往生
往生
おうじょう
この世で命を終って他の世界に往き生を受けること。
また死後をさすことから単に死ぬことをもいう。
往生の語は広く諸仏の浄土に受生することに通じて用いられ、菩薩が衆生救済のために浄土から娑婆へ生れる場合も往生といい、また菩薩が一仏国から一仏国へと巡り行き諸仏を供養し教化することにも用いられる。
しかし浄土教信仰の隆盛浸透により今日では多くの場合、この娑婆世界に命終して後、阿弥陀仏の極楽浄土へ生れる意味に用いられる。
往生の思想は現実に生を営んでいるこの世を穢土として厭い、浄土に生れることが救いとなるとの考えから生れた。
往生には極楽往生・十方往生・兜率往生などがあり、往生を願うことを願生(願往生)という。
(一)極楽往生は阿弥陀仏の浄土に生れることをいい、『無量寿経』『観無量寿経』などの教説に基づく。
浄土教はこの極楽往生を目的とする教えである。
往生の方法には、念仏往生(阿弥陀仏の名を信じ称えることによって往生する)、諸行往生(念仏以外の善根善行を修して往生する)、助念仏往生(念仏の助けとして諸行を修して往生する)、聞名往生(仏の名を聞いて信じて往生する)などがある。
法然房源空は念仏往生を主張して日本浄土宗を開いた。
また源空は『西方指南鈔』に、正念往生(正しく浄土を念じつつ往生する)、狂乱往生(苦にせまられて狂いつつ念仏して往生する)、無記往生(平生の信心でおのずから往生する)、意念往生(心に仏を念ずるだけで往生する)の四種往生説を説いている。
なお浄土真宗では、弥陀の四十八願の中、第一八願による他力念仏往生真土往生を難思議往生、第一九願による諸行往生化土往生を雙樹林下往生、第二〇願による自力念仏往生化土往生を難思往生とする三種往生説を説いている。
(二)十方往生は阿弥陀仏以外の諸仏の浄土に生れることをいう。
(三)兜率往生は『弥勒上生経』などの教説に基づき、弥勒菩薩の住する兜率天に生れ、弥勒と共に五六億七千万年の後にこの世界に生れて悟りを開こうと願うことをいう。
日蓮聖人は、法華経寿量品に開顕された久遠本仏を中心とする仏陀観、仏土観に立って、「此過去常顕るる時、諸仏皆釈尊の分身なり。
(略)今爾前迹門にして十方を浄土と号して、此土を穢土ととかれしを打かへして、此土は本土となり、十方の浄土は垂迹の穢土となる。
仏は久遠の仏なれば迹化他方の大菩薩も教主釈尊の御弟子なり」(『開目抄』定五七六頁。
『守護国家論』一二九頁も同)と述べて、阿弥陀仏等の諸仏は久遠本仏の所従であり、その極楽浄土等も本仏所現の方便の浄土であるとし、極楽往生説を否定し、娑婆即寂光浄土を主張した。
《『遺文辞典』歴史篇「往生」の項、『岩波仏教辞典』「往生」の項》