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三大秘法

さんだいひほう #145

三大秘法

さんだいひほう

略して三秘ともいう。

(一)語義=日蓮聖人末法における釈尊の随自意の仏教信受の在り方を示した五義が仏教認識の体系を示すのに対し、三大秘法はその内証を示す重要な法門であり、本門の本尊・本門の戒壇本門の題目をいう。
日蓮聖人立教開宗以来、法華経の行者として仏の未来記(法華経に説かれた釈尊の予言)を末法の人々に顕すことを誓願し目標とされたが、竜口法難を契機として上行菩薩の応現であるとの自覚に達し、釈尊の使いとして末法における仏法修行の典型を明示する必然を改めて明らかにするために『開目抄』『本尊抄』を述作され、三大秘法を開示されたのである。
三大秘法という用語は『三大秘法稟承事』に基づいて用いられてきたのであって「本門三大秘密の法」という意味である。 同書は弘安四年(一二八一)四月著とされるが、その成立については真偽の論があり、大石寺の日(-一四〇六)、京都本法寺の久遠成日親(一四〇七-八八)の写本が伝えられている。
日蓮聖人真蹟現存遺文中の用語としては『法華取要抄』に「本門の三つの法門』(定八一八頁)という表現があり、また『報恩抄』には「問云、天台・伝教の弘通し給はざる正法ありや。 (略)答云、三つあり。 末法のために留め置き給ふ」(定一二四八頁)という叙述が見られる。 その他には「本門寿量品の三大事」(『四条金吾殿御返』定六三五頁)等の表現があるのみである。

(二)三大秘法の開宣=日蓮聖人は竜口法難の翌年、文永九年(一二七二)、『開目抄』において上行応現の自覚を発表され(人開顕)、更にその翌年『観心本尊抄』を著してその自覚的世界を明らかにされた(法開顕)。
観心本尊抄』に述べられた教義の闡明は以後の数書に継承されて行くが、「本門の三つの法門」が述べられた『法華取要抄』(文永一一年五月)は『観心本尊抄』弘通段を再説追補したものである。 同抄には「本門本尊戒壇と題目の五字と」(定八一五頁)と述べられている。 しかしそれ以前の『法華行者値難事』(文永一一年一月)の追伸に龍樹・天親・天台・伝教は「本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経と」(定七九八頁)を理由があって弘め残されたことを明らかにし、「今既に来れり。 四菩薩出現したまはん歟」と述べられて、三大秘法が弘通されねばならぬ必然のが来たことを明示されている。
既に日蓮聖人は早くから『唱法華題目鈔』『法華題目鈔』によって唱題を勧奨し、その意義を一部説いておられるが、文永九年以後、その意義を改めて説き明かそうとされた。 それは竜口法難後到達された聖人宗教的境地に基づくものである。 そしてまた佐渡の地で構想された大曼荼羅は『観心本尊抄』執筆と密接な関係にあるが、そのことも深い関連をもっている。 更に言うならば、三大秘法中「本門の戒壇」については『法華行者値難事』(文永一一年一月)に初めてその表現が見られるのであるが、しかし、その意図を推察すると『観心本尊抄』弘通段(定七二〇頁)に既に戒壇は密釈されているという解釈がなされているのであり、三大秘法の発表が日蓮聖人の上行菩薩応現の自覚の世界の発表と密接不可分の関係にあることを確認するのである。

(三)一大秘法との関係=竜口法難の翌々月(文永八年一一月)、日蓮聖人が佐渡到着第一報として書き著された『富木入道殿御返』には「天台・伝教は粗(ほぼ)釈し給へども、之を弘め残せる一大の秘法を此に初て之を弘む。 日蓮豈に其人に非ずや」(定五一七頁)と述べられている。 また文永一二年三月の『曽谷入道殿許御書』は『観心本尊抄』から『法華取要抄』へ、そして同書へと連続すると見られる遺文であるが、同書にも「一大秘法」という用語が示されている。
大覚世尊(釈尊)は仏眼をもって末法を予見し、五逆罪・謗法罪に陥った者に対処して、「一大秘法」を留め置かれたと語られている(定九〇〇頁)。 更に言うならば一大秘法は結局、釈尊が末世の時に限って弘めることを許されて地涌の菩薩付嘱を与えたものであるとする(定九〇二頁)。 なぜならば、地涌唱導の上行菩薩等は仏教経典中、僅かに法華経従地涌出品より如来神力品第二一の間に姿を顕したのみであって、しかもその後は「一大秘法」を持して再び本拠に隠居し、正法・像法二千年の間に一も出現することがなかったではないかと示される。
一大秘法は既に通途の仏法がその働きを失ってしまった末法という状態のとき、釈尊から上行菩薩が結要付嘱を受けた本化別頭(ほんげべつず)の仏法として法華経の真価を開顕するものであって、妙法蓮華経の五字であり、名・体・宗・用・教の五重玄義(ごじゅうげんぎ)具足の南無妙法蓮華経である。 その意趣を『法華取要抄』には「一閻浮提、皆謗法となり了ぬ。 逆縁の為には但だ妙法蓮華経の五字に限るのみ。 例せば不軽品の如し」(定八一六頁)と述べられている。 つまり、日本国の衆生はおしなべて仏法に違背している謗法の衆生であり、仏の慈悲に対して逆縁の者となってしまっている。 そのような時においてのの教化は法華経常不軽菩薩品第二〇に示されているところである、ということである。 日蓮聖人がこのような法華経の説示によって折伏逆化を推し進められた結果、日蓮聖人に帰依する門弟(一門)が形成され、聖人御自身が上行菩薩の応現たる使命を果すため末法万年の法華経信受の要諦を明示する必要に迫られたのである。
かくして三大秘法が発表されたのである。 ち「問て云く、如来滅後二千余年に龍樹・天親台・伝の残したまへる所の秘法とは何物ぞや。 答て曰く、本門本尊戒壇と題目の五字と也」(定八一五頁)と三大秘法を挙げて、前掲の文に至り、次いで「我が門弟は順縁、日本国は逆縁也」(定八一六頁)と述べられる意趣は、一大秘法と三大秘法とは末代衆生救済の教法としては同じであるけれども、三大秘法は一大秘法に眼覚めた者が更に信行をたかめ、末代の教法のあかしとしてその働きを確固なものにするための役割を持つことを明らかにするためなのである。

(四)本門本尊佐渡以前においては、本尊は法華経八巻またはその首題、あるいは器量に適う人にあってはその左右に釈迦如来・多宝仏を奉安せよ(『唱法華題目鈔』定二〇二頁)といわれ、また日蓮聖人が常に随侍御給仕遊ばされた(随身仏)立像の釈尊を奉安された。
それに対して佐渡以後の『報恩抄』においては、三大秘法の第一に本門の本尊を明らかにして「一には日本乃至一閻浮提(いちえんぶだい)一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。 所謂、宝塔の内の釈迦・多宝・外の諸、並に上行等の四菩薩脇士(きようじ)となるべし」(定一二四八頁)と述べられている。
これによれば本門本尊とは法華経本門の教主釈尊であり、それは言うところの教主釈迦牟尼仏が法華経説法の証明を本願とする多宝如来と共に宝塔のなかに二仏並坐し、分身諸仏が釈迦牟尼仏の法華経を讃嘆し、更に上行・無辺行・浄行・安立行の地涌の四大菩薩が脇士となっているすがたであるといわれるのである。 この「所謂」(言うところの)という用語の前・後の表現の関係が問題とされるが、素直に解するならば以上のように解釈できるであろう。
報恩抄』にはこのように結論的に述べられているが、このことを『観心本尊抄』には次のように示されるところであり、これが大曼荼羅の図顕と表裏一体となる説示であるとされる。 「此の本門の肝心・南無妙法蓮華経の五字に於いては、、猶(なお)文殊・薬王等にも之を付属したまはず。 何いかに況や其れ已下をや。 但、地涌千界を召して八品を説いて之を付属したまふ。 其の本尊の体たらく、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士・上行等の四菩薩、文殊・弥勒等の四菩薩は眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如し。 十方の諸は大地の上に処したまふ。 迹・迹土を表する故也。 是の如き本尊在世五十余年に之無し。 八年之、但だ八品に限る。 (略)此等のを正像に造り画けども未だ寿量有(い)まさず。 末法に来入して始て此の像出現せしむべきか」(定七一二-三頁)。 この文章を素直に拝読すると、教主釈尊の出現の真の目的は法華経によって結論づけられるのであり、更に言えば法華経本門(如来神力品)における「南無妙法蓮華経の五字」の結要付属に結帰するのである。 それは法華経の本門八品(ほんもんはっぽん)における地涌の菩薩への別付属のみに託された仏法なのである。
このように述べた後で「その本尊のすがたというのは」、本師釈尊の領有する娑婆世界の虚空上にましますすがたであって、多宝塔中に妙法蓮華経の左右に教主釈迦牟尼仏と法華経証明を本願とする多宝仏とが並んで坐し、釈尊の脇士である上行・無辺行・浄行・安立行の四大菩薩がひかえ、文殊・弥勒・薬王・薬上の四菩薩は眷属としてずっと末座に居り、更にその他の迹化の菩薩・他方より来れる諸菩薩はずっと下からこれら諸仏・諸菩薩を仰ぎ見ているのである。 また十方の分身は大地の上に身を置いている。 これは久遠(本仏)釈尊に対する迹化が迹土に住することを表すためである。
このように大曼荼羅の図顕に照応する筆致が進められ、次いで「このような本尊は釈尊の在世五十余年の間において、法華経本門八品の間にしか表わされない」と述べられ、釈尊入滅後、正法・像法二千年の間、小乗を説いた釈尊は迦葉・阿難を、権大乗ならびに涅槃経と更に法華経迹門の教主釈尊は文殊・普賢の二菩薩を脇士としていたのであって「寿量(品)の」が明らかにされたことはない。 だからこそ、末法に入って法華経本門が明らかにされるために、初めてこの本門寿量品の像が出現せしめられねばならないのである、とこのように述べられる。
日蓮聖人帰依の対象という意味で、しばしば「本尊」という語を一般的に用いられているが、あえて「本門の本尊」といわれるのは、要するに上来見て来たように、末法衆生救済の法たる別付属の「南無妙法蓮華経の五字」を譲与される本尊は、教主釈尊と共に証明の多宝如来、讃嘆の分身仏が三仏(さんぶつ)として打ちそろい、それと末法に伝えることを誓願した地涌の四菩薩がそこに具現するというすがたとしてしか表すことのできないものなのである。 そうである故に大曼荼羅の讃文には必ず「仏滅後二千二百二十余年之間、一閻浮提之内未曽有大曼荼羅也」という意味がしるされるのである。
日蓮聖人滅後、教団の展開と共に本尊奉安様式の意義づけが「本尊相伝」として継承されて行くなかで、大曼荼羅本尊を観心の本尊、一尊四士(いっそんしし)を教門の本尊とする考え方や、門流によって木像造立を否定する等の例もあるように、また大曼荼羅についてもさまざまな解釈が積み重ねられて来ている。 しかし本門本尊の理解の基本は「天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり。 (略)寿量品をしらざる諸宗の者は畜に同じ。 不知恩の者なり」(『開目抄』定五七八頁)に示されるように、久遠本仏の釈尊の「みこころ」に末代衆生救済の根幹があるのであり、それが現実化されるためには久遠本仏の釈尊を本尊とするという「本門の本尊」が明示されて初めてその意義が確定するのであり、日蓮聖人門下はまずこのことをしっかりと認識しなければならない。

(五)本門の戒壇=前にも述べたように「本門の戒壇」という語が示されているのは『法華行者値難事』(文永一一年一月)『法華取要抄』(同年五月)『報恩抄』(建治二年七月)『教行証御書』(弘安元年三月)『三大秘法稟承事』(三大秘法抄とも呼ぶ、弘安四年四月)のみである。 しかも「本門の戒壇」についての詳細な解説はほとんどなく、わずかに『三大秘法抄』にいわゆる王仏冥合(おうぶつみょうごう)の論述が示されるのみである。
そこで後世の「本門の戒壇」解釈は、(1)教団永遠の理想像として語られるものと、(2)宗教的防非止悪から懺悔滅罪に進む立場からの考察と、(3)信証という宗教的体験の極地とする解釈との三方面から行われている。
(1)は主として『三大秘法抄』の「戒壇とは王法仏法に冥し、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、有徳王(うとくおう)覚徳比丘のその乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時、敕宣(ちよくせん)並びに御教書を申し下して、霊山浄土(りようぜんじようど)に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者歟。 を待つべきのみ。 (じ)の法と申すは是也」(定一八六四頁)に基づく論説である。 ち、かの『涅槃経』に示される覚徳比丘と有徳王との理想的な仏教顕彰の先例(『立正安国論』、定二二二頁)にならって善比丘とそれを擁護する善き国王・大臣とが一致して仏教顕彰のために、法華経説法の会座(えざ)たる霊山浄土に似た最勝の地に戒壇を建立するという想の追求である。
日蓮聖人滅後の諫暁(かんぎょう)運動はこれを目標とし、一天四海皆帰妙法の暁に戒壇を建立する最勝の地として富士、身延等が挙げられ、いわゆる富士戒壇論・身延戒壇論が展開した。 この主張は明治代以降、戒壇論として強く主張されたために誤解を招いた点がある。 しかし身延の日蓮聖人が、鎌倉の弟子たちから公場対決の可能性があるとの報告を受けて「日蓮一生之間の祈請並びに所願、忽ちに成就せしむる歟」と、直ちに感謝の筆をとられた『諸人御返事』(弘安元年三月)には「所詮、真言・禅宗等の謗法の諸人等を召し合せ、是非を決せしめば、日本国一同に日蓮が弟子檀那と為(な)らん。 我が弟子等の出家は主上・上皇の師と為(な)り、在家は左右の臣下に列らならん。 将た又、一閻浮提、皆、此の法門を仰がん」(定一四七九頁)とあり、日蓮聖人が「本門の戒壇」建立を目標としていたことを推察することができよう。
(2)は『三大秘法抄』の前引の文「事の戒法と申すは是也」に続いて「三国並に一閻浮提の人、懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下(らいげ)して蹋(ふみ)給ふべき戒壇也」とあるのであって、本門戒とは懺悔滅罪の法と解されるのである。 もとより、ここでいう懺悔滅罪とは一般にいわれる懺悔ではなくて、本門法華経に立脚して釈尊の随自意に無知であったり背いたりすることの懺悔であり、謗法(ほうぼう)の滅であることは言うまでもない。
(3)は戒壇が建立されなくとも、本門法華経信受の当処に、信証という宗教体験の極地が現出するのであり、戒壇建立の基幹はこの信証ということにあるという解である。 日蓮聖人滅後に主張された「即是道場戒壇」というのもこの解釈に連なるものであろう。
さて、このような後世の本門戒壇の解釈を参酌しつつ、もう一度、日蓮聖人の意図を窺うと、
(1)日蓮聖人三大秘法開顕と照応して、それに関連する遺文に重説されるのは伝教の叡山円頓大場の建立についての論述が行われている。 そこで日蓮聖人叡山戒壇を重視されるのは、像法の末における本門法華弘通の拠点の確立という意味があることがわかる。 ち、釈尊の随自意の教説が叡山の法華経の円頓戒壇に象徴化されたことを重要視されるためである。
(2)に『観心本尊抄』末文のいわゆる密釈戒壇の段においては、伝教大師の延暦寺建立を賛えつつ、本門教主の寺塔顕現こそ将に今果さねばならぬであることを示されている。 なぜなら本門教主が本門の四菩薩を脇士として現じた本尊は未だ顕されず、それこそ末法の始めに出現することが約束されている姿だからである。 つまり、それによって末法衆生に対する釈尊・法華経の救済の確証をこの土に顕現するという意義が示されていると考えられる。
(3)「本門の戒壇」とはこのような意味を持つものであり、その具体的顕現が前述の三点のように開示されたものと解することができよう。

(六)本門の題目=日蓮聖人は建長五年(一二五三)四月二八日、立教開示の宣言と共に南無妙法蓮華経を唱え始めた(『松野殿御消息』定一一四〇頁)と語られており、唱題の意義について『法華題目鈔』(文永三年=一二六六)には「法華経の題目は八万聖教の肝心、一切諸仏の眼目」(定三九二頁)であるから、ただ仏道に入る根本の信心を旨として、釈尊の御説法四十余年目にして始めた法華経の経名を唱えれば悪趣(悪道)をまぬがれることができると説かれ、妙法蓮華経の五字(→ごじしちじ・五字七字)には「一切の九界の衆生並に界を納めたり。 十界を納むれば亦十界の依報の国土を収む」(定三九五頁)と述べられて、既に題目は単なる経名にとどまらず、一念三千具足していることを示しておられると考えられる。 そうして妙法蓮華経の五字に一切の法を納めているのであるから、諸経典はすべて「法華経の一字の眷属の修多羅(経)」(定三九五頁)であることが明らかにされる。 「名詮自」といい「日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととなへさすべし。 名は必ず体にいたる徳あり」(『十章鈔』定四九〇頁)等の論説はこれと同一であろう。 この『十章鈔』(文永八年五月、他に系年異説あり)に『摩訶止観』の一念三千は述べられているが、それが明確に題目と結びつけて説かれてはいない。 以上のように佐渡以前において、但信無解(たんしんむげ)に基づく法華経の要行としての意義づけは行われているが、『開目抄』以後に顕示される如き意義づけは行われていない。
ところで竜口法難以後、上行自覚が発表されて、(1)上行所伝の結要付属の法であり、末代幼稚の者に授与されていることが説かれると共に、(2)五重玄具足妙法蓮華経の意義、(3)本因本果具足の法であって一念三千と表裏一体の法たること等が明らかにされ、これが三大秘法の一つとして説かれると共に、一大秘法の意義が明示されるに至っている。
観心本尊抄』には、法華経の「具足の道を聞かんと欲す」等の経文を契として、「私に会通(えつう)を加へば本文をけがすがごとし。 爾りと雖も、文の心は“釈尊因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。 我等此の五字を受持すれば、自然(じねん)に彼の因果の功徳を譲り与えたまふ”(題目の三十三字段)。 (略)妙覚釈尊は我等が血肉也。 因果の功徳は骨髄に非ずや」(定七一一頁)と題目の意義を展開する。 ち題目の五字には久遠実成の釈尊の因行と果徳のすべてが包含されているのであり、従って信心を旨として題目を持(たも)つならば、釈尊の因行・果徳を自然に(任運に)譲り与えられるのであるというのである。 このことを『本尊抄』末段には「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起し五字の内にこの珠をつつみ、末代幼稚の頸に懸けさしめたまふ」(定七二〇頁)と、信に基づく救済の確証の在り方として結示的に明らかにされている。 ここでは法華経の救済の真髄たる一念三千妙法五字の題目とは完全に一体化して捉えられている。
ところで日蓮的な一念三千の捉え方は、既に『開目抄』(定六〇四頁)に明らかにされるところであり、天台大師が開発された一念三千によってこそ仏道成就が成り立つのであるけれども、この一念三千も我ら凡夫は一分の慧解もない、しかしながら釈尊一代に説かれた経々の中にはこの法華経ばかりが一念三千の珠を抱いているのであるという。 そうしてまた余経のは玉に似ているが単なる黄石である。 だから智者であっても諸経によってはに成ることはできない。 それに対してこの法華経は愚人であっても仏因を種(う)えることができ、諸難を受けてもなお疑う心を起さないほどの固い信があるならば、任運に仏果に到達することができると示されるのである。
こうして台の一念三千理具の説を超克して「事行の南無妙法蓮華経の五字」と本門の本尊とを顕現するのは、末法の始、仏法の理解も世間法も乱れ、諸天もその国を見捨ててしまうそのときに、「此の時、妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ」という重大な仏法流布の大転換によって明らかにされる重要法門であることが明らかにされるのである。 そこに前述の『本尊抄』末文の重さがあるのである。

〔日蓮聖人滅後の解釈〕日蓮聖人滅後、諸師によって三大秘法をどのように理解するかについて討究されたことはいうまでもないが、望月歓厚に従えば、これらは大きく三様に分たれ、具体的には一二の類型に分類される。

(一)客観法として三秘の本体を説明するもの。
 (1)三学為体論=本尊は定、題目は慧、戒壇は戒というように、受持するところの妙法を三学の各面から開示したもの。
 (2)三宝為体論=本尊は仏宝、題目は法宝、戒壇は僧宝というように、(1)と同様、所尊所信を三秘の体として開示している。
 (3)三法為体論=本尊は仏、題目は法、戒壇は行者と配する。(2)で戒壇=僧宝としたのが果であるとすれば、(3)では因として解しようとするものである。
 (4)三妙為体論=十妙中の基本である本因妙・本果妙・本国土妙三妙によって題目の本体・本尊の仏体・戒壇の本体を明らかにしようとする。戒壇解についてはともかく、他の二つの解にはやや無があるが、八品流の諸師はしばしばこの説をとっている。
 (5)三身為体論=法身・報身応身を本尊・題目・戒壇に配対してその体を説明しようとする。
 (6)体智相三秘論=本仏の体を本尊、本仏の智を題目、本仏の相を戒壇とする。

(二)客観法的解に能所的関係の説明を加味したもの。
 (7)仏法三秘論=本仏は本尊、本法は題目、この仏法の所居せるところを戒壇とする。
 (8)人法処三秘論=本尊は能証の人、題目は所証の法、戒壇は所居の土とする。本妙日臨の説。

(三)主観客観の関係において三秘を説明せるもの。
 (3)三宝為体論=(前出)。
 (9)五玄為体論=五重玄義のうち、妙体は本尊、妙宗は題目、妙用は戒壇とする。 これは結局、一応の配対であって五重玄義を体とし、それを具足する妙法というところに根拠する。
 (10)体相行三秘論=本尊は体、戒壇本尊の所居、題目は本尊を行ずる信行であるとする。大石寺日寛の所論。
 (11)行能所三秘論=本尊と、これを修行する題目と、受持の心地である戒壇というように、能行と所行とに分別して、その行体を分別する。日輝の「三秘指要鈔」の論。
 (12)境智冥合三秘論=本尊を境(所対)とし、題目を智(能対)とし、戒壇をこの境と智とが冥合するところとする。(11)と似ているが、(11)が三秘を所尊の客観法と理解するのに対し、(12)の冥合論は主観法とし、行人の修行を成就するところを冥合の相としている点に相違がある。

このような分類によって日蓮聖人滅後の三大秘法解釈の教理史的展開を見ると、末代の衆生に譲与された三大秘法を客観的に捉えていたものが、次第に三大秘法のなかに能行と所行との意味を究明し、更に尊礼すべき本尊(所尊)に対して、題目の修行と戒壇の受持とを能修する行信の意義を闡明しようとするように、行信の上から主客の関係、その交渉という面から三秘の本体を究明するというように、客観的解から主観的行信へと進展している様相を大観することができるのである。 これを言い換えれば、単純より複雑へ、各別より関係へ、静的より動的へ、教法より行法への進展というように表現することができよう。 またこれを概括的にいうならば、(一)は門的に三大秘法を理解するといえようし、(二)は解門に三大秘法を見、(三)は行門の意義において三大秘法を見たということもできよう。
このような展開を体系的に捉えようとすれば・行・証の四段階から検討できるであろう。 まず体の重においては、本法の方面からしても本仏の方面からしても、能所合一、境智一如の覚体であって、絶対不二がの証悟の本質である。 次にの重にあっては、宝、法宝、僧宝と発顕が次第し、のち併列存在し、更にその教法が戒定慧の三学の形成される。 次に行の重において、一大秘法は本尊・題目・戒壇の三大秘法として開示される。 そして証の重において本因・本果・本土の三妙合一の境界は三秘の冥合の致すところであって、一度開出された三秘が、本来の相である本仏の境界、本法の妙相に立還ったと解されるのである。
以上のように、三大秘法解釈の展開を見ると、結局、三大秘法は行門の方規であり、さまざまな理解は、こうした体系が開示される何れかの段階に属する三法の意義によって三大秘法解説しようとするものであると位置づけることができよう。 ともあれ諸先学は行門の方規としての三大秘法の解釈に苦慮した。 が、しかし、その基本は前述のように、教主釈尊が末法衆生に結示された教法を日蓮聖人が明らかにしたえである。 常にそのことに立還って解することが根本的大であるといわねばならない。
《小松邦彰・花野充道『日蓮の思想とその展開』(春秋社『シリーズ日蓮』二)、『日蓮聖人大事典』「日蓮聖人と題目」「日蓮聖人本尊」「日蓮聖人と戒壇」の項、『遺文辞典』教学篇「三大秘法」「本門本尊・本門の本尊」「本門の戒壇」の項、『日蓮辞典』「三大秘法」「本門の三学」の項、『岩波仏教辞典』『国史大辞典』六巻「三大秘法」の項》
(渡辺宝陽)

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