妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

色読

しきどく #4582

色読

しきどく

身体をもって法華経を読むこと。
法華経の説を実践することの意。
色とは一般に形あるものをいうが、ここでは身体を指し、読とは実践を意味する。
日蓮聖人の法華経の読み方は、口に唱えること、心で読むことにとどまらず、法華経をの予言の通りに身体をもって、その説を実現しようとするものである。 釈尊末法の衆生を救わんがためにとどめおかれた法華経を、仏のみことのりとして受容された日蓮聖人は、末法救済のために捨身弘通に専念されたのである。 その法華経弘通は「如来の使として、如来に遣(つかわ)され、如来の事を行ずる」(法師品)ことではあっても、その代償として安楽が得られるのではなく、むしろこの弘通者には種々の大難が起ることが予言されている。 例えば法師品には「如来の現在すら猶怨嫉多し、況や滅度の後をや」とあり、安楽行品には「一切世怨多くして信じ難し」と明示されている。 また勧持品二十行の偈には三類の強敵があることを説かれている。 しかし日蓮聖人はこれらの迫害の必然性を確認された上で、如来の使として諸難を忍受し、不惜身命の弘通を覚悟し、いかなる難が出来(しゆつたい)しても退転しないことを釈尊へ誓願されたのである。
日蓮聖人の生涯は、まさに迫害の連続であったが、その内面においては法華経の行者としての御自覚が深まり、仏使日蓮、末法に遣わされた人であることを経文によって認識されたのである。 そのことは『観心本尊抄』『顕仏未来記』等に明かされ、また法華経の色読については『如説修行鈔』等に示されている。
日蓮聖人滅後、門下の人々は日蓮聖人不惜身命の精神に基づき、積極的な折伏弘経、諫暁運動に努めた。
《『日蓮聖人大事典』「日蓮聖人と経文色読」の項、『日蓮辞典』「色読」の項》

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