衆生
衆生
しゅじょう
梵語sattvaの訳。
いのちあるもの、生きているもの、生きとし生きるもの等の意味であるが、特に人間のことを指す。
新訳では「有情」という。
法華経方便品には「諸仏世尊は衆生をして仏知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するが故に世に出現したまう」として、四仏知見が語られているが、このように衆生とは、この世に生きているすべての人々ということを意味している。
この時、衆生とは仏と相対するものという具合に理解されやすいのであるが、この両者を相対的に捉えてはならないとするのが法華経の一乗思想・久遠実成のもののみかたである。
寿量品は衆生の住む衆生世界(娑婆世界=人間世界)は釈迦のおられる仏国土であることを説くが、それはまた衆生こそが仏となるべきものとの説示を展開したものである。
不軽品は衆生には総て仏になるべき要素(仏性)があるとして、衆生(人間)礼拝を展開する。
衆生がそれぞれ自己に内在している仏性を開発していく時に、一切の衆生は仏となりうるとするのは法華経のもつ特性といえよう。
《『遺文辞典』教学篇「衆生」の項、『日蓮辞典』『広説仏教語大辞典』『新版仏教学辞典』『岩波仏教辞典』「衆生」の項》