ふじゅふせこうもんは
天和二年(一六八二)日指・津寺の論争が起り不受不施派は大きく二派に分れた。
安国院日講の指導を受けていた津寺派を講師派または講門派と呼ぶ。
天保法難の時に派脈が断たれたかにみえたが、恵蓮院日心によって再興運動が起され、明治一五年(一八八二)三月一六日本華院日心の代に日蓮宗不受不施講門派として公許された。
昭和一六年(一九四一)に合併して本化正宗と称したが、同二一年に日蓮講門宗と改称して同二三年岡山県鹿瀬(かせ)に久遠山本覚寺を創立した。
同五四年には堂宇を再建した。
身池対論をはじめ多くの古文書、書籍を所蔵している。
《『国史大辞典』一二巻「不受不施講門派」の項》