娑婆即寂光
娑婆即寂光
しゃばそくじゃっこう
娑婆は四土の中の同居穢土であって、六道の凡夫と聖者とが同居する苦悩汚穢の忍土であり、寂光は四土の中の常寂光土で、ただ法身如来のみ住して自受法楽したまう四徳波羅蜜具備の最高の浄土である。
その相即円融ということは、教学的には相対種の開会に基づくのであって、純円の法華経だけ独説するところである。
人については煩悩熾盛の五逆・謗法にも仏性の不断を認めるように、土については底下の娑婆悪国土に寂光土性の不滅を認めるのが、この教説である。
法華経では、譬喩品に「今此の三界は皆是れ我が有なり」とて娑婆世界は教主釈尊の領土であるとして、現実の娑婆を重視し、化城喩品では大通智勝仏の十六王子の第十六番目の王子として出家した釈尊は十方浄土の中から穢土の娑婆を選取して、ここで修行成道し、繰返し説法教化しておられるという。
これも娑婆中心である。
見宝塔品で分身来集の条件としての三変土田は『法華玄義』七上の本国土妙の解説部分によると、三変とは同居の穢(娑婆)→同居の浄→方便有余土であるというが、要するに娑婆に即して浄土を顕現したわけである。
殊に寿量品では「我常在此娑婆世界説法教化」「我常住於此」「常住此説法」あるいは「衆生劫尽きて大火に焼かるると見る時も、我が此の土は安穏にして、天人常に充満せり」とて、衆生にとってはこの娑婆世界は火宅の三界であるが、仏から見れば天人常充満の安穏なる浄土であるという。
これぞ娑婆即浄土の経説である。
天台大師智覬は『法華玄義』七上で、寿量品の「我常在此娑婆世界」の文を典拠として本国土妙を立てる。
中に「迹中に土を明すこと又一途に非ず(略・四土を述ぶ)。
若し是れ本土は一土一切土なり。
前後修立浅深不同なるべからず」とて、本国土とは娑婆に即した四土であるという。
智覬をうけて湛然も『法華文句記』会本二六・寿量品釈で、「我常在此娑婆世界」の文を釈して「此の娑婆は即ち本応身所居の土なり(略)豈に伽耶を離れて別に常寂を求めんや。
寂光の外、別に娑婆有るに非ず」とて娑婆即寂光を明言する。
本応身所居の土とは『玄義』本国土妙のところでは「本時の同居土」となっており同意である。
伽耶とは釈尊成道の処である。
日蓮聖人当時は法然の浄土宗が全国津々浦々に流行していた。
浄土宗は厭離穢土・欣求浄土の教えであって、穢土の末法娑婆を厭い捨てて、阿弥陀仏の本願に乗じて西方浄土に往生することを信仰の目的とする。
故に純粋天台教学のみを法華教学として是認する聖人にとっては、浄土教は許し難い邪教であって、法然破斥の最先をなすものが三八歳作の『守護国家論』である。
七門中第六の行者の用心を明かす段に「法華経修行の者は何れの浄土を期すべきや」を問い、答えて、先引の寿量品の文を引いて「此文の如くんば本地久成の円仏は此世界に在せり。
此土を捨て何れの土を願うべきや。
故に法華経修行の者の所住の処を浄土と思ふべし。
何ぞ煩しく他処を求めんや」(定一二九頁)とて、娑婆世界の行者所住の処が即ち浄土であるという。
これは先引の湛然の『法華文句記』二六の文にも依ることは明らかで、湛然の文は既に『戒体即身成仏義』(定一四頁)にも引かれる。
また同論の次下に「爾前の浄土は久遠実成の釈迦如来の所現の浄土にして、実には皆穢土也。
(略)寿量品に至って実の浄土を定むる時、此土は即ち浄土なりと定め了ぬ」(定一二九-一三〇頁)とて娑婆即浄土の趣旨を述べておられる。
此等は浄土宗の浄土欣求を否定する趣意である。
この仏土観は聖人の生涯を通じて変らず、佐渡第二年目の『開目抄』には「仏三十成道の御時は大梵天王・第六天等の知行の娑婆世界を奪取り給き。
今爾前迹門にして十方を浄土とがうして、此土を穢土ととかれしを打かへして、此土は本土となり、十方の浄土は垂迹の穢土となる」(定五七六頁)、第三年目の『本尊抄』には、「夫れ始め寂滅道場華蔵世界より沙羅林に終るまで五十余年の間、華蔵・密厳・三変・四見等の三土四土は皆成劫の上の無常の土に変化する所の方便・実報・寂光・安養・浄瑠璃・密厳等也。
能変の教主涅槃に入れば、所変の諸仏隨て滅尽す。
土も又以て是の如し。
今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出たる常住の浄土也」(定七一二頁)といわれる。
これらは共に寿量顕本のとき娑婆本国土観が樹立され、十方浄土は娑婆に対すれば垂迹土となる。
娑婆は本仏所住の土であるから本土であり、十方浄土は阿弥陀等の迹仏所住の土であるから迹土というのである。
故に本時の娑婆とは本国土としての娑婆の意であり、娑婆の本体の意に外ならない。
ここに「無常の土に変化する所」の中に「寂光」が含まれていることに注意しなければならない。
寂光もまた迹仏の所住ならば、無常の土の上に立てられた仮説にすぎないとの意である。
従って娑婆即寂光とは、より日蓮宗的にいうなら、娑婆即本国土といわねばならない。
娑婆即寂光は法華経・天台学・法然批判から出発して、娑婆以外に浄土を求めるな、行者所住の所が即ち浄土であるという主張からの展開であったが、要は死後よりも、現実の娑婆に生きる凡夫の生き方の支柱となる理念である。
ところが一方、聖人は佐渡以後において霊山浄土への往詣を法華経の行者の当来果として設定された。
それは矛盾関係ではないかという議論は浅井要麟『日蓮聖人教学の研究』、望月歓厚『日蓮教学の研究』等の中にて重々に論及されたが、右の視点からすれば霊山浄土も娑婆を離れたどこかにあるのではなく、娑婆の中の本仏所住の処でなければならない。
その訳としては一に霊山浄土のことを聖人は常寂光土とも表現しておられる。
例えば『如説修行鈔』に「南無妙法蓮華経と唱て、唱へ死にに死ぬるならば(略)諸天善神は天蓋を指し、旗を上て、我等を守護して、慥かに寂光の宝刹へ送り給べき也」(定七三七-八頁、なお六二五・六三七・一七六一頁等参照のこと)の如し。
二に常寂光とは修成の依報ではなくて、一切土に通遍する無方無相の理土である。
故に常寂光土と同意の霊山浄土も元来は理土であり、経文にも「一心欲見仏 不自惜身命 時我及衆僧 倶出霊鷲山」とあるように、如説修行によって顕現する浄土である。
かく見れば娑婆即寂光と霊山往詣とは矛盾しないのである。
最後に立正安国との関係においては、もし娑婆が寂光土なら立正安国の必要はないわけであるが、娑婆即寂光とは仏眼に映じた仏土観であって、凡夫の眼には「衆生見劫尽大火所焼時」の娑婆であり、また娑婆の本体が寂光土であるというのであって、娑婆の現実が寂光土であるというのではない。
従って法華経の行者は地涌の菩薩の一員として、菩薩の必須の誓願たる浄仏国土の願を満足するため、現実において娑婆を寂光土化することに異体同心、一致協力して精魂を傾注しなければならない。
それを立正安国運動という。
しかし果してこの地球上に仏国土を建設することは可能だろうか。
世界平和は誰しも望むところであるが、人に欲望がある限り戦争は絶えず、平和を実現することは不可能ではあるまいかというのが、一般の意識的・無意識的な諦念である。
しかし法華経は娑婆の本体を達観すれば常寂光土である、釈尊の証悟は法界に周遍していると説くのであるから、無より有を生ずることはできないが、潜在的な有を顕在化することは不可能ではない。
『立正安国論』の末尾の正宗分のところに、信仰の寸心を改めれば仏国となる「此の詞、此の言、信ずべく崇むべし」(定二二六頁)とあるのは、釈尊の金言たる娑婆即寂光が基盤なのであるから、この穢土を仏国土とすることは必ず可能だということを強く信頼せよということである。
《『遺文辞典』歴史篇「娑婆世界」・教学篇「常寂光土」の項、『日蓮辞典』「娑婆即寂光」の項》
(浅井円道)