如説修行
如説修行
にょせつしゅぎょう
説の如く修行すること。
経文の説相義理に順じて修行すること。
法華経の所説には他をして五種行を具足成就せしめる化他行、不惜身命の弘教、五種行を具足する満足行等の義意がある。
日蓮聖人は法華経を如来の実語の中の実語、真実究竟の教えとして受領し、法華経の教説に随順するところに真の成仏が実現するとされた。
勧持品には「我等如来の滅後に於て、十方世界に周旋往返して、能く衆生をして此の教を書写し、受持し、読誦し、其の義を解説し、法の如く修行し」と八十万億那由他の菩薩の二十行にわたる滅後弘教の誓言が説かれている。
滅後弘教の付属を明かす本門の心をもってこれを見るならば、勧持品における菩薩の誓言は地涌の大菩薩の発誓と解することができる。
地涌の大菩薩は涌出品に召喚を受け本門八品の会座にあって一大事の要法の付属を受けたのである。
従って滅後の弘教にふりかかる諸難は必然的に地涌の大菩薩が身に蒙ることとなる。
法華経所説の修行に諸種があるが、安楽行品所説の四安楽行等は末法今時の行軌たりえず、謗法充満の世には折伏逆化でなければならない。
久遠釈尊の本懐をになう地涌の大菩薩の自覚者は三類の強敵に値遇し、悪口罵詈・及加刀杖・数々見擯出・遠離於塔寺等の迫害を蒙ってもこれを忍受し正法弘通に挺身しなければならないのである。
このような色読法華の境涯に法華経の行者の証(あかし)と法華経真実の体現があり、これを「法華経の文に説き入れられた」無上の法悦とするのである。
聖人はこのような法華経随順の信行を『如説修行鈔』『阿仏房尼御前御返事』等に説示されている。
なかでも『如説修行鈔』は、諸難興起のなかにある法華経弘通は不退転の覚悟を要し、摂折二門を弁えて如説修行の利益に預かるべきことを論述されている。
聖人滅後の日蓮教団においては、久遠成院日親や仏性院日奥らによって折伏の弘教活動が展開された。
反面、室町から近世初頭にかけて行学院日朝・円明院日澄・一如院日重らが五種妙行論を主張するにいたった。
五種妙行論は日常生活の中で五種行を修することをもって如説修行とするもので、中でも日重は如説修行に時代を分別し、聖人の不惜身命の折伏は当世の行軌に非ずとし受持中心の五種行をもって今時の妙行とした。
日重の言うところの受持とは題目を意業に念持することで、その教理論は天台教学に立脚するものである。
このような主に一致派教学の摂受的傾向は日蓮聖人の現実社会における法華経の実践という如説修行とは乖離(かいり)するもので、聖意の継承と実現について問題を含むものであるが、武家の政治権力や他宗勢力との拮抗という社会背景等を考慮しつつそれらを評価する必要があり、それを通して現今の宗門のあり方と未来の展望が論じられるべきであろう。
《『遺文辞典』教学篇「如説修行」の項、『日蓮辞典』「如説修行」の項》