分身
分身
ふんじん
仏の分かれた身。
仏のぶんしん。
仏は一切衆生教化のために、身を分かちて種々の国土に応現し教化活動を行う。
これを分身仏という。
法華経でいう「分身」とは、本仏釈尊の分身の諸仏のことである。
釈尊は娑婆本土に在りながら、東西南北四維上下、この十方世界に身を分かって化現している。
尽十方の一切の諸仏は皆釈尊の化作したところの分身仏である。
法華経見宝塔品ではその十方分身の諸仏を法華説法の霊山の一処に集め、自らの本仏なることを密示し、過去仏の象徴たる多宝と並座して虚空会の儀相を整えている。
この分身来集は釈尊の顕本という法華教学の最要を導く契機となるものであった。
日蓮聖人は『開目抄』に「証前の宝塔の上に起後の宝塔あて、十方の諸仏来集せる、皆我が分身なりとなのらせ給ひ」(定五七一頁)と述べ、天台の「分身既に多し、当に知るべし成仏久しきことを」(玄義九)を引いて、「寿量品の遠序なり」と述べている。
また「此の過去常顕るる時、諸仏皆釈尊の分身なり」(定五七六頁)として、本門の極地を諸仏がすべて釈尊の分身であるという論理をもって説き明かすのである。
その分身の概念には横十方とともに、縦過去・現在・未来の三世の諸仏も釈尊の分身として入っている。
『普賢経』には善徳仏及びその分身が説かれるが、本門寿量品では十方三世一切諸仏皆釈尊の分身となる。
《『遺文辞典』歴史篇「分身諸仏」の項、『岩波仏教辞典』「分身」の項》