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嘉祥

かじょう #1116

嘉祥

かじょう

(五四九-六二三)
嘉祥大師吉蔵(きちぞう)の略称。 初め嘉祥寺に住したので嘉祥大師と称せられ、嘉祥吉蔵とも呼ばれる。 俗姓を安といい、祖先が安息(パルチア)出身のため「胡の吉蔵」とも記される。 金陵に生れ、真諦(四九九-五六九)により吉蔵と名づけられた。
台智者大師智顗(五三八-五九七)と同代の後輩である。 天台大師が隋代に世を去ったのに対し、嘉祥大師は唐の初期まで生存し、唐の都長安に迎えられて、三論、法華経等を説した。
嘉祥大師は興皇寺法朗(五〇七-五八一)の弟子で、三論(中論・百論・十二門論)の学の大成者であるが『続高僧伝』によれば「三論をずること一百余遍、法華三百余遍、大品・智論・華厳・維摩等各々数十遍なり。 並びに玄疏を著わし、盛んに世を流(ひろ)まる」(『正蔵』五〇巻五一四頁c)といわれ、生涯法華経を説した。
法華経関係の註釈書には次のものがある。
△『法華玄論』一〇巻、△『法華義疏』一二巻、『法華遊意』二巻または一巻、『法華統略』六巻(△印は聖人引用)。
このほか天親(世親)造・菩提留支訳『妙法蓮華経憂波提舎(法華論)』の註釈書として『法華論疏』三巻があり、また『大乗玄論』巻第三の「一乗義」には法華経開会(かいえ)思想に関する吉蔵の見解が要約されている。
また『清百録』に嘉祥大師が天台大師経をねがう書簡が収録されている。 しかしこの要請は、その年に天台大師が世を去ったため実現しなかった。
章安灌頂(五六一-六三二)の修治した『法華玄義』『法華文句』とのに相互の影響がみられる。 『祖統紀』(『正蔵』四九巻二〇二頁a)には、章安から『法華玄義』を借りて一覧するや、嘉祥大師は自分の前作を深く悔いて旧疏を焚棄したという記がある。 しかしこれを後世の誇張とみる学者も少なくない。
《林岱雲「嘉祥大師の研究」『現代仏教界』六巻六〇-六二号、横超慧日「法華義疏解題」『国一』和漢撰述三、塩田義遜『法華経学史の研究』、平井俊榮『中国般若思想史研究-吉蔵と三論学派-』、丸山孝雄『法華経学研究序説-吉蔵の受容と展開』、『遺文辞典』歴史篇「吉蔵」の項、『岩波仏教辞典』「吉蔵」の項

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