本迹論
本迹論
ほんじゃくろん
日蓮聖人滅後、論じられた法華経本門・迹門の理解に関する論議。
日蓮聖人は天台大師の法華経理解を継承しながらも、その理解において大きな飛躍を遂げられた。
即ち天台大師が迹門を体とし、本門を用(ゆう)と理解するのに対し、日蓮聖人は本門を体とし迹門を用として、本門において法華経の真価が発揮せられたと見る。
そこで日蓮聖人の門下は、
(1)天台宗との教義の相違(台当勝劣)を論ずる必要があった。
(2)ところが、それを論ずる上で本門中心の法華経に立拠することの意義づけが論じられるようになった。
(3)更にその論議が、本門中心に立脚する精神的な厳粛の要求と相俟って、室町時代における分派活動の理由として掲げられるに到った。
(4)そのような経過を鑑み、日蓮聖人門下の教団は、それぞれ一致派、勝劣派を誇示するようになり、そのため江戸時代末期に到るまで、本迹論が熱心に論じられ、単に教相の問題としてでなく観心の問題とも関連する論議にまで展開した。
本迹論は以上四つの側面から考察されなければならない。
〔本迹論の興起〕望月歓厚は本迹論が展開された経過を一覧して、その主張に四つの型があると整理した。
(1)取捨、(2)勝劣、(3)傍正、(4)一致である。
日蓮聖人門下は必ず本門尊重を標榜するのであるから、大まかにいうとこれらの主張の相違は、どれほど尖鋭に本門重視を主張するかということに集約される。
最も尖鋭な主張は、法華経二八品のうち重要なのは後半の本門一四品であり、前半の迹門一四品は不要であるから捨ててしまえという(1)取捨の本迹である。
そして最も緩かな理解は、(4)本迹一致で、本門が重視されても法華経は二八品が一経として成り立つものであるとして、本門の意義が顕されることによって、迹門も勝位の法門にひきあげられるから本門と迹門とは一致でなければならぬという主張である。
更にその一致論が、もともと本門と迹門とは両門に分れる以前の根本のところでは本迹未分法華であったという本迹一体論によって意味づけられた。
これは一致論としては行き過ぎであるが、最も緩やかな本迹論であることはいえるであろう。
そして、(1)と(4)の間に(2)本迹勝劣、(3)本迹傍正の論が位置づけられるわけである。
ところで、(1)の本迹取捨の論は日蓮聖人の直弟子である天目が主張したとされる。
その根據は『円極実義抄』において日昭・日朗・日興・日向の諸師に本門尊重を迫ったこと(『宗全』一巻)、富士系の『五人所破抄』に天目の迹門不読説が紹介されていること(同上二巻八五頁)等に基づく。
建武元年(一三三四)、白蓮阿闍梨日興の一周忌の席上、日仙は迹門不読説を主張したことが日叡の『日仙日代問答記録』に記録され、それは天目日辨の主張と同じだとされていることを見れば、日蓮宗上代においてのこの天目に対する認識はかなり広まっていたことが分る。
これらをつなげて考えると「爾前・迹門の円実は三世諸仏(が)世に出でて無始より法爾として破廃せられ、本門の純円を以て本懐の極をなす。そのゆえは爾前・迹門の諸経は帯権覆蔵の説。本門寿量品の方便也」(『円極実義抄』八一頁)という迹門・本門の法門の違いから、迹門を読誦する必要はなく、それどころか迹門を読誦することは本門の意を損うと主張したと伝えられるということである。
日興門流の日仙日代の問答では、日仙は天目と同様に迹門方便品を読誦しても得益がないから読誦する必要はないと主張したが、日代がそれならば高祖日蓮聖人も開祖日興上人も方便品を読誦したのは誤りかと問われて閉口したという。
そこから方便品を読誦するのは、本門寿量品を顕すため、迹門の法門は否定されなければならないという意味で、所破のためであるという解釈がなされ(三位日順「従開山伝日順法門」、『宗全』二巻三八六頁)、それが伝承されて江戸時代の堅樹日寛『六巻鈔』においても述べられているのである。
(2)の本迹勝劣の論が興起したのは室町時代であり、それを標榜した宗派は勝劣派と呼ばれる。
日什(にちじゅう)(顕本法華宗)・日陣(法華宗陣門流)・日隆(法華宗本門流・本門法華宗)等の派祖たちの主張がその代表的なものである。
日陣門流の所伝によると、摩訶一房日印(一二六四-一三二八)が天台教学の師・智観法橋から本迹勝劣について一〇ヵ条の質問を受けたというが、この勝劣とは恐らく台当勝劣にとどまるものであったろうという。
(イ)玄妙日什(一三一四-九二)はもと会津(現在、福島県会津市)の羽黒山東光寺に住した天台宗の学僧であったが、たまたま日蓮聖人の『開目抄』『如説修行抄』を読んで帰依することを決意し、下総の真間弘法寺に帰伏状を呈し、また中山法華経寺日尊を訪ねたが、門流に加えられることができず、そのため前掲二書を日蓮聖人の血脈として一派を唱導した。
宗尊記述の『日什門徒建立由緒』(『宗全』五巻一〇四頁)に日什の弟子・日金の詞として「本迹に勝劣を立て、修行に傍正をなす」とあり、いわゆる次第勝劣(しだいしょうれつ)を主張したといわれる。
ただし日什の著述はほとんどなく、僅かに「諷誦文(ふじゅもん)」が遺されるのみであるが、門下の解釈によって照射すれば、次第勝劣義に基づいているといえなくもない。
次第勝劣(しだいしょうれつ)とは極端に本門が勝れ、迹門が劣るというのでもなく、また迹本迹一致というのでもなく、法華経一部を尊重しながらも、一部(全体)よりも方便品に重心が置かれ、方便品よりも寿量品が大切であり、そのなかでも自我偈、更にそれよりも題目の方が中心であるという主張である。
浅きより深きに至ることを重んじているところから、従浅至深の本迹論とか、次第勝劣という。
(ロ)円光日陣(一三三九-一四一九)は越後本成寺(ほんじょうじ)代管日龍に師事、京都本国寺日静について宗義を学んだ。
本成寺を継承して後、応永四年(一三九七)、本国寺において日陣は本迹法体異の勝劣(本門の法体が迹門の法体に勝れること)を主張し、本国寺を継承した日伝の一往勝劣・再往一致、法体同の理解を批判した。
以後、数年にわたって論争が展開され、日伝の後継者・大智日聰が日伝に代って約宗勝劣・約体一致の立場から五五箇条の煩鎖な難問(「五十五箇条難勢」)を掲げ、日陣追放状と共に本成寺に送った。
それに対して日陣は『本迹同異決』を著して逐条に反論した。
日陣の主張は本迹法体勝劣にあるが、それは迹門に説く実相と本門の実相との間に勝劣があるということである。
これを已今本迹という。
已に説き已(おわ)った迹と今の本門との勝劣という意義である。
已今本迹という法体の勝劣にこだわるのは、久近本迹(くごんほんじゃく)をいうのみでは、久遠実成によって明らかにされた本理も伽耶始成によって明らかにされた本理もその本理においては勝劣を論ずることができないとの見解に立つからである。
それに対して本国寺の日聰は宗章勝劣・体章一致(または約宗派勝劣・約体一致)を主張し、仏格に始成と久成との異なりはあるけれども、その所証では同一の実相であると述べた。
妙法蓮華経の体を解釈することにおいては勝劣を論ずることができないが、宗玄義(因果を明かす)の面から法を聞く機情の悟入の次第を論ずると、迹門においては浅く理解し、本門に至って深く解入することが述べられていると理解するのである。
(ハ)慶林日隆(一三八五-一四六四)は京都妙顕寺の日霽の弟子で、日霽没後、応永一二年(一四〇五)妙顕寺の法燈を継承した月明(がつみょう)と山規護持について論議が衝突し、本応寺を建てて八品勝劣義を主張し、永享元年(一四二九)『四帖抄』を著して独立を宣言した。
『四帖抄』は実名を『法華天台両宗勝劣抄』といい、台当勝劣論が中心となっている。
即ち天台の本迹観を本門法華の本迹観によって批判しているのである。
日隆は天台の本迹観は体用本迹であって、本迹の実相の体は全く同じで円体無殊であるとし、日蓮宗においては、久近本迹によって本門の体が勝れていることを主張しなければならないと主張する。
さて日隆の系統は八品派とよばれるように、虚空会上のうち特に従地涌出品第一五から嘱累品第二二に及ぶ本門八品において仏滅後末法への法華経の弘通が明かされるとする。
言葉を換えていえば、寿量品の一品二半は仏の在世の当機への正説であって、いわば脱益の機のために説かれたものであり、本門八品においては、上行菩薩への要法付嘱(別付嘱)が説き示されているのは仏滅後への下種の法門であることは日蓮聖人の『本尊抄』にも明らかであるとする。
即ち一品二半の法体は絶待妙不二の理であり、それに対して八品所顕の要法は殊更に末法弘通の法体として結要せられたものであり、相待妙である。
絶待妙と相待妙とを比較すると、本門一品二半の絶待の体は本・迹を分別せず、無差別である。
八品は本迹相対した本であって、正法・像法よりも末法を本門の直機(じつき)と定めた末法相応の教であるとしても、八品こそ本門を明らかにするものだとしている。
しかし結局、一品二半を決定的に否定するのではなく、一品二半は教であり、八品は観であるとし、一往は教観の異なりを認めつつも、再往は教観は倶絶して、教の方は所観の境となり本尊となり、観の方は能観の智となり行者といわれて能観・所観一体の教観一如の観心を求められるものであるとする。
(ニ)常不軽日真(一四四四-一五二七)は京都妙顕寺六世瞻山(せんざん)日具の退山後、師事した。
長享二年(一四八八)、本迹一致・勝劣の論が起り、日真の勝劣論に対して泉乗日儼・行学日資らは一致を主張した。
日具の調停にもかかわらず、日真は勝劣を主張して妙顕寺を退出、本隆寺を創建した。
日真は『天台三大部科註』等、天台学関係の著述が中心で、宗義学関係のものはほとんど伝えられていない。
しかし日真の講義を筆録した要法寺の広蔵日辰の総釈によると、日真の教学は永正年間(一五〇四-二〇)の講釈と大永年間(一五二一-二七)の講義との間に転換が見られ、前には日隆門流の本門八品上行要付を肯定していたのが、後、これを否定した。
即ち日真は寿量品正意論を根幹とした。
それは経文のまま読めば法華経の中心は寿量品に示された釈尊の久遠実成に結帰するという解釈からである。
つまり日具の本迹未分一体、法体同とする解釈に対し、本勝迹劣であり、本門の寿量品によってこそ法華経の真髄が発揮されるとし、他方、日隆門流の八品正意、神力本因下種論に対しては、寿量品に示される教主釈尊の本果実証が根本であるとした。
この主張を要約して(法華経)一部修行、本勝迹劣、唯寿量、事一念三千、本果実証という。
こうした経緯をふまえて、日蓮系教団は大きく一致派と勝劣派とに分類され、爾来、その宗是に基づき、それぞれの本迹論が展開された。
〔本迹勝劣論の類型〕これらの勝劣論は各門流に継承され、またそれに対して一致派との論難往復があり、次第に論議は複雑になってくる。
しかし、それを原点に立ち戻って整理すると、本迹勝劣論は次のように分類される。
(1)本迹事理相対。
(イ)事の上で久近本迹の勝劣を論ずるのと、(ロ)理の上で已今(いこん)本迹とを論ずるのとである。
(ロ)の已今本迹理勝劣とは本門と迹門との相違(勝劣)を実相の相違としてとらえるもので、法華経以前の諸経は本門の今の開迹顕本からすれば已の垂迹であるから劣るという。
日陣・日真がこれにあたる。
(イ)の久近本迹事勝劣は、久遠実成が顕らかにされたところに本門の理勝が証明されたのであって、伽耶始成(近成)の迹門はそれに遙かに及ばないとする。
日隆がこれにあたる。
(2)三益因果相対。
三益に約する因果の相対ということである。
(イ)下種為正因勝果劣。
末法は下種の時であることを確定させるために、本迹の教相をかりて久遠成道已前のある時を求めると、釈尊の菩薩行の時となり、そこに本因妙を求め、それを更に末法の今日に再び位置づけようとする。
日興門流の脱仏思想は因が勝れ果が劣るとする。
日隆らは因勝とのみいって果劣とはいわない。
日陣・日什らにも本因妙の思想がある。
(ロ)得脱為正勝因劣。
本果妙を下種の法体とする勝劣論。
即ち釈尊が久遠実成の仏果に到達された、その仏果果上の法が下種の法体となるというのであって、本迹一致派では種脱一双(下種と同時に仏果を実証する)であるといい、日真門流では殊に本果妙を強調する。
〔本迹一致論の類型〕形式的には台当一致(天台宗と日蓮宗とは実相においては同じということ)という日蓮教学としてはあり得るところのない論も上代には見られ、二経一致(本門と迹門とは終極するところ一致)、題文(だいもん)一致(法華経本文においては本門と迹門とがあるが、題目はそれらを包括統一している)、底上一致(文上はすべて迹門、文底は本門であり、両者が一致する)という類型がある。
内容的に大きく一体論と一致論に分けられる。
一体論は本門と迹門は本来一体であることを主張するのであって、本門と迹門との浅深・勝劣を認めた上で、両者の関係をどのように位置づけるかという組立てとは、基本的に発想が異なるともいえよう、一体論には仏意一体論・体章一体論、実相同体論・未分一体論・題目超越論・一経一体論があげられる。
本迹一致論は、(イ)本迹修性論、(ロ)文上本迹始本不離論、(ハ)底上始本相即論に分類される。
(イ)本迹修性論とは迹門を性(体)とし、本門を修(用)とする。
迹門の実相論と本門の修行論とを結びつける考え方で、天台学寄りの論議である。
(ロ)文上本迹始本不離論とは法華経の文上では迹門・本門という教義詮顕の浅深があるが、それは迹門は始覚門に立ち、本門は本覚門に立つというところから出ている。
しかし実際の信行の面からすると、始覚と本覚との両面が併行して初めて成立するものであって、そのような意味から本迹は一致でなければならないとする考え方である。
(ハ)底上始本相即論とは文上は始覚に基づき、文底は本覚を内蔵する。
そして始覚と本覚とは相即しているから、文上(迹)と文底(本)とは相即するというのである。
つまり一致論の共通した考え方は、已顕の本迹には勝劣があるが、未顕の本迹においては一致するというところにある。
〔本迹論の課題〕日蓮聖人の宗教を継承することは、とりもなおさず本門法華経に立拠することである。
しかしややもすれば旧来の本迹論の展開は、分派とからみ合い、各派間の論争によって全体的に見ると行き過ぎがある。
一方、本門法華経の意義が今日、確認されなければ日本の宗教的風土のなかで日蓮宗も根幹を見失う恐れがある。
そこでそうした現実に、信仰的内実に立って本迹論が追求されなければならないであろう。
《望月歓厚「本迹論と日蓮宗の分派」『日蓮教学の研究』、同『日蓮宗学説史』、執行海秀『日蓮宗教学史』、宮崎英修「興門初期の分裂と方便品読不論」『大崎学報』一二二号、浅井円道「法体勝劣論の考察」『大崎学報』一一一・一一五号、渡辺宝陽「本迹論の展開」『中世法華仏教の展開』》
(渡辺宝陽)