霊山
霊山
りょうぜん
インドの霊鷲山のことである。
序品では「一時、仏は王舎城の耆闍崛山の中に住したまい」とあり、耆闍崛山と漢訳されている。
また寿量品では「時にわれ及び衆僧は倶に霊鷲山に出ずるなり」とあり、鷲頭・霊頭・鷲峯・霊山等といわれ、わが国では「わしのみ山」と訓じられている。
耆闍崛山を霊鷲山と呼び、更に霊山というに至ったのは『大智度論』に「耆闍を鷲と名づけ、崛を頭と名づく。
この山頂は鷲に似たり、王舎城の人その鷲に似たるを見て、共に伝へて鷲頭山と云ふ」とあり、更に『玄応音義』によると、この山の鷲は霊鳥であって「人の死活を知る」ともいわれている。
更に『法華文句』によれば、諸仏はみなこの山に集り「聖霊の居る所」であるとし、霊鷲の住む山であって、諸山の聖霊の居る山であるというところから「霊鷲山」と名が付けられ、「霊山」と呼ばれるようになったものであると考えられる。
日蓮聖人は仏がこの山で法華経を説かれたことについて大きな意義を認められた。
特に佐渡島を経て身延へ入山された晩年の著述の中には「霊山」または「霊山浄土」と称して、信仰上における究極の境界とされたのである。
即ち「霊山」は、仏が法華経を説かれた最も尊く秀れた所であり、仏の住み給う浄土であり仏の国土であるという考えから「霊山浄土」として昇華されて行き、ついに時間・空間を超越した純粋な信仰の世界として展開され、法華経行者の究極の境界とされるに至ったのである。
従って「霊山」は、ただ単に耆闍崛山と呼ばれる現存のグルドラクータを指しているのではなく、そこで説かれた法華経という釈尊出世の本懐が示された経典の、教義上における深い意味が蔵されているのである。
故に寿量品で説くところの「わがこの土は安穏にして」という「わがこの土」とは霊山であり「仏陀の国土」を指しているのであって、また「わが浄土は毀れざるに」という「わが浄土」とは「霊山浄土」であって、娑婆国土に即した浄土を示されたものといえるのである。
つまりこの土の霊鷲山に即して霊山浄土を説いているのである。
日蓮聖人の遺文の中には「霊山の釈迦牟尼仏」とか「後生は霊山とおぼしめせ」あるいは「日蓮霊山にまいりて」「霊山虚空会に詣で給ひ」等の文が見られ、随所に霊山又は霊山浄土の語が用いられている。
その意味するところは、第一に釈迦牟尼仏の永遠の住み給える聖霊のみ山であり、第二にそのみ山は仏が法華経を説かれ、常に衆生を説法教化された所であって、第三に釈迦多宝の二仏を始め、諸仏の来集し給える「仏の国土」である。
宝塔品に始る霊山虚空会の説法儀式がそれである。
第四に霊山は法華経を信行する者の究極に到達すべき境界であり、妙法五字の光明に照されて、十界のすべてが成仏し、往詣することのできる境地である。
また第五に霊山は仏が本化の弟子である上行等の四大菩薩等に、末法の世でこの法華経を弘めるべく、付嘱のための大事な儀式の行われた所であって、「仏使」としての自覚を持たれた日蓮聖人にとっては、特に意義深い場所として受けとめられているのである。
第六にこの霊山で一切仏教の中心眼目たる二乗作仏・久遠実成・一念三千の大法門が説き示されたのであり仏教における最も大切な根本の霊蹟というべき所である。
第七に霊山は本仏と我ら所化が同体となって、三災を離れ四劫を出たる常住の浄土として顕現される所である。
しかもこの浄土は現実を離れた別の世界にあるのではなく、娑婆世界に即しているというところに「事の寂光土」といわれる理由があるのである。
《『遺文辞典』歴史篇「霊山」「霊鷲山」の項》