日蓮宗不受不施派
日蓮宗不受不施派
にちれんしゅうふじゅふせは
仏性院日奥(一五六五-一六三〇)を派祖とし、岡山県金川妙覚寺を本山とする日蓮系の一派。
日奥は豊臣秀吉の大仏千僧供養会の出仕に関して、不受不施義を主張し出仕を拒絶した。
この義によって慶長五年(一六〇〇)対馬に流罪となった。その後、慶長一七年赦免される。
この頃より宗門内は勿論のこと、幕府の政策により社会的な問題として不受不施義と受不施義の論争となり、寛永の不受不施事件に日奥は死後の流刑を受けたのである。
寛文五年(一六六五)幕府は土水供養を出して不受不施派の弾圧を行い、元禄四年には悲田停止令が出されて不受不施派は禁制宗門となった。
以後、地下信仰として不受不施派はその法脈を伝承してきたが、その間多くの弾圧事件が引き起された。
やがて明治新政府が確立するに及んで、明治八年(一八七五)に釈日正は不受不施派再興請願書を新政府の教務部に呈し、翌九年「日蓮宗不受不施派」の再興、派名公称の認可が下り、独立宗派となった。
昭和一六年(一九四一)には日蓮宗不受不施講門派と合同して「本化正宗」と称したが、昭和二一年七月本化正宗は分離して二派はもとに復し、不受不施派は昭和二八年六月二九日認証を受け今日に至っている。