一致・勝劣
一致・勝劣
いっち・しょうれつ
本迹一致と本迹勝劣。
天台が迹門を中心とした法華経観に立脚したのに対し、日蓮聖人は本門を中心とした法華経観に立脚して、末代衆生の救済を発見し、宣布した。
ところで、このような日蓮聖人の本門法華経観を門下が継承して行く上で、法華経本門と迹門との関係をどのように位置づけるかが問題となり、論争が行われたばかりか、各派の分裂の論点となった。
現在の日蓮宗が本迹一致義を継承しているのに対し、日蓮正宗・日蓮本宗・顕本法華宗・法華宗(日陣門流)・同(日隆門流)・同(日真門流)等は本迹勝劣義を継承する。
そこで前者を一致派、後者を勝劣派と称することもある。
日蓮宗不受不施派・不受不施講門派等は一致派からの分立である。
ところで本迹一致といっても、それは本門法華経に立脚する一致であり、本迹勝劣といっても、迹門を捨てて本門のみを取るという極端な論説もないではないが(例えば天目や大石寺系のごとき)、多くは迹門と相即しつつ本門をどのように重く見るかの論説である。
従って本門の法体と迹門の法体とが全く別体であるとの解釈は不可能であるとされている。
また一致論においても、一体論・一致論など微妙な解釈の展開がなされている。
《望月歓厚「日蓮宗の分派と本迹論の展開」『日蓮教学の研究』、浅井円道「法体勝劣論の一考察」『大崎学報』一一〇・一一七号》