本門
本門
ほんもん
法華経二八品の中、序品第一から安楽行品第一四までの前半を「迹門」というのに対し、涌出品第一五から勧発品第二八までの後半を「本門」と称している。
これは天台の『法華文句』巻一上において、法華経を本迹二門に分け、それぞれに序分・正宗分・流通分の科文をつくって説明したことに基づくものである。
本門の正宗分は如来寿量品第一六にあって、ここでは教主釈尊が「われ、仏を得てよりこのかた、へたる所の諸の劫数は、無量百千万億載阿僧祇なり」と久遠の過去において成仏し、常に説法教化して来たことを明らかにしたものであり、仏の本地が開顕されたのである。
即ち迹門までの仏は、インドに応現した王子が、出家して苦修練行の結果、菩提樹のもとで悟りを開かれて仏陀になり、爾来いくたの教えを説いてこられたとする「始成正覚」の仏であった。
しかし本門の中心たる寿量品では、その近成を開いて久遠実成の本地が開顕されたのであって、これを「久遠本仏」と称している。
日蓮聖人はこの寿量品の久遠本仏のことを『開目抄』の中で、天の実月にたとえ、諸仏を水の上に浮んだ月影に比しており、水中の月を実月と思いこむような誤りをしてはならないと誡められているのである。
つまり寿量品の仏が本地開顕の唯一の本仏であって、諸仏はその分身散体であるとするのである。
またこの本仏をもって、本門の三大秘法の一つである本門の本尊に定められている。
このように本門といわれる法華経後半の一四品は、その中心たる寿量品の久遠実成をもって、最も大切な法門としているのであるが、この久遠実成とはただ単に仏が本地を開顕したというのみではなく、われわれ衆生にとっても極めて大きな意義をもつものなのである。
天台の『法華玄義』一上によれば、三種教相という教判が説かれているが、その第三として「師弟の遠近不遠近の相」が説かれている。
これによると仏が本地を顕したのみではなく、弟子もまた過去久遠の弟子として、その本地を顕したことになるというのである。
日蓮聖人はこの第三師弟の遠近不遠近の相に重点を置き、更に『法華玄義』七上で説かれている本門十妙の中の本因・本果・本国土の三妙から、一切衆生の真の成仏を説き、浄仏国土の顕現されてくることを『開目抄』や『観心本尊抄』の中で論じられているのである。
即ち『開目抄』の中で「本門に至りて、始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。爾前迹門の十界を打やぶて、本門十界の因果を説き顕はす。これ即ち本因本果の法門なり」(定五五二頁)と説き、更に「九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備りて、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」と述べて、正報の衆生成仏と共に依報の国土についても、仏国土の顕現を明らかにしているのである。
また迹門において二乗作仏と一念三千の法門が、それぞれ説かれているが、これは発迹顕本がなされていないので、まことの一念三千も現れず、二乗作仏も定まらない状態であって、水中の月を見るがごとくであり、根なし草が波上に漂うようなものであると論じている。
従って法華経の最も大切な法門として他にほこることのできる二乗作仏や一念三千の法門は、すべて本門に来って初めて活きた法門としての意義が現れることになるのであり、久遠実成の法門、即ち師弟共に久遠の本地が開顕されたことにより、二乗作仏もまた一念三千の法門も「まこと」の法門として発揮されることになるというのである。
次に『観心本尊抄』の中では、本門の一四品について序分・正宗分・流通分の三段に分け「涌出品の半品を序分となし、寿量品と前後の二半これを正宗となす。其の余は流通分なり。その教主を論ずれば始成正覚の釈尊にあらず、所説の法門もまた天地の如し」(定七一四頁)と述べている。
寿量品と前後の二半とあるのは、涌出品の後半と分別功徳品の前半をいうのであって、寿量の一品を中心にした二半は、久遠実成が説かれているのであって、これを一品二半と呼び、本門の中での正宗分にあてている。
一品二半をもって一切諸経の中心眼目であるとし、この本門の正宗分たる一品二半、特に寿量品の肝心は、「妙法蓮華経の五字」にあるとする。
即ち法華経の中で最も大切なのは、久遠実成を説いた本門にあるのであり、その本門の肝心は「妙法五字」にあるということになるのである。
次に日蓮聖人にとって大事なことは、本門においてこのように本仏が説き示されたと同時に、地涌千界の大菩薩が説かれていることである。
涌出品において、大地の下より本化の大菩薩が涌出するが、この大菩薩衆は、仏の滅後においてよくこの経を護持し、読誦して広くこの経を説くことを使命としたものである。
仏はこの地涌千界の菩薩に対し、神力品において「如来の一切の所有の法と、如来の一切の自在の神力と、如来の一切の秘要の蔵と、如来の一切の甚深の事とは、皆この経において宣べ示し顕に説けり。この故に汝等よ、如来の滅後において応に一心に受持し読誦し解説し書写して、説の如く修行すべし」と命じている。
即ち神力品で特別の付嘱を受けた地涌の菩薩は、久遠本仏の直弟子であり本化(ほんげ)と称されている。
仏の滅後末法の世に仏に代って正法たる法華経を弘めるべき仏使としての立場にあるわけである。
日蓮聖人はこの本化の菩薩の代表者たる上行菩薩の先がけとして、法華経の題目を弘めて来たことをふりかえり、ついに仏使上行としての自覚に立たれるに至ったのである。
不軽品・神力品は聖人にとって特に大事な経文として受けとめられているのである。
かくして聖人は本門一四品の中でも特に一品二半と神力品までを重視し、天台が迹門を中心としたのに対して、本門を中心とした立場をとられたのである。
本迹の両門共に大事であるが、中でも本門に重きを置いた聖人の教学には、こうした理由があったからである。
《『遺文辞典』教学篇「本門」の項、『日蓮辞典』「本門」の項、『天台学辞典』「本門と迹門」の項》