善徳仏
善徳仏
ぜんとくぶつ
十方仏の一。
東方世界の仏。
『観普賢菩薩行法経』には、六根懺悔法のうち耳根懺悔・鼻根懺悔の経文に善徳仏の名が見られる。
それによると、行者の耳根懺悔の言葉を聞いた多宝仏が、大光明を放って東方及び十方界を照らすと、東方に善徳仏及び無数の分身諸仏がましまして行者を讃歎し、また、鼻根懺悔の時は、行者は「南無釈迦牟尼仏・南無多宝仏塔・南無十方釈迦牟尼仏分身諸仏」と唱え、更に「南無東方善徳仏及び分身諸仏」と唱えて供養し合掌して諸仏を讃歎すると説かれている。
日蓮聖人は『千日尼御前御返事』に「法華経は十方三世の諸仏の御師也。十方の仏と申すは東方善徳仏・東南方無憂徳仏・南方栴檀徳仏・西南方宝施仏(略)」(定一五九七頁)と十方仏の名を具体的に挙げられている。
また日蓮聖人図顕の大曼荼羅のなかには善徳仏を勧請されたものが多く見られる。
善徳仏勧請の本尊の多くは、中央首題の左右に「南無釈迦牟尼仏」「南無多宝仏」と記し、その外側に「南無十方分身諸仏」「南無善徳仏」と列せられた形態が多い。善徳仏は十方仏を代表する仏として勧請されたものと考えられる。
現存する大曼荼羅のうち、善徳仏勧請の本尊は文永年間に(11)(13)(16)(18)(20)(22)(24)(番号は立正安国会版『御本尊集』による)の七幅、建治年間に(30)(31)(32)(33)(34)(35)(36)(37)(38)(39)(40)(41)(42)(43)(44)(45)(46)の一七幅の計二四幅である。
弘安年間の本尊には十方分身諸仏ならびに善徳仏は見られない。
従って善徳仏の勧請は文永一一年六月((11)京都妙満寺所蔵本尊)から建治三年(一二七七)一一月((46)京都本圀寺所蔵本尊)の間に図顕された本尊に限られているのである。
日源伝・日実記と伝える『御本尊図給年号事』に「建治年中までは尚以て随他意の辺これ有り、東方善徳仏等十方分身等云々是也。弘安年中の御本尊は随自意と習也」(『本尊論資料』四四五頁)と記されているように、教学史上では「善徳仏」「十方分身諸仏」勧請の有無をもって、「随他意」・「随自意」に区別する見方もある。
これは『三沢鈔』の教示に従って、佐前と佐後を区別する法門上の分別にならったもので、弘安年間の本尊をもって聖人の本意とみなすものである。
《『遺文辞典』歴史篇「善徳仏」の項》