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法華経の行者

ほけきょうのぎょうじゃ #3869

法華経の行者

ほけきょうのぎょうじゃ

法華経如説修行の者。
法華経の説に従って修行し実践するもの。
法華経法師品には「此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し。況んや滅後の後をや」と説かれ、安楽行品にも「一切世間に怨多くして信じ難し」と説いて、仏滅後において法華経を弘通し信仰する者に対して種々の怨嫉が加えられることが予言されている。
更に常不軽品には、威音王仏の像法の時代に不軽菩薩は二十四字の法華経を行じ、杖木瓦石の難を蒙りつつ、それを忍んで法華経を弘通したことが説かれている。
日蓮聖人はこの不軽菩薩の化導を末代悪世の謗法者充満の時代における法華経弘通の方軌を説示したものであると受けとめ、末法日本国において逆化折伏下種の弘経を実践されたのである。
そしてそれに伴ってさまざまな迫害弾圧を蒙ることとなったのである。
聖人法華経の行者の資格について「小失なくとも大難に度々値ふ人をこそ滅後の法華経の行者とはしり候わめ」(定一一九九頁)と受難の現証を条件として挙げたのである。
そして「仏滅後一千八百余年が間に法華経の行者漢土に一人、日本に一人、已上二人。釈尊を加へ奉りて已上三人なり」(定一二一九頁)とインド・中国・日本の三国仏教流通史を概観した聖人は、釈尊は法華経を説かれ九横の大難に値い、滅後の像法時代の天台大師智顗と伝教大師最澄とは、釈尊と法華経の精神を正しく継承し弘通したとして、この三師を法華経の行者として選ばれたのである。
しかし台・伝教の二師は、命に及ばんとするほどの大難には値わなかったが、聖人は「大事の難四度なり。二度はしばらくをく、王難すでに二度にをよぶ。今度はすでに我が身命に及ぶ(定五五七頁)と自ら記しているように、経文予言の通りに仏在世以上の受難迫害を蒙ったのである。
そこで聖人は「されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども、難を忍び慈悲のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし」(定五五九頁)と述べ、更に「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(定一〇四八頁)と、聖人自身が末法における法華経の行者たる確信を表明されたのである。
聖人末法の法華経修行者として法華経を弘通され、それによる数々の受難を体験するなかで、仏の予言=未来記たる経文と自らの体験とを重ね合わせ、受難が法華経色読を意味し、法華経の行者としての真実性が証明されたものとして、法華経の行者の自覚を確立され、確信を深めていかれたのである。
法華経の行者という呼称は、早くは『守護論』(定一三二-三頁)に見出されるが、そこでは法華経を信奉し修行する者という一般的な意味で用いられている客観的表現である。
しかし文応元年(一二六〇)の『立正安国論』上奏に端を発し、松葉谷法難・伊豆流罪・東条法難と一連の迫害・弾圧は、それが公的権力によるものか私的怨恨に発するかの別はあっても、いずれも聖人の法華経弘通に伴って生じたものである。
聖人はこれらの体験を経て、平安時代以来の持経者の伝統を継承しながら、持経者とは異なる独自の世界を築き上げて行ったのである。
持経者とは諸の経典の中から特に法華経を選び取り、それを受持・読・誦・解説・書写する五種の修業を積む者をいうのであるが、聖人は持経者たちの未だ経験しなかった受難の体験をもって、持経者の世界から法華経の行者へと飛躍したのである。
そして文永元年一一月の東条法難直後の『南条兵衛七郎殿御書』において、聖人は受難の体験について「第四巻云、而此経者如来現在猶多怨嫉況滅度後。第五巻云、一切世間多怨難信等云云。日本国に法華経をよみ学する人これ多し。人のめ(妻)をねらひ、ぬすみ等にて打はらるる人は多けれども、法華経の故にあやまたるる人は一人もなし。されば日本国の持経者はいまだ此経文にはあわせ給はず。唯日蓮一人こそよみはべれ。我不愛身命但惜無上道是也。されば日蓮は日本第一の法華経の行者也」(定三二七頁)と述べられ、日本第一の法華経の行者と宣明されたのである。
ここに聖人は受難の体験を法華経の行者という自覚に昂揚されたのである。
法華経の行者とは、経文の予言通りに迫害・弾圧を蒙り、しかもなお「我不愛身命但惜無上道」の不退転の決意のもとに、仏勅を奉じて末法世に弘経を展開して行く者の謂である。
聖人は『開目抄』に「法華経の第五の巻勧持品二十行の偈は、日蓮だにも此国に生れずば、ほどをど(殆)世尊は大妄語の人、八十万億那由佗の菩薩は提婆が虚誑罪にも堕ぬべし。経に云、有諸無智人悪口罵詈等、加刀杖瓦石等云云、(略)日蓮なくば此一偈の未来記は妄語となりぬ」(定五五九頁)といい、「又云数々見擯出等云云、日蓮法華経のゆへに度々ながされずば数々の二字いかんがせん。此の二字は天台・伝教もいまだよみ給はず。況や余人をや。末法の始のしるし、恐怖悪世中の金言のあふゆへに、但日蓮一人これをよめり。(略)日蓮なくば誰をか法華経の行者としてをたすけん」(定五六〇頁)と述べられている。
かように滅後の法華経弘通者の迫害・受難を予言した経文は、受難以前の聖人には客観的文証としての未来記であったが、法華経弘通の実践と受難の体験を経た後の経文は、語の実語であったのである。
実に聖人における死身弘法、殉教菩薩行の実践は、の語の成就のためであり、の語を証するためのものであった。
更に『顕未来記』にも法師品・勧持品安楽行品・不軽品・薬王品の文を引いて「此明鏡に付て仏語を信ぜしめんが為に日本国中の王臣四衆の面目に引向へたるに、予の外には一人もこれ無し。時を論ずれば末法の初め一定也。然る間若し日蓮無くんば仏語虚妄とならん。(略)我言は大慢に似たれども仏記を扶け如来の実語を顕さんが為なり」(定七四一頁)との、経文を主体的に受容された表現が見られ、仏の未来記を実現した確信に基づく三国四師の表明がなされたのである。
聖人未来記としての経文を自己の受難という現証によって立証し、未来記を実語とするのである。
ち〈未来記→実践→受難→実語〉の仏語検証の過程を無限に繰返すのが、法華経の行者である。
かくして〈の予言=未来記〉としての法華経の客観的文証が、聖人の主体的実践によって体現され、その真実が顕されたとき、その真実を証した聖人自身が仏の予言された法華経の行者に他ならないのであり、ここに末法救済の導師としての立場が確立されたのである。
聖人における法華経の行者の自覚と確信とに、聖人の法華経受容における実践的傾向と仏の未来記実現のため歴史的世界形成の担い手たらんとする宗教的主体とを見ることが出来るのである。
そしてに予言された者としての「師」の立場を公表された聖人は「我れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目とならむ、我れ日本の大船とならむ」(定六〇一頁)との三大誓願を述べられたのである。
これは末法の一切衆生に法華経を信奉させ、堕地獄の苦を脱れさせるという立教開宗の日の本願を、末法救済の導師として改めて表明されたものであり、それはまた「涅槃経に云く、一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ如来一人の苦なり等云云。日蓮云く、一切衆生の同一の苦は悉く是れ日蓮一人の苦と申すべし」(定一八四七頁)との代受苦思想の発言に連なるものである。
そして聖人は謗法呵責、折伏下種の仏記実現のための弘経活動を経て、自己の立場を「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(定一〇一九頁)と、日本から世界へと飛躍拡大せしめ、それはまた謗法断絶と法華経広布の確信ともなり「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ」(定一二四八頁)との表明となったのである。
《『遺文辞典』歴史篇「法華経の行者」の項、『日蓮辞典』「法華経の行者」の項、『日蓮聖人大事典』「日蓮聖人と上行菩薩・法華経の行者」の項、『史大辞典』四巻「行者」の項》
(小松邦彰)

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