諫暁
諫暁
かんぎょう
字義は「いさめさとす」という意味であるが、仏教の真義に引入れることを積極的に諫(いさ)めさとすということである。
一般に諫暁というと、国家諫暁を連想しがちであるが、それのみでなく、遺文中にも法華経を諫暁するという用法が用いられている。
(一)法華経の解釈 『開目抄』には「宝塔品の三箇の敕宣の上に提婆品に二箇の諫暁あり。
提婆達多は一闡提なり、天王如来と記せらる。
(略)一切の五逆・七逆・謗法・闡提、天王如来にあらはれ了んぬ。
毒薬変じて甘呂(かんろ)となる。
衆味にすぐれたり。
竜女が成仏、此一人にはあらず、一切の女人の成仏をあらはす。
(略)挙一例諸(こいちれいしよ)(一を挙げて諸を例す)と申して、竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし」(定五八九頁)とある。
宝塔品には末代の法華経弘通を説いて「付属有在」「令法久住」「六難九易」の第一・第二・第三の敕宣が示されているが(定五八二頁)、これに次いで提婆達多品には、提婆達多という釈尊在世の仏法敵対者も将来、覚者となって天王如来となるであろうと記別(保証)を与えられて、ここにすべての悪人の成仏に対して仏道への覚醒が諫暁され、また更にわずか八歳の童女の成仏によってすべての女人の成仏に記別が与えられて、ここにすべての女人に対しての仏道への覚醒が諫暁されたというのである。
同様の語法は『観心本尊抄』にも見える。
「宝塔品の末に云く、大音声(だいおんじよう)を以て普く四衆に告げたまはく、誰か能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かんものなる等云云。
設ひ教主一仏たりと雖も之を将勧したまはば、薬王等の大菩薩、梵・帝・日・月・四天等は重んずべきの処に、多宝仏、十方の諸仏、客仏と為(な)って之を諫暁したまふ。
諸の菩薩の慇懃の付属を聞て我不愛身命の誓言を立つ。
此等は偏に仏意に叶んが為也」(定七一五頁)。
これは前引の『開目抄』にも述べられた宝塔品での釈尊の末法弘通の勧募について、釈尊を輔けて多宝如来・十方分身諸仏がこのことをうながしたことを諫暁といっている。
このように法華経中の釈尊の実語を信奉するよう諫めさとすという意味が、「諫暁」の原意であろう。
(二)遺文中の用法=次に日蓮聖人がこの法華経中の諫暁にならって、鎌倉幕府を始めとする要路に対して教主釈尊の実語である法華経を信奉するよう諫めさとすという意味の用法がある。
『未驚天聽御書』には「之を申すと雖も、未だ天聽を驚かさざるか。
事、三ヶ度に及ぶ。
今、諫暁を止むべし」(定八〇八頁)とあり『撰時抄』には「今は謗法を用ひたるだに不思議なるに、まれまれ諫暁する人をかへりてあだをなす」(定一〇四六頁)『下山抄』には「夏の桀王が湯王に責められ、呉王が越王に生けどりにせられし時は、聖者の諫暁を用ひざりし事を悔ひ」(定一三四二頁)と述べられている。
周知のように、日蓮聖人は生涯において三度、鎌倉幕府に対して諫暁を試み、それを「予に三度の高名(こうみよう)あり」(『撰時抄』定一〇五三頁)と誇っている。
日蓮聖人の諫暁の事績を顕彰して、その弟子や門下たちは国家諫暁を行って行くが、これらはいずれも、法華経に示された釈尊の実語への帰入を諫めさとすことを現実の社会に移しかえたものであり、時としては、それに類似した事績を顕彰するという意味をもっているといえよう。
日蓮聖人の三度の国家諫暁の自負については「三度、国をいさめんにもちゐずば、国を去るべし」(『種種御振舞御書』定九八二頁)「三度いさめんに御用いなくば」(『光日房御書』定一一五五頁、『報恩抄』定一二三九頁)と述べられており、日蓮聖人が『立正安国論』の趣意を鎌倉幕府に対して諫暁された自負が示されている。
この「三度の諫暁」ということは『礼記』の「三たび諫めて聽かれずんば、則ちこれを逝(さ)る」や『孝経』の同様の文意に基づくものとされる。
そしてこれは、日蓮聖人が仏教建立を目指しながら儒教思想を摂取した一面として理解されている。
(三)なお『教機時国鈔』には「天台山の智者大師ただ一人のみ一切経の中に法華経を勝れたりと立つるのみに非ず、法華経に勝れる経これ有りと云はん者を諫暁せよ。
止まずんば現世に舌、口中に爛れ、後生は阿鼻地獄に堕すべし等と云云」(定二四三頁)とある。
ここに「天台大師が、法華経に勝れている経典が有るというものに対して、そうではないことを諫暁せよ」という用法は、日蓮聖人の諫暁の事蹟に比定して述べた表現であろう。
(四)諫暁運動=日蓮聖人の入滅後、その門下は日蓮聖人が『立正安国論』をもって諫暁された事績にならって、為政者への諫暁を展開した。
こうした動向を諫暁運動という。
即ち鎌倉幕府への直接的な諫暁や各地の為政者への諫暁によって、日蓮聖人の『立正安国論』の趣旨を用いるよう諫めすすめたのである。
その諫暁の方法は、六老僧以来「申状」によってその趣旨を述べ『立正安国論』を副進することが一つの形となっている。
なお先師の「申状」等を添える例もある。
日蓮宗上代の日昭・日朗・日興・日向・日頂・日弁・日高・日像・日目・日祐・日樹・日道・日妙・日代・日郷らの「申状」が『宗全』一・二巻に収録されている。
その後の日什・日仁・日実・日運・日伝・日親・日延・日聰・日院・日意・日住・日奥らの諫暁活動が『日蓮教団全史』等のなかで確かめられている。
その他、各地の例や江戸期の例などがある。
こうした諫暁活動は教団の発展と共に次第に激しさを加える。
一方、封建体制の確立と共に直訴が禁止され、諫暁活動に対しても厳しい態度がとられるようになった。
それらを乗り越えて諫暁活動を行ったありさまは『日什御奏聞記録』(『日穆記』、『宗全』五巻)や久遠成日親の『伝燈鈔』(同一八巻)、『埴谷鈔』(『日蓮教学研究所紀要』一号)、仏性日奥の『禁中奏聞由来』(『万代亀鏡録』)等に述べられている。
そして、そうした悪口罵詈(あつくめり)、打擲(ちようちやく)という受難を乗り越えながら、法華経の信奉を諫めさとすというイメージが「諫暁」という用語に連想されるようになったのである。
《渡辺宝陽「申状と如説修行の継承」『日蓮宗信行論の研究』、宮崎英修「江戸中期における諫暁活動の展開」『棲神』四八号、『遺文辞典』歴史篇「諫暁」の項、『日蓮辞典』「諫暁」の項、『日蓮聖人大事典』「日蓮聖人と諫暁」の項、小松邦彰・花野充道『日蓮教団の成立と展開』(春秋社『シリーズ日蓮』三)》
(渡辺宝陽)