法華義記
法華義記
ほっけぎき
八巻。
梁の光宅寺法雲(四六七-五二九)の法華経註釈書。
『正蔵』三三巻所収。
『法華経義記』『義疏』『法華光宅疏』ともいわれる。
現存の中国法華経註釈書では竺道生の『妙法蓮花経疏』に次いで古い。
本書の文中に「光宅法師云」等と記されていることから、法雲の講述を門人が筆録したものとみられている。
法雲は開善寺智蔵・荘厳寺僧旻と共に梁の三大法師とたたえられ、僧印から法華経を学んだ。
また『成実論』『三論』『浄名経』『勝鬘経』『涅槃経』に通じた。
当時、江南では『涅槃経』を最高とする五時教判が行われ、法雲も『涅槃経』重視の立場から法華経を解釈した。
法雲は提婆達多品を除く羅什訳妙法蓮華経二七品を序・正・流通の三段に分け、序品を序分とし、方便品より分別功徳品の弥勒説偈の末尾までの一四品半を正宗とし、それ以後の一一品半を流通付嘱としている。
更に正宗の中を因・果の両段に分け、方便品より安楽行品までの一二品は開三顕一を説き因の義を顕すものとし、湧出品以下の二品半は開近顕遠を説き果の義を明かすものとした。
開三顕一については、羊鹿牛の三車と珍宝大車とを区別する立場をとり、後世、四車家の唱道者といわれる。
開近顕遠については「八十年の仏(応身)は実仏にあらず」と明かすのが開近で「応家之本身寿命長遠之相」を明かし「復た上の数に倍す」と説くのが顕遠であるとした。
そして「復倍上数」とは昔の「七百阿僧祇」に対して今はその倍の長さをいうとし、有限とみている。
法雲は法華経の仏身を有限(無常)なものとみなし、『涅槃経』の法身常住と区別し、『涅槃経』を上位に置いた。
天台大師智顗や嘉祥大師吉蔵は法華経の仏身を常住とみる立場から法雲の説を厳しく批判した。
また三車家・四車家の論争も起った。
智顗や吉蔵は法雲の説を批判しながら自説を確立していったのである。
『法華義記』はわが国の聖徳太子の『法華義疏』にも引用され、当時の法華経解釈の基礎となり、大なる影響を及ぼした。
日蓮聖人の法華教学は全面的に天台教学を基盤とし、法雲の教学によるところは全くなかった。
天台智顗の『法華文句』は法雲の『義記』を破しつつ自説を展開しているので、日蓮聖人も法雲は『涅槃経』を最第一と考えた人として指弾された。
《塩田義遜『法華教学史の研究』、横超慧日『法華思想の研究』、坂本幸男「中国における法華経研究史の研究」『法華経の中国的展開』、田村芳朗「法雲の『法華義記』の研究」『法華経の中国的展開』、『遺文辞典』歴史篇「法雲」「法華疏(ほっけのじょ)」の項》