妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

一致派

いっちは #68

一致派

いっちは

法華経に説く本迹二門について、勝劣を主張する勝劣派に対し、本迹は異なるが理は唯一にして実相円融の妙旨であると本迹一致を主張する流派。
ち日蓮聖人滅後、聖人が開顕された法華経の本門をどのように継承するかについて、門流各派の間に本迹の一致勝劣の論争が交わされた。 極端な例として目の迹門不読説(法華経迹門十四品を捨てて読まない)がある。
そのほか本門の八品だけを取って他と対比して勝劣を論じた日隆を始め、日什・日陣・日真の諸門流はそれぞれ本迹勝劣を主張した。 これに対し本迹の一致を主張する身延系諸派を一致派と呼ぶ。
しかし本迹の一致論にも一体論と一致論がある。 一体論は本迹はその本体一であるとする考えで、仏の意は一体であるが、衆生の方から見ると勝劣があるというもので、日像の「一往勝劣再往一致論」がこれである。 また日伝が主張した法華経は一体であるが宗用に勝劣があるとする「体章一体論」や、時や機根に勝劣があるが実相は同体とする「実相同体論」や、また本迹が未だ分れない以前仏法不現前の時には本迹の勝劣がないと説く日具の「未分一体論」や、題目は本迹二門を超越したものであるから経文に勝劣があっても題目に勝劣なしとする日澄らの「題目超越論」などがある。
一致論は本迹二門の区別はあるが、それが一つにならなければならないという考えで、これにはまず本迹の修性をもって一致を論じようとする「本迹修性論」があり、本を修とし迹を性とする、ち迹を体とし本を用とする「迹体本用論」でもある。 また文上と文底を始本相対して相を論ずる「体内本迹論」がある。 一致論は未顕の本迹は勝劣、己顕の本迹は一致という考えで、迹門を開顕し了れば勝劣なしとするのである。 本迹一致ということは、勝劣を立てないだけで、傍正の勝劣はあるのである。
一致派といい勝劣派といってもその境界はわずかで、日蓮宗でも一致とはいっても、文上の上ではみな勝劣を明らかに見ているのである。
望月歓厚『日蓮学の研究』》

リンク

← 事典トップ