二本の中の旧本を羅什訳とするのは疑問があり、加うるに訳語を見ても羅什訳とはなし難い。
次に新本は『仏祖統紀』巻四一によれば、旧本は経理が十分通じないので、勅命により不空、飛錫、良賁らが訳業に従事し、新本を訳出したという。
しかし実際には既出の旧本に手を加え、改作したもので、梵本よりの新訳ではないとみられる。
以下、両本の品名を対照すると、(旧本)序品第一-(新本)序品第一、観空品第二-観如来品第二、菩薩教化品第三-菩薩行品第三、二諦品第四-二諦品第四(以上上巻)、護国品第五-護国品第五、散華品第六-不思議品第六、受持品第七-奉持品第七、嘱累品第八-嘱累品第八(以上下巻)となる。
序品は仏が耆闍崛山で、波斯匿王を中心とする大衆と問答を始める光景を述べ、観空品は菩薩の「護仏果」と「護十地行」を説き、菩薩教化品では「護十地行」の修行の次第を説く。
次いで二諦品では真、俗二諦の義を説いて、最後にこの経には無量の功徳があり、名づけて護国土の功徳となすといい、般若波羅蜜は国土を護ること城塹牆壁等のごとしと説く。
そして護国経典の特色を発揮する次の護国品では、国土が乱れた時の様相とそれを護るために百法師を請じて般若波羅蜜を講ずる等の法用を説き、散華品では般若波羅蜜は諸仏の母にして、三世の利益あるをもって、説き受くべきを示し、受持品は菩薩の十三観門を説いた後、般若波羅蜜が一切国土の安穏をもたらすことを強調し、更にそれを在俗の為政者である国王に付嘱して、出家の比丘、比丘尼に付嘱しないと説くが、嘱累品ではこの経を国王及び四部の弟子に付嘱することを述べる。
そしてここで後の五濁の世において、国王等が高貴を恃み、統官、僧籍を設けて、仏の弟子を統制すれば、仏法は久しからずして滅し、破国の因縁となることを説き、また一方、仏教教団内部の腐敗堕落は獅子身中の虫が自から師子を食うごとく、自ら仏法を滅ぼす原因となることを述べる。
旧本と新本との主な相異は、特に中国的と思われる用語、道教的用語を改め『華厳経』の十地説を加え、全体に亘って密教的色彩、例えば密教系の仏、菩薩の名称、陀羅尼等が導入されたことで、後に密教経典として重んじられるようになる。
中国において仁王経が用いられた記録は『仏祖統紀』に記載する至徳三年(五八五)の天台大師智顗による太極殿における講説である。
それがどの程度信頼性がある記録であるか問題はあるが、当時六朝末の混乱した社会状勢から見て、護国の経典として『金光明経』と共に重要視され始めていたであろうことが推測される。
そして、それが最も尊重されるのは、中唐期であり、わが国でも奈良朝、平安朝を通じ、護国の経典として尊重され、盛んに講説された。
日蓮聖人は末法の様相を説明する時、本経を引用し、また破仏・破国の因縁を説く文証としている。
《『正蔵』八巻般若部四、『国一』釈教論部下、『国蔵』経部二(国民文庫版)・経典部四(東方書院版)、『遺文辞典』歴史篇「仁王経」の項、『日蓮辞典』「仁王経」の項、『大蔵経全解説大事典』「〇二四五・仏説仁王般若波羅蜜経」「〇二四六・仁王護国般若波羅蜜多経」の項、『大乗経典解説事典』「般若部」、『仏書解説大辞典』「仁王般若波羅蜜経」「仁王護国般若波羅蜜多経」の項、『岩波仏教辞典』「仁王般若経」の項》