大智度論
大智度論
だいちどろん
一〇〇巻、龍樹(Nāgārjuna=一五〇-二五〇頃)著。
弘始七年(四〇五)に鳩摩羅什によって翻訳された。
『摩訶般若波羅蜜多経』(大品般若経)の註釈書である。
現存するものは漢本のみで、梵本、西蔵本等は無い。
本書の原名はMahāprajñāpāramitā-śāstraと見られ、摩訶般若釈論、大智釈論、大智論、大論、智論、釈論等ともいわれる。
古来、龍樹の真撰として尊重されて来たが、それには種々の問題を含んでいる。
本論に付けられた羅什門下の僧叡の『大智釈論序』と作者不明の『後記』によれば、羅什は翻訳に際して、『摩訶般若経』の初品を解釈した部分のみは逐条に訳をなして、三四巻としたが、第二品以下九〇品までは、中国人の好みに応ずるように略釈して六六巻に収め、全体で一〇〇巻とした。もしつぶさに訳せば一〇〇〇余巻になったであろうといっている。
従って厳密には本書は龍樹の著作そのものとはいえないし、また全体に亘ってかなり羅什の解釈も含まれていると見られている。
内容は『摩訶般若経』の経文の解釈の上に、関連する仏教用語の解説や教理の解釈、一般の歴史、地理、言語、風俗、物語、更には外教の教理等広範囲に亘る記述が行われ、百科事典的な内容をもつ註釈書である。
構成は第一巻―最初に帰敬及び述意を表す六偈の詩文を掲げ、次いで仏が般若波羅蜜を説く因縁を明かして、経典の序品の最初の文である「如是我聞一時」の解釈に入る。
以下次のような章名の下に、経文の順に従って解釈が続く。
第二巻―「総説如是我聞」「婆伽婆」、第三巻―「住王舎城」「共摩訶比丘僧」「四衆」、第四巻―「菩薩」、第五巻―「摩訶薩埵」「菩薩功徳」、第六巻―「十喩」「意無礙」、第七巻―「仏土願」「放光」、第八巻―「同上」、第九巻―「同上」「十方諸菩薩来」、第一〇巻―「同上」、第一一巻―「舎利弗因縁」「檀波羅蜜」「讃檀波羅蜜」「檀相」「檀波羅蜜法施」、第一二巻―「同上」、第一三巻―「尸羅波羅蜜」「戒相」「讃尸羅波羅蜜」、第一四巻―「尸羅波羅蜜」「闡提波羅蜜」、第一五巻―「闡提波羅蜜法忍」「毘梨耶波羅蜜」、第一六巻―「同上」、第一七巻―「禅波羅蜜」、第一八巻―「般若波羅蜜」「般若相」、第一九巻―「三十七品」、第二〇巻―「三三昧」「四無量」、第二一巻―「八背捨」「九相」「八念」、第二二巻―「同上」、第二三巻―「十想」「十一智」、第二四巻―「十力」、第二五巻―「四無畏」、第二六巻―「十八不共法」、第二七巻―「大慈大悲」、第二八巻―「欲性六神通」「布施随喜心過上」、第二九巻―「同上」「廻向」、第三〇巻―「善根供養」「諸仏称讃其命」、第三一巻―「十八空」、第三二巻―「四縁」、第三三巻―「到彼岸」「見一切仏世界」、第三四巻―「同上」「信持無三毒」(以上初品)。
以下第三五巻より第一〇〇巻までは、経典の第二報応品より第九十嘱累品までの経文中の一部分を採っての解釈である。
龍樹は本論で、『摩訶般若経』の解釈を目的としながら、阿含、律、阿毘曇、仏伝等の伝統的な諸経論及び他の般若、法華、華厳、宝積、浄土等の新興の初期大乗仏教経典を多数引用し、肯定的に解釈摂取して、いまだ当時統一的に理解されていなかった大乗仏教経典所説の教理、実践を組織的に統合解釈し、大乗仏教教学確立への基礎を作った。
従って後世の大乗仏教の諸説は、その遠い源を『智度論』を中心とした龍樹の諸論書に求め、彼を「八宗の祖師」として仰ぐこととなった。
インドでは中観の思想を基として生れた唯識説、『大乗起信論』の真如説、及び浄土教、密教等の思想形成にも影響を与えたと見られ、中国では、まず本書に続いて翻訳された『妙法蓮華経』の訳文が影響を受けた。
次いで羅什の門下である僧肇、道融等は『中論』『十二門論』『百論』の三論に『智度論』を加えた四論によって四論学派を起したし、更に慧文、慧思、智顗の思想に大きな影響を与えて、天台宗成立への根拠ともなった。
華厳宗の智儼は本書に説く共般若、不共般若によって、同別二教の判を創唱し、法蔵はそれを承けて大成し、また浄土教の曇鸞は四論系の出身であり、善導等にも影響を与えた。
更には禅宗も本書に説く、禅波羅蜜の影響を受けている。
従ってその後に展開した仏教にあっては、直接間接に本書の影響を受けないものは無いといえる程である。
《『遺文辞典』歴史篇「大智度論」の項、『大蔵経全解説大事典』「一五〇九・大智度論」の項、『岩波仏教辞典』『仏書解説大辞典』「大智度論」の項》