付嘱
付嘱
ふぞく
付は遺付・付与、嘱は依嘱・嘱託の意。
如来が大法の仏滅後の弘通を在世の聴衆乃至未来の衆生に遺付嘱託する儀式をいう。
また付属とも書す。
嘱累ともいう。
嘱累とは『法華文句』嘱累品釈の首に解説あり。
「嘱は是れ仏の付嘱したまふ所、累は是れ爾(なんじ)を煩はして宣伝せしむ」と。
付嘱のことは、例えば『大日経』には嘱累品第三一、『大品般若経』には嘱累品第六六等、諸経にあるが、法華経には二種の付嘱が説かれる。
神力品第二一と嘱累品第二二とである。
しかし嘱累品のみならず、神力品をも付嘱のための品と見たのは、天台大師智顗の独創的識見なのであって、それ以前の法華註釈家はそうではなかった。
梁の光宅寺法雲は『法華義記』において、神力品の「受持読誦解説書写而供養之」までを下方受命流通、「爾時世尊於文殊師利等」以下を付嘱流通と科名し、正明付属には嘱累品だけを当てている。
また隋の嘉祥寺吉蔵は『法華義疏』において、神力品には明如来現神と科して讃嘆流通の中に組入れ、嘱累品には正明付属と科して付嘱流通の中に組入れて、両品を両断しているのである。
従って神力品と嘱累品とを一組のものと見て嘱累流通と科したのは智顗の創説である。
『法華文句』一〇下に「此の中、深法を付属せんが為めに十種の大力を現ず。
故に神力品と名く(略)今品は菩薩受命して経を弘むることを明し、次の品は如来摩頂したまひて付累したまふ」と。
日蓮聖人の法華経の付嘱論は智顗のこの教説を源として、これを発展せしめたものである。
法華経の付嘱の儀式は宝塔品から始まる。
『新尼御前御返事』に「今此の御本尊は(略)宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し、神力品嘱累に事極りて候しが(略)此にゆづるべしとて上行菩薩等を涌出品に召出させ給て、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給」(定八六七頁)とあるのがそれで、この起顕竟の法門は本門の本尊の説処を示していると同時に、また付嘱の儀式の始終をも示している。
起顕竟の法門が付嘱の儀式に関することがらである点については『御義口伝』(定二六八五-二七〇一頁)にくわしい。(なお『御義口伝』は、真蹟曾存、真蹟断片、真蹟断片、直弟写本でないため、研究等の立場では引用されない)
まず経文の大筋を述べれば、宝塔品第一一で多宝塔の涌出、多宝如来の証明法華、三変土田、分身来集、開塔、二仏並座、虚空会ののち、宝塔の中から釈尊は普く四衆に告げたまはく「誰か能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かん、今正しく是れ時なり。如来久しからずして当に涅槃に入るべし。仏、此の妙法華経を以て付嘱して在ることあらしめん(付嘱有在)と欲す」と仏滅後の此土弘経を募集される。
偈頌では、この経の「令得久住」は「難事」なりとて六難九易(ろくなんくい)を説いて応募者へ注意を促されるのであるが、これに対して勧持品第一三では先ず二万の菩薩が此土弘経を誓言し、また既に授記された五百羅漢・学無学の八千人は他土弘経を誓願し、更に新たに只今授記された憍曇弥・耶諭陀羅を首とする比丘尼集団も他土弘経を誓言するが、仏は八十万億那由他の菩薩の方を視て黙然としておられる。
そこで八十万億那由他の菩薩は二十行の偈を以て「恐怖悪世中」にたとえ三類の怨敵(さんるいのおんてき)が我等に迫害を加えようとも「我不愛身命但惜無上道」の決意をもって「仏の告勅を念ふが故に皆当に是の事を忍ぶべし」と末代悪世の此土弘経を誓言する。
ところが仏は涌出品第一五において、これらの他方来の過八恒沙の菩薩たちの此土弘経の誓言に対して「止みね善男子、汝等が此経を護持せんことを須ひじ」と無下に謝絶して了われた。
そして「我が娑婆世界に自ら六万恒河沙の菩薩摩訶薩あり(略)是の諸人等能く我が滅後に於て護持し読誦し広く此経を説かん」といわれた時、娑婆世界の地下の虚空から六万恒沙の菩薩たちが涌出した。
この菩薩たちが釈尊の本時以来の弟子である所以を説明するために寿量品が説かれ、やがて神力品に来て、仏は十神力を現じて「上行等の菩薩大衆」に対して「要を以て之を言はば、如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事」(四句要法)を結要付嘱され、次に嘱累品において「無量の菩薩摩訶薩」の頂を三摩して「法華経」一部および「余の深法」を総付嘱されるという筋である。
法華経の付嘱のこの筋道は智顗の説明を通さねば見えてこない。
智顗は『法華文句』八下において、宝塔の涌出に証前と起後との二つの役割があると示す。
証前とは方便品以後法師品までの二乗作仏に関する三周説法の真実を証明して「善哉善哉(略)釈迦牟尼世尊所説の如きは皆是れ真実なり」と讚嘆されたことを指し、「起後とは、若し塔を開せんと欲せば須らく分身を集め、玄を明して付嘱すべし。声、下方に徹して本弟子を召し、寿量を論ず」という。
即ち宝塔涌現は寿量開説の遠序となると共に、「明玄付嘱」であるという。
「明玄付嘱」を湛然は扶釈して「明玄等と言ふは、略して経題を挙ぐるに玄に一部を収む。故に仏、此の妙法(華経)を以て(付嘱して在ること有らしめんと)欲す等と云ふ」と。
妙法蓮華経の玄題を明して付嘱せんとするということであれば、それは宝塔品の「付嘱有在」を指すと共に、遠く神力品の結要付嘱をも指すと見ねばならない。
従って経文の「付嘱有在」を『文句』に釈して、「此に二意あり、一に近令有在とは八万二万の旧住の菩薩に対して此土に弘経せしむ。二に遠令有在とは本弟子の下方千界微塵に付して觸処(此土)に流通せしむ」と。
これ明らかに神力品の別付嘱を予想している。
次に涌出品の「止善男子」の経文を釈して「如来之を止めたまふに凡そ三義あり。汝等各々自ら己が任有り、若し此土に住せば彼(土)の利益を廃せん、一なり。又他方(来菩薩)は此土の結縁の事浅し、宣授せんと欲すと雖も、必ず巨益無からん、二なり。又若し之を許さば則ち下(方)を召すを得ず、下若し来らずば迹を破するを得ず、遠を顕はすを得ず。是を三義もて如来之を止めたまふと為す。下方を召し、来るにも亦三義あり、是れ我が弟子なり。応に我が法を弘むべし(是一)、縁の深広なるを以て能く此土に徧して益し、分身の土に徧して益し、他方の土に徧して益す(是二)、又開近顕遠することを得。是の故に彼を止めて下を召したまふなり」と。
経文によると、釈尊は宝塔品では滅後弘経の人を広く募集しておきながら、勧持品で種々のグループがそれに応じたところ、涌出品で「止善男子」と嫌うとは、仏にも偏頗があるのかと誰しも奇異の感に打たれるのであるが、「止」の字に深く思いを致した人は智顗独りである。
智顗のこの止三召三の釈は要するに、釈尊は次に寿量品を説き起こそうとの深い思召しから「止」といわれたということ、今一つには本弟子でなければ滅後の恐怖悪世中の忍難弘経には堪えられないから、迹化他方の弘経を止められたのであるという。
こうみて来ると、神力品における上行等の地涌の菩薩への付嘱は、例えば一般聴衆への勧奨のために架空の人物たる上行菩薩等に先づ付嘱してみせたとか、次の嘱累品で一般大衆に総付嘱するに当って、景気付けのために、神力品で十神力を現じ、地涌千界の微塵数の菩薩たちに別付嘱してみせたという類の軽い非現実的な儀式なのではなく、宝塔品の「付嘱有在」、涌出品の「止善男子」等の経文の筋から見て、嘱累品よりも寧ろ神力品の付嘱の方が法華経の付嘱の本筋であることに思い至るのである。
従って聖人も智顗の止三召三の釈を文永九年(一二七二)作の『下方他方旧住菩薩事』(定二三二三頁以下)、同一〇年作の『本尊抄』(定七一五頁、但し「前三後三の六釈」といわれる)、建治元年(一二七五)作の『上行菩薩結要付嘱口伝』(定二三二五頁以下)、弘安元年(一二七八)作の『教行証御書』(定一四八六頁)等に引いて注目されたところである。
神力品の付嘱を別付嘱・本化付嘱・本門付嘱・塔中付嘱といい、嘱累品の付嘱を総付嘱・迹化付嘱・迹門付嘱・塔外付嘱という。
別付嘱の語は『教行証御書』に「地涌千界出現して濁悪末代の当世に別付嘱の妙法蓮華経を一閻浮提の一切衆生に取次ぎ給べき仏の勅使なれば」(定一四八六頁)とあり、本化付嘱の語は『曽谷殿御返事』に「此五字を地涌の大士を召出して結要付嘱せしめ給。
是を本化付嘱の法門とは云也」(定一二五三頁)とあり、『立正観鈔』(定八四七頁)にも見える。
本門付嘱の語は『授職潅頂口伝鈔』に「迹門付嘱-薬王菩薩-後身天台大師-後身伝教大師、本門付嘱-上行菩薩-日蓮大徳」(定八〇四頁)とあり、塔中付嘱の語は『御義口伝』に「惣別の付嘱、塔中塔外之を思ふべし」(定二七〇一頁)とある。
神力品を別付嘱という訳は、神力品は別して本化の菩薩に対して、別して本法の妙法蓮華経の五字を付嘱する品だからである。
本化への付嘱であるから本化の付嘱といい、妙法五字は本門の大法だから本門付嘱という。
また多宝塔中二仏並座の虚空会の付嘱の儀式だから塔中付嘱という。
付嘱の対象が本化であることは、神力品の初めに「爾の時に千世界微塵等の菩薩摩訶薩の地より涌出せる者」といい、結要勧持段の初めに「爾の時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまはく」とあるによって明らかである。
また別して本法の妙法蓮華経の五字を付嘱すとは、そもそも智顗は『法華文句』一〇下において、神力品を一菩薩受命発誓弘経・二仏現神力・三結要勧持の三段に分け、三の結要勧持を更に四分して一称歎付嘱・二結要付嘱・三勧奨付嘱・四釈付嘱意と科文するが、この結要付嘱の経文は「要を以て之を言はば、如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す」である。
これを四句要法といい、解説して「要を結するに四句有り。一切(所有之)法とは一切は皆仏法なり、此れ一切は皆妙名なるを結するなり。一切(自在神)力とは通達無礙にして八自在を具す、此れ妙用を結するなり。一切秘(要之)蔵とは一切処に遍して皆是れ実相なり、此れ妙体を結するなり。一切(甚)深(之)事とは因果は是れ深事なり、此れ妙宗を結するなり。皆於此経宣示顕説とは、總じて一経を結するに唯だ四のみ、其の樞柄を撮て之を授与す」という。
結要の四句が名体宗用(教)の五重玄義であるとすれば、五重玄義によって妙法五字を解説する『法華玄義』が想定される。
妙法五字は五重玄具足であるから、四句とは妙法五字の謂であるということになるのである。
聖人が『本尊抄』に「寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経」(定七一七頁)、『曽谷入道殿許御書』に「其所属の法は何物ぞ乎、法華経の中にも広を捨てて略を取り、略を捨てて要を取る、所謂妙法蓮華経の五字、名体宗用教の五重玄也」(定九〇二頁)等といわれ、「結要の五字」(定六九二・七六二・一四八九頁)といわれるのはここのところであり、殊に『上行菩薩結要付属口伝』(定二三二九頁)では更に湛然の『文句記』の文を引いて、四句要法が妙法五字を意味することを明瞭ならしめている。
即ち「結要有四句とは、本迹二門に各々宗用あり、二門の体は両処殊ならず、名は此の三(体宗用)に冠して三を總ぶ。一部の要、豈に此に過んや、故に總じては之(名)を攬て以て流通を成ず」とて、四句が総名に帰する意向を示している。
総名とは妙法五字である。
ただし湛然は四句を本迹二門の名体宗用と見たが、聖人は本門の五重玄、寿量品の名体宗用教の南無妙法蓮華経と見た。
これは湛然が迹門立ちであるに対して、聖人は本門立ちであることによる違いであり、地涌の菩薩は本門八品にのみ在座する菩薩であることを思えば、本門の結要の四句と見た方が妥当である。
上行菩薩出現の時が末法であるとされるのは、宝塔品の六難九易、勧持品の三類怨敵の難持の仏勅に応えて召出されたのが地涌の菩薩だからである。
正像二千年よりも末法の方が迫害は激烈であるからである。
次に嘱累品について総付嘱・塔外付嘱と称する例は先引の『御義口伝』に見え、迹門付嘱と称する例は先引の『授職灌頂口伝抄』、および『御義口伝』に「当品は迹門付嘱の品也」(定二六八八頁)とある。
迹化付嘱の語は見当たらないが、本化地涌の菩薩以外の「無量の菩薩摩訶薩」への付嘱であるから、自ずから迹化への付嘱ということになる。
故に『呵責謗法滅罪鈔』には「其後又一つの神力を現じて、文殊等の自界他方の菩薩・二乗・天人・龍神等には一経乃至一代聖教をば付嘱せられしなり」(定七八三頁)、『曽谷入道殿許御書』には「釈尊然後、正像二千年の衆生の為に宝塔より出でて虚空に住立し、右手を以て文殊・観音等・梵帝日月四天等の頂を摩で、是の如く三反して法華経の要よりの外の広略二門竝に前後の一代の一切経を此等の大士に付属す」(定九〇四頁)といわれる。
文殊・観音等とは迹化であり、垂迹して像法に布教した天台大師・伝教大師等である。
嘱累品を総付嘱と称するわけは、総じて「無量の菩薩摩訶薩」に対して、総じて「法華経」一経および「余の深法」を付嘱するからである。
之を今の遺文には文殊・観音等の自界他方の菩薩・二乗・人天・梵帝日月四天等に対して一経の広略および一代聖教を付嘱すと云っていた。
塔外付嘱とは、嘱累品も虚空会の内であり、塔中二仏並座の儀式の中で付嘱が行なわれるが、この品の初に「爾の時に釈迦牟尼仏、法座より起って」とあるので、今の『曽谷入道殿許御書』にも「宝塔より出でて虚空に住立し」という。
日蓮聖人が上行菩薩の再誕として末法の初に出現し、妙法五字七字を日本国ないし一閻浮提に広宣流布する者であると自己を規定されたのは、この起顕竟の法門の筋によるものである。
《『法華文句』、山川智応『法華思想史上の日蓮聖人』、『遺文辞典』教学篇「付属・付嘱」「惣別付属(そうべつのふぞく)」の項、『日蓮辞典』「総付嘱」「別付嘱」の項》
(浅井円道)