付嘱有在
付嘱有在
ふぞくうざい
法華経宝塔品の文。
虚空会上多宝塔中の師子の座に坐した釈尊が、大音声をもって、滅後末代弘通の人を唱募せられた文。
経に「誰か能く此の娑婆国土に於て、広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり。如来久しからずして、当に涅槃に入るべし。仏、此の妙法華経を以て、付嘱して在ることあらしめんと欲す」とある。
即ち釈尊は不滅の滅を現ずるに臨んで、仏の法身たるこの法華経を滅後の弘通者に付嘱して、娑婆世界に久住せしめんと欲し弘通の人を覓められたのである。
付嘱有在について、智顗は「付嘱有在とは、此に二意あり。一に近く在ること有らしむとは、八万・二万の旧住の菩薩に付して、此の土に弘宣せしむるなり。二に遠く在ること有らしむとは、本の弟子、下方千界微塵に付して、觸處に流通せしむるなり。又寿量を発起するなり」(『法華文句』巻八)と釈している。
即ち滅後の近き世に付嘱して存在せしめる弘通者として、薬王菩薩等の八万・二万の菩薩に付嘱し弘宣せしめるのであり、滅後の遠き世に付嘱して存在せしめる弘通者として、本化の弟子を召出して付嘱し流通せしめんとするのである。
この本化付嘱が寿量品を説く縁となるから寿量品を発起すというのである。
日蓮聖人はこの「付嘱有在」を仏の「第一の勅宣」(『開目抄』)といわれた。
宝塔品の文は在世の四衆に告げられた言であるが、仏の本意は地涌の菩薩を召喚して未来の弘経を勅命されたのであるから、仏の三世益物の歴史としての付嘱である。
即ち付嘱は、地涌の菩薩を通して、久遠常住の釈尊が自己の本懐を末法の現在に実現されることに他ならない。
従って付嘱有在とは、釈尊の本懐が地涌の菩薩を媒介として、末法の現在に在るべきように有ることをいうのである。
《『遺文辞典』教学篇「付属有在」の項、『日蓮辞典』「付属有在」の項》