塩田義遜
塩田義遜
しおだぎせん
(一八八九-一九六四)
日蓮宗学匠。郷土史研究家・文学博士。
明治二二年一〇月一一日、山梨県笛吹市八代町善国寺・塩田日英の次男に生れる。
同四〇年四月、甲府信立寺金塚義衷について得度、大正五年三月日蓮宗大学卒業、同八年日蓮宗大学研究科を卒業。
大正一四年、学識が嘱望され祖山学院の教授に招かる。
当時の学院には教頭富木堯広。
教授遠藤是妙、高田恵忍、亀口龍謙、永倉唯嘉らの、宗内屈指の諸師によって陣容が整えられ、祖山教学の隆盛期であった。
爾来、三〇有余年、半生の学究の場となった。
傍ら、昭和二五年には立正大学教授に、同二九年立正大学宗学研究所特別所員となるなど、日蓮宗学の重鎮として活動した。
この間、『日蓮聖人の生涯』(大正一五年)、『日蓮聖人御遺文講義』(昭和八年)、『法華経の研究』(同一八年)、『宗学概論』(同一八年)など、主要著書を刊行し、研究の成果は『棲神』『大崎学報』『印度学仏教学研究』『日本仏教学会年報』その他の諸誌を通して発表され、斯学に対して稗益するところは大きかった。
昭和一三年司法保護委員、同一九年山梨県宗務所長、同二八年日蓮宗教学審議会委員、回三一年山梨県文化財調査委員、同三三年山梨県郷土研究会理事長などを歴任した。
昭和二七年山梨県知事表彰をうけ、昭和三六年一二月七日、学位請求論文『法華教学史の研究』によって文学博士の学位を授与された。
その人格は温厚篤実、時に酒を愛し、他と交って誠意をもってし、後進の指導に情熱をもやし続けた。
「塩田先生の講義の語調には悩まされた」とは、今でも語り草となっているが、他を説得しようとする真摯な態度、該博な知識は、多くの人々を魅きつけた。
昭和三四年一一月権大僧正、同三九年一二月二一日、甲府信立寺で遷化、世寿七五歳。