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因行果徳

いんぎょうかとく #1191

因行果徳

いんぎょうかとく

観心本尊抄』の第一能観段の結びに「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。 我等此の五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまふ」(定七一一頁)とあり、この文は我ら凡夫の己心に何故に教主釈尊が住し給うかの第十八問に対する最終的な答えであるから、煎じつめれば、我等凡夫が法華経の題目を受持すれば何故に即身成仏仏果を得ることができるかの由を示した文である。 しかも日蓮聖人の最も根源的な垂訓であって、妙法五字には釈尊の因行果徳が含有されるから、我らが妙法五字を受持するということは、釈尊の因行果徳が譲与されたことを意味し、譲与されたということは即身成仏を意味するのである。
釈尊因行果徳とは、この答えをなさしめた第十八番の問意によれば、小乗・爾前大乗・迹門・本門所説のすべての釈尊の因位の菩薩行修行時の積功累徳、および成道以後の仏の智徳・断徳・福智・悲智を意味するが、直接的には釈尊の本因本果であり、本因とは寿量品の「我本と菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶ほ未だ尽きず、復上の数に倍せり」の経文に示された、本果を成ずる以前の因行を指し、本果とは「我成仏してより已来甚だ大いに久遠なり、寿命無量阿僧祇劫、常住にして滅せず」の経文に示された久遠実成を指す。 故に右の三十三字段ののちに「寿量品に云く然我実成仏已来無量無辺百千万億那由他等云云。 我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏也。 経に云く我本行菩薩道所成寿命今猶未尽況復倍上数等云云。 我等が己心の菩薩等也」(定七一二頁)と釈尊の因行果徳を譲与された結果の己心を説明される。
釈尊因行果徳論が垂示されるに至った道程は、『観心本尊抄』は冒頭まず『摩訶止観』巻五の第七正修止観章の観不思議境の「介爾も心有れば即ち三千を具す」の文の引用から始めて一念三千の重要性を論じ、第十二番問答からは一念三千論を凝縮して十界互具論とし、第十七番問答では更に十界互具論の肝心たる人界所具の界論として第十八番問答へ引継ぐ。
第十八番問答からは一念三千論であって、事たる証拠の一として、人界所具仏界は我等凡夫の己心に教主釈尊が住み給う理由を問うという形になり、その答えとして三十三字段が生れ出るのであるから、釈尊の因行果徳とは直接的には己心に住し給う教主釈尊の、住まい方に関する説明であるが、広くは一念に具される三千世間の肝心的表現であり、的表現である。
《『遺文辞典』教学篇「因行果徳」の項》

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