望月歓厚
望月歓厚
もちづきかんこう
(一八八一-一九六七) 明治一四年八月一二日、山梨県身延町に田中勘三の三男として生まれ、幼名を重作という。
七歳にして静岡県三島市本覚寺津田日厚の徒弟となり、翌年身延町望月甲春の養子となる。
一三歳の時、歓厚と改名。
日蓮宗伊豆檀林、静岡中檀林、東京神田中学を経て、明治四三年(一九一〇)日蓮宗大学を卒業。
同年日蓮宗大学中等科助教を命ぜられてより遷化に至る五八年間、宗門子弟の教育に尽力した。
この間、日蓮宗大学講師、立正大学文学部教授、同予科部長、同文学部長、立正中学長、立正大学長、立正大学仏教学部教授、立正大学宗学研究所長、同日蓮教学研究所長、立正大学大学院管理委員会委員長等の要職を歴任し、更に東洋大学、大正大学、京都帝国大学等に出講して日蓮宗教義を講義した。
昭和三二年(一九五七)『日蓮教学の研究』により文学博士の学位を授与された。
日蓮宗僧侶としては、大正四年(一九一五)熱海市富西寺住職、同八年東京深川宣明院特選住職、同一二年三島市本覚寺住職、昭和二〇年山梨県小室山妙法寺住職を歴任し、同三四年本覚寺に再住す。
宗門行政においても、日蓮宗宗綱審議会委員、同新体制準備委員、同制度調査会委員、同第二審査会々長、同教学審議会委員長等を歴任。
昭和二七年日蓮聖人立教開宗七〇〇年記念事業として『昭和定本日蓮聖人遺文』編纂の議が起ると、推されて監修者となり、各編纂委員を督して事に当り、同三四年全四巻の大成を見た。
更に『行学綱要』(昭和二三)、『日蓮宗読本』(昭和三二)、『日蓮教団全史』(昭和三九)、『近代日本の法華仏教』(昭和四三)等の編集責任者として、日蓮教学研究所員を督して発刊した。
昭和三九年日蓮宗宗務院より宗義の簡明化・現代化の業を委嘱され、委員と共に事に当り『宗義大綱』一〇条をまとめた。
多年の宗門子弟教育の功により昭和三九年藍授褒章を受賞し、同四一年には勲三等瑞宝章に叙せられた。
同年本覚寺本堂改築を企て、翌四二年九月落慶の式典を挙げ、十一月二八日遷化。
八六歳。
諡は神応院日電上人。
著述に『法華経講話』(昭和六)、『観心本尊抄講義』(昭和八)、『日蓮教学の研究』(昭和三三)、『日蓮宗学説史』(昭和四三)等があり、その他、本尊論・顕本論・本迹論等に関する論文多数がある。